2011年10月31日月曜日

石田徹也



トラモンティの絵や飾り皿は、一つでもあれば部屋の空気が素敵になり、心が和む絵や飾り皿です。




それに比べると、石田徹也の絵は、家に飾るにはあまりふさわしくない絵に思われます。




絵を描くのが好きで好きでという画家でも、描けないときがあるかもしれません。
自分のために描いていると思っている画家でも、ほかの人に見せるために描いていたりします。
自分の絵に自信を持っている画家も、自信が持てない画家も、これでいいのかと自問自答し、心が揺れ動くことがあると思います。

でも、石田徹也はそんな画家たちとは違うようです。
息をするのと同じように、絵を描いていたようでした。
彼自身、絵を描いていると自分で、描いていないと自分じゃないと言っていました。

石田徹也の絵には、いつも同じ人が出てきます。自分ではないといっていますが、彼のようです。
暗いようで明るい、不気味なようでいて、くすっと笑えるところもある絵です。




毎日毎日絵を描き続けて、石田徹也は2005年に31歳で事故死しました。




これ以上、彼の絵を見られないのは残念な気がしますが、100点以上あり、これだけあればじゅうぶんな気もします。




時々遺作集を開いてみます。




悲しさが伝わってきますが、ただ圧倒されます。




それにしても、すごい。




合掌。




2011年10月30日日曜日

日向ぼっこ





お陽さまが低くなり、長いひさしの下から、陽ざしが室内深く入ってくる季節になりました。
最近では、畳が焼けるからとか、家具が傷むからという理由で、陽ざしを気にしないというか、むしろ嫌がる人が増えていると聞きます。




しかし、陽ざしの嬉しいこと。
窓際には、陽ざしの入らなかった季節とは別の世界が出現しています。




一段上がっている敷居は枕代わりに。




ああぁ、のんびりしてしまいます。





2011年10月29日土曜日

ペルーチェス





手描きの模様のある箱は、息子のお土産のペルーチェスです。




箱を開けると、土製のチェスの駒と、さいころとコインが詰まっています。




そして、箱がチェス板になります。




将棋もチェスもしない私には、どうやって遊ぶのか見当がつきません。人の駒に混じって、建物の一部のような駒があるのも、おもしろいところです。

インカ帝国軍とスペイン軍の駒がありますが、インカ兵士の駒の数スペイン兵士に比べて一人足りないのは、三月の地震で散乱して、行方不明になってしまったからでしょうか。




それとも、なぜか巨大なサンタクロースが混じっているのですが、サンタクロースがインカ兵士一人の代わりなのでしょうか。
サンタクロースも含めて、白いところに並べてみると、ぴったり数は合います。

ネットでペルーチェスを調べてみると、もっと装飾的で、駒が写実的にできているのがばかりです。
さすが我が息子、母の好みを熟知していたようでした。





2011年10月28日金曜日

トラモンティの猫




知人に薦められ、グェッリーノ・トラモンティ展を見に行った友人Hさんが、
「グェッリーノ・トラモンティについては何も知りませんでしたが、見てよかった。絵葉書ではよさが伝えられませんが」
と、絵葉書を送ってくれました。




私も、グェッリーノ・トラモンティ(1915-1992)について、全然知りませんでした。
イタリアのファエンツァ出身で、はじめ陶芸を学び、彫刻、絵画などで、独特の様式美を打ち立てた人のようです。




Hさんが私むけに選んでくれたとはいえ、まん丸目の猫がとってもかわいいのです。




色もいいけれど、猫がいい。




機会があったら、額皿やテラコッタを、見てみたいなと思いました。
東京近代美術館工芸館で、11月13日まで開催しているそうです。

2011年10月27日木曜日

煙草入れ





ケヤキの煙草入れです。
イザベラ・バードの『日本紀行』によりますと、1878年ごろの日本では、男女を問わず、また貧富を問わず喫煙していたそうです。
そのため、外出時に持ち歩く、キセルや刻み煙草入れは、たいせつな道具であり、装飾品でもありました。




身も蓋も、全部くり抜いてつくってあります。
売っていたものではなく、自分のためにつくったものでしょうか。



2011年10月26日水曜日

蚊遣りの招き猫





父が、同窓会の冊子を見せて、友人が趣味でつくっているという招き猫の写真を見せてくれたことがありました。
「欲しいなら、頼んでやるよ」

しばらくして、私にと、大小三匹の招き猫と、父に一匹の招き猫が送られてきました。




決して上手ではありませんが、一つ一つ丁寧につくられています。




全部蚊遣りになっていて、一番大きい猫に普通の蚊取り線香が入れられ、あとは小さくしたものが入っていました。




父が88歳で亡くなってから、早八年経ちました。
招き猫の裏には、つくってくださった父の友人の名前が押されていますが、母も身辺整理をして古い本や手紙類は全部片づけてしまいましたし、どなたがつくってくださったのか、まったくわからなくなってしまいました。


2011年10月25日火曜日

台所道具 お茶筒・煮干筒編





お茶筒を買ったのは、そのときが初めてでした。
それまで、お茶筒入りのお茶をいただいたり、夫の母が使っていたものがあったりで、買ったことがありませんでした。
開花堂のブリキのお茶筒です。大きい方は高さが六寸五分あります。

toki-sappさんも同じものを持っていたと、さがしてみたのですが、さがし方が悪くて、見つかりませんでした。




開花堂のお茶筒は、蓋を置くと、音もなく下がっていくと言われているのに、せっかちなので、いつも押しつけて閉めていました。
試しにやってみたらできました。それほど精巧にできています。

買ったのは、かさばるお菓子入れのためでした。
ひと袋が小さなガラスビンに入りきらない量や形のお菓子を、それまで大きなガラスジャーに入れていましたが、どれも重くて大きくて取り扱いが面倒だし、口も大きいので、密封性のいいビンはあまりありません。

しかし、お茶筒にお菓子を入れると、夫があまりにも頻繁に開け閉めするので、危険を感じて海苔入れに変更しました。お菓子はビンに戻しました。
夫は、自分の意思でその気になれば慎重に行動しますが、たいていは、そもそもその気にならないので、なんでもちょっと乱暴に取り扱います。

海苔入れにして安心していたある日、ふと気がつくと、缶の表面が汚れていました。
「ひえぇぇっ」
拭いても、取れません。浅く錆びています。
犯人は、もちろん夫でした。見ていると、ご飯に海苔を巻いて食べようと、ご飯粒だらけの手で開け閉めしています。

以後、食卓に座っている夫の手が容易に届かないところに、お茶筒を移してしまいました。




開花堂のお茶筒の小さい方にはお茶を入れています。いい具合です。




夫の母が使っていた、桜の樹皮を貼ったお茶筒です。ほうじ茶を入れています。
これも密封性は高いと思いますが、開花堂のお茶筒にはかなわないようです。




母のところから、煮干入りできた煮干筒です。
私は煮干を冷蔵庫に入れていましたが、ブリキ缶でもいいのかと、真似してみたらすぐにかびてしまいました。どうやら、昔の煮干は、もっとからからに干していたようです。

これは母が、買ったものなのか、それともいただいた煮干が入っていた缶なのか、聞きそびれましたが、このどぎつい赤一色が、私はとても気に入っています。




お茶筒は買ったことがないと書きましたが、この錆びたブリキ缶は、ずいぶん前に、アンティーク・タミゼで買ったものです。
種でも入れようかと買ったものですが、大きすぎてなかなか使えません。缶は遊んでいます。




このごろは、ポットに熱いルイボス・ティーをつくって置いて、飲んでいますが、カンボジアに住んでいたころは、ヴェトナム茶を煮出して、土瓶に入れておいて飲んでいました。
その、ヴェトナム茶が入っていた缶です。
素朴な形が好きで、一つだけ残しておきました。ピカピカに光っていましたが、だんだんしっとりしてきました。今でも中国茶を入れています。






2011年10月24日月曜日

台所道具 布編





台所で手を洗い、手を拭く回数は、洗面所で手を洗って拭く回数より、ずっと多い我が家です。
料理中はもちろん、食事前にも、お茶の時間にも、たいてい台所で手を洗って拭きます。

手拭き掛けをどこにどう設置するか、頭を悩ませるところでした。
必需品なのに、あんまり目立って欲しくない、使い勝手のいいところに置きたい、乾きやすいように広げて掛けたい。そんな希望を満たすよう、引き出しの取っ手が、手拭き掛けとしても利用できる調理台を、選びました。
調理台の甲板は自分でつくりましたが、引き出しは既製品です。




仮設小屋から移り、家に住みはじめて二年半ですが、厚手のインド綿の手拭きは二代目です。とても具合がいいのですが、二枚しか買っていないものが、そろそろくたびれてきました。




さて、どうしようか。
手持ちの上海布を80センチに切って、両端をくけてみました。幅は60センチあります。




手つむぎのインド綿ほど厚手ではないけれど、吸水性もよさそうと思ったのですが、使ってみると、やっぱり頻繁に使用すると湿った感じになります。
もっとも、ちょっと時間を置くと、インド綿より乾きは早いようです。




もっと厚手の布にした方がいいかどうか、しばらく様子見です。
リネンなら簡単に探せそうですが、手拭きとしてはあまりリネンを使う気にはなれません。リネン=布巾のイメージがあります。やっぱり手拭きとして好きなのは木綿です。




手拭き以外の台所の布の、布巾、台布巾、洗い籠用の布巾は、引き出しの取っ手ではなく、専用のタオル掛けに掛けています。
最初、あちこちの取っ手に掛けていましたが、散漫な感じになり、引き出しの開け閉めに支障もあるので、ちょっと邪魔ですが、一番開ける頻度の少ない引き出しの前に、ふきん掛けを置きました。




軽くて動かしやすいし、そう邪魔にはなっていません。
台所の布類は、目に入りやすい分、どうするのか、なかなか難しいところです。





2011年10月23日日曜日

峰寺山西光院





八郷に、峰寺として親しまれている西光院があります。
山の中腹の急な傾斜地に、舞台を組んで建てられています。一度江戸時代に消失(1777年)して再建(1779年)されていますが、平安時代(807年)に開かれたお寺です。

西光院という名前からして、建設当時は、仏教の聖地インドの方向、八郷では筑波山の方向に開けていたと思われますが、樹齢600年のスダジイにすっぽり覆われて、西方向は、まったく視界がききませんでした。

ところが数年前、台風などでスダジイがお堂を損傷する恐れがあるので、大きく枝が切り落とされてしまいました。
最初はむき出しになった景色になかなかなじめませんでしたが、本来の姿ではあったのだなあと、やっとなじんできました。




この日は曇りでしたが、八郷盆地の一部が見晴るかせます。
稲を刈り取られた田んぼは、ひこばえで緑に見えています。



霞ヶ浦はうっすらと見えましたが、この日太平洋までは見えませんでした。



2011年10月22日土曜日

ガーナの打ち出しの箱





銅打ち出しのガーナの箱です。
純粋な銅ではなく、亜鉛が少しは混じっているようです。アシャンティー人がつくったものだと思いますが、もしかしたら違うかもしれません。




この箱は、底が上がっています。




底は、鉄板のようなものでできています。何かの廃物利用でしょうか。




蓋の上部は打ち出しですが、かぶせる部分と胴部分は、銅のリベットで留めています。リベット、しかも手づくりのリベットで留めるのは難しいのですが、とってもうまい、しっかり留まっています。




この箱は、上の箱よりもう少し亜鉛が多くて、真鍮に近いでしょうか。





手入れもしていませんが、緑青も出ていません。




入れてあるのは、ヴェトナム戦争終結後、15年ほど経ったころのラオスで拾った薬莢です。