2011年11月29日火曜日

長椅子カバー




この長椅子は新しいものですが、このタイプの長椅子の三人がけや一人がけとは、もう30年のつき合いです。
椅子に置いてあるマットレスのカバーははずして洗えるようになっていますが、今までの経験では、マットレスカバーを洗うのは手間がかかる上にそうきれいにはならず、だんだん形が崩れてきて、やっかいなものです。




そこで、新しい長椅子はインド綿のベッド用布でマットレスを覆うことにしました。
インド綿のベッド用布は、ぴったりの大きさで、大きすぎも、小さすぎもしません。布は厚手、ハンドプリントがいい感じ、お値段も安く、洗うのも簡単と、文句のつけようがありません。
数枚の布を、回しながら使っています。




昼休みには、いつも夫が長椅子の上で昼寝しています。
夫に占拠されないときは、犬が憩ったり、猫が眠ったりしています。




それでも、泥足や作業ズボンで汚したりしないか、目を光らせている必要がありません。布が汚れたら、引き剥がして洗えばいいのです。
冬は暖かい色がいいと思うのですが、夫は断然「白派」です。まあ、白っぽい布が一番汚れが目立つので、清潔に保てると言えば、言えるのですが...。



貯金箱





飾り物の貯金玉はたくさん持っていますが、現役の貯金箱は二つだけです。

トラ(猫)の食事用のお皿の横においてあるネコバスの貯金箱は、旅行貯金用です。財布の中に500円玉があれば、この貯金箱に入れます。
以前は、一定額たまると、郵便局に持って行って、一万円札と交換していただいていました。でも、小さい郵便局なので、局員さんたちと顔見知りになるにつれ、手間をかけるのが申し訳なくなり、今では一万円になった時点で自分で交換して使っています。

ただ、困るのは、500円玉は貯めるものなので使うことに抵抗があること、ときには一万円になる前にお札と交換してしまうこと、交換した500円玉なのに、お財布の中にあると再度貯金箱に入れたくなってしまうことくらいでしょうか。

昨年は、この500円貯金でタイ、カンボジアに行きました。原発事故のあとの一時避難も、500円貯金でまかないました。




こちらは、貯金箱ならぬ貯犬箱です。
コインをお皿に入れてやると、




美味しそうに食べます。
何度見てもおかしいので、子どもたちが遊びに来ると、下からコインを取り出しては、犬に食べさせます。
貯犬箱には、500円玉以外のコインも入っています。




イギリスのポストの形をした貯金箱は、きれいな色合いで、愛用していましたが、六年間の仮設ビニールハウス暮らしで、陽に当たりすぎ、すっかり色あせてしまいました。
今更、飾り物にもならず、捨てるわけにもいかず、そこいらでごろごろしています。一時は500円貯金にもかかわっていましたが、今では、記念コインが数枚入っているだけの寂しさです。




2011年11月28日月曜日

いりこかご





いりこ(煮干)かごです。
宮崎県の日之影町に住む、小川鉄平さんにつくっていただきました。

小川さんとは、水俣のかごやさんのご紹介で、前々から欲しかった「かるい」をつくっていただいて以来のおつき合いです。




廣島一夫さんの作品集である、『A Basketmaker in Rural Japan』(ルイーズ・コート、中村憲治著)のなかには、美しい籠がたくさん載っています。
日本を代表する籠師である廣島さんのつくるような、美しい籠を手にすることはできないかと、以前、小川さんにお願いして、「腰てご」をつくっていただいたことがありました。




伊那の知人宅にも、小川さんのかるいが置いてあったりして、お会いしたことはないものの、身近に感じる小川さんに、「いりこかご」をお願いしたのは、もう五年も前のことです。
「また時間がかかりますが、喜んで」
というお返事をいただいて、楽しみにしていました。

それから、三年くらい経ったある日、突然、「いりこかごを発送した」というお電話をいただきました。値段が高くなったので、あらかじめ知らせておくために電話したとのことでした。

その値段を聞いて、電話口で一瞬息を呑みました。予定していた値段のほぼ倍でした。
ついつい、
「もっと前に言って欲しかった。今回は払いますが、もう一つお願いしている籠は、手をつけてなかったら、なかったことにしてください」
と、言ってしまいました。

籠つくりがたいへんな仕事であることはわかっています。しかし、私が籠に支払う金額は、私の中でほぼ決まっています。それ以上であったら、欲しくても手を出さなければいいのです。

人から見れば、「なあんだ」という額であっても、なんとなくそこを越えたくありません。矜持というほどのものではありませんが、自分の「分」をわきまえるというか、不必要な贅沢はしてはいけないという気持ちが、どこかにあるのです。




さて、まもなく荷物が届きました。
いりこかごは素晴らしいできばえでした。

生活習慣の変化から、長年かかってつくりあげ、継承してきた手仕事の技術が失われようとしているのに、小川さんは生活をかけて、手仕事を次の世代に継承しようとしているのです。そのことが、いりこかごからひしひしと伝わってきました。

頭が下がる思いでした。
これ一つつくるために、いくつの試作をなさったことでしょう。
しかも、農具などと違って、これからいりこかごを注文する人は、日本国じゅう探しても、ほとんどいないだろうと思えるのに....。




その夜、小川さんに電話しました。
失礼なことを言って申し訳なかったこと、いりこかごは快くいただいたこと、もう一つお願いしている籠も、こつこつお金を貯めておくので、お願いしたいことなどを伝えました。




今、我が家のいりこは、母からまわってきた手漉き和紙のちり紙に乗って、「世界一ぜいたくないりこ」として、いりこかごに収まっています。
いりこかごにあふれんばかりの量のいりこは入れられませんが、いりこも幸せそうです。




片づけ忘れたのか、縁巻きに使ったひごが一本、籠の中に残っていました。
素敵に美しいひごでした。


2011年11月26日土曜日

石今昔


先日、コンクリート打ちした斜路の真ん中に石段をつくるため、山越えをして、石の町真壁に、平らな石を買いに行ってきました。




三月の地震直後には、どこの石屋さんの庭先にも、首が取れたり、倒れたりした、痛ましい姿の観音さまやお地蔵さまたちが転がり、瓦礫となった首や手が山積みにされていました。
八ヶ月たったいまでは、瓦礫はすっかり片づけられ、前より数は少ないかなと思うものの、新しく運び込まれた石像たちが、「真壁風景」をつくっていました。




それにしても、こんな大きな石像は、誰が買って、どんなところに置くのでしょう。度肝を抜かれるような石の彫刻たちが、ずらりと並んでいます。
これらは、いまではすべて中国でつくられています。




八郷には、ちょっと昔の石屋さんの仕事が、辻々に立っています。
お地蔵さまや土地神の祠だけでなく、「軍馬供養塔」、「馬頭観音」、「二十三夜供養塔」など、いろいろあります。




それにしても、これはどうしたのでしょう?
「二十三夜供養塔」がすっかり埋まってしまったにしては、のどかに立っています。




さて、軽トラックに十枚(限界)積んできた石は、石段になりました。




斜路と、石段の間には、先日、どくだみと芝を取り除くために掘り返した、タマリュウの残りを植えました。



2011年11月25日金曜日

風俗人形





民族衣装をまとった、いわゆる風俗(民族)人形をほとんど持っていませんが、少しだけあります。
どれも、夫のお土産です。

エチオピアの男性が、水煙草を吸っています。
エチオピア人が水煙草を吸っているのを見たことがありませんが、どこかに吸う地域があるのかもしれません。まさか、楽器を吹いているのではないでしょう?

ウールと木綿でできています。




これは、マサイ人のカップルですから、ケニア土産でしょうか。
土人形に布を巻いているところが、おもしろいところです。




風俗人形とはちょっと違いますが、太鼓を叩く人、カンボジアの青銅の鋳物です。




まだ、カンボジアが国連にも国として認められていなかった、日本とも国交のなかった、1980年代の半ばに、初めてカンボジアを訪れた夫が買ってきてくれたものです。

当時は車もほとんど走っていなくて、商店もほとんどなかったはずです。
いったいどんあところで買ったのか、聞き忘れてしまいました。






2011年11月24日木曜日

ハーベスタ初体験



陶芸家のIさんから、ハーベスタ(動力脱穀機)を使ってみないかとのお誘いをいただきました。

Iさんの家にはなんでもあります。
「足場板を使いたい、単管パイプが欲しい、断熱材はあるかしら?」
たいていのことは、Iさんの集めたもので間に合います。ハーベスタは、三年ほど前に、もう使わない農家から譲り受けたものだそうです。

我が家では、毎年足踏み脱穀機で脱穀しています。
籾がそこらじゅうに散らばったりしますが、そのときのたいへんさは、そう苦になりません。ただ、籾とごみが激しく入り混じるので、それを取り除く作業に、あとあと多大な時間を取られるのが憂鬱です。
いったん袋に入れておいて、暇を見つけながら取り除く作業をすると、いつも二月くらいまでかかってしまいます。

足踏み脱穀機より、ひどいということはないだろうと、ためしにハーベスタを使わせていただくことにしました。




今年の米づくりは、夫が膝を痛め、私も草取りをさぼったので、コシヒカリは草に負け、ほぼ全滅でした。しかし、赤米は野生種により近いのか、草にも負けず、今年吹いた強い風にも倒れず、平年並みに収穫できました。
もっとも、赤米の作付けは二畝くらいだったので、全体量は少なく、軽トラックに全部の稲束が乗り切りました。




初めのハーベスタ、予想以上に便利でした。
稲束は勝手に手元から奥へと運ばれ、籾は自動的に袋に入ります。




しかも、籾にはごみが混じらず、赤米の長いノギも折れて、手間入らずで籾摺り機にかけられるきれいさです。




いつも混じってしまうごみはは、後方に勝手に排出されています。

天国です!

これからの長い冬、暇を見つけてはごみを取り除くという単調な「庭先仕事」から完全に解放されました。それだけの時間があれば、セーターなら、ゆうに二枚は編めるでしょう。

人間はこうやって便利なものになじんでいくのでしょう。
それが実感できる、肉体疲労も精神疲労もゼロの一時間ほどでした。





2011年11月23日水曜日

素麺の箱



薄いものや小さいものの飾り方には、工夫が必要です。
普通の棚に並べて置いても場所をとるだけで、あまり見栄えがしません。




というわけで、いただきものの素麺の空き箱は、薄いものや細かいものを飾る額や棚をつくるための、格好の材料でした。

額にはそのままで、棚をつくるには、素麺の箱の蓋を切って棚板にし、接着剤で貼りつけました。
いくつか持っていましたが、母屋が完成してから、つくりつけのをつくったので、素麺の箱の棚は不要になり、処分してしまいました。今残っているのは、これだけです。

櫛と匙、そして口琴を飾っています。




上の二つの櫛は、ばらばらの歯を、紐を編んで固定してつくった櫛です。
南米、たぶんペルーのものではなかったかと思います。

左の上から二番目の、櫛目の細かい櫛は、梳き櫛でしょうか。学生時代に、上野池之端の櫛屋さん、「十三や」で買って、実際に使っていたつげの櫛です。

そして、右の上から二番目の縦長のネパールの櫛は、シラミを取るための梳き櫛です。割った竹に細い竹ひごをはさんで、紐で巻きながら固定してあります。
ペルーの櫛もそうですが、木を櫛目に削り出さなくても、櫛がつくれることを、この櫛を見て初めて知りました。




箱の下の方に二つ並んでいる櫛のうち、下の歯が粗いものは、京都四条川原町の櫛屋「二十三や」で買った椿の櫛です。
どうしてつげではなくて、椿の櫛を買ったのでしょう?たぶん、安かったからだと思います。長い間、実際に使っていました。

池之端の「十三や」は、九(く)+四(し)=十三で十三やですが、川原町の「二十三や」はどうして二十三なのか、ながらく不思議に思っていました。
「二十三や」は、唐(十)櫛を商っていたので、十三+十=二十三や、だそうです。

上の櫛はどうしたものだったか、忘れてしまいました。
もしかしたら、タイの櫛だったかもしれません。




匙は、小さいものは、友人のNさんにいただいた、おもちゃのセットです。
そして、大きいものは銅版を打ち出したガーナのものです。
金を計るときに、この匙を使っていたとのことですが、真意のほどはわかりません。





2011年11月22日火曜日

羽根



ムクロジの実は、羽根つきの羽根の重石として使います。
羽根が、どこかにあったはずだとさがしてみましたが、見当たりません。
お正月も近づいたので、骨董屋のさわださんがきっと持ってくるはずと、羽根目当てに骨董市に行ってみました。

やっぱり持っていました。
ところが、羽根の箱に入っているのは、ほとんど山茶花を一回り大きくしたような形の、大きくて平べったい羽根ばかりです。




やっと二つだけ、目当ての羽根(左)を見つけました。
昔は四個とか五個セットで、竹を割ったものにはさんで売っていたものです。
「長い羽根はこれだけしかないの?」
「あっ、なくなってる?飾り羽根ばかりになっちゃってるなぁ」

そうか、山茶花のような形の羽根は、押し絵の飾り羽子板と対にして飾る、飾り羽根のようです。見た目が豪華ですが、あまり飛びそうにありません。
しかたなく、羽の短いの(右)も二つ、買いました。飛ぶかなぁ。
どれも、かわいいムクロジがついています。




羽子板は持っていますが、せっかくだから遊んでみようと、デッドストックの羽子板も買いました。
羽根は100円、羽子板は300円です。

家に帰ってから、さっそく羽根をついてみました。
羽の長い追い羽根はよく飛びますが、やはり羽の短いものは高く飛びません。すぐ落ちてきます。

羽子板はつくりが雑ですが、軽くて、なかなかの使い勝手です。おもちゃ屋さんの羽子板を買ったのは、もしかして子どもだったとき以来でしょうか?




羽子板は、もともと二つ持っています。
左は、その昔、雑誌『季刊銀花』に載っていたもの、あまり実用的ではなさそうです。
真ん中は、鹿児島神宮の授けものです。息子たちが幼いころよく遊んだので、持ち手が真っ黒くなっています。




銀花の羽子板も、鹿児島神宮の羽子板も、鮮やかな色でしたが、木の色が濃くなり、反対に彩色したところは褪せて、すっかり古びてしまいました。




羽根つき、凧揚げ、独楽回し、竹馬。
お正月の戸外の遊びは一通りできますが、最近でもお正月近くになると、これらがおもちゃ屋さんや駄菓子屋さんに並ぶのでしょうか?


2011年11月21日月曜日

わさびのビン





骨董市で、きったないビンを見つけました。傾いたまま、蓋が錆びついています。
「蓋は開くのかしら?」
と聞いたら、
「う~ん。やってみるか」
と、割れたら元も子もないのに、骨董屋さんが無理やり開けてくれました。

その骨董屋さんは、細々したものをいっぱい持っていますが、いつも、半分は段ボール箱の中で新聞紙に包んだままです。あんまり細々しているので、出し切らないうちに一日が終わってしまうようです。
そして、例えば石蹴りでも、あっちに一つ、こっちに一つと散らばっていて、しかも他のものの下敷きになっていたりして、なかなか全貌はつかめません。

「これは珍しいビンだよ。見たことないもの」
「洗ったら、きれいになるかしら?」
質問ばかりです。
「なるなる」
半信半疑でしたが安いので買ってきました。

「こっちのビンは高いんだ」
と見せてくれたビンは、コカコーラのビンです。
「初期のビンで、アメリカのものだけれど、あまり古いから、銀化しているんだ」
「ふ~ん」
まるで新しいもののように透き通ったビンの一部が、きらきらと虹色に光っていました。
値段は聞きませんでした。




さて、きったないビンは、洗うと簡単にきれいになりました。
「髙砂山葵會社」のエンボスがあります。

ネットで調べてみたら、ロシア語らしいサイトにヒットしただけ、画像は見つかりましたが、髙砂山葵會社がどこのどんな会社かは、さっぱりわかりませんでした。




ビンを上から見ると、口が楕円形です。
道理で、蓋がうまく閉まらなかったわけです。
それにしても、こんなゆがんだ口に、無理やり丸い蓋をしてわさびを詰めて売っていたのですから、驚きです。




ブリキの蓋は、何かの廃物利用のようです。
腐って炭化した紙をはがすと、模様が見えました。

古いビンで、楽しい一日を過ごしたことでした。






2011年11月20日日曜日

炊飯あれこれ





炊飯は、最近は圧力鍋を使うことが多いのですが、これまで使っていた磁器の鍋と琺瑯の鍋に加えて、最近無印良品の「おこげ」を買ってみました。

というのも、持っている炊飯用磁器鍋には、蓋がきっちりと閉まらないという欠陥があり、ちょっと気になっていたからです。
磁器鍋の欠陥については、購入直後にお店に聞いてみましたが、
「作者が、欠陥品ではない。吹き上がってきた重湯が隙間をふさぐから、問題ないと言っている」
と、説明されました。
迷いましたが、その当時は炊飯用の土鍋を持っていなかったので、返品せず買ってしまいました。

「ご飯は、もっと美味しく炊けるのではないかしら?」
と、美味しく炊ければ炊けるほど、高望みしてしまいます。
というわけで、磁器鍋に加えて、今回の「おこげ」の購入に至りました。

圧力鍋と琺瑯鍋は、炊飯にも使っていますが、炊飯だけの目的で買ったものではありません。




「おこげ」購入後、数日かけて炊き比べてみました。いずれも三合炊きました。
「おこげ」は、使用説明書のとおりに、20分水に浸し、中火で17分炊き、20分蒸らしました。




琺瑯と磁器鍋はこれまでやっていたとおり、20分浸し(時には省略)、沸騰したら弱火にして15分炊き、10分蒸らしました。




蓋がしっかり閉まらない磁器鍋は、沸騰したら、蒸気が逃げないよう濡らして絞った布巾で鉢巻をします。




そして圧力鍋は、蒸気が吹いてきたら、弱火にして7分炊き、10分蒸らしました。

さて、お鍋の扱いやすさは、どれも同じくらいです。
しっかり蒸らして、炊飯後しばらく水を張っておくと、鍋底を洗うのは簡単です。
炊き上げ時間は、圧力鍋がもっとも短いのですが、そう大差はありません。

肝心の味です。
どれも美味しく炊けましたが、一番もちもちしていたのは圧力鍋でした。次にもちもちしていたのは、磁器鍋と琺瑯鍋、「おこげ」が一番うるち米っぽい、言い換えればもちもちしていませんでした。
「おこげ」だけ、火加減が違ったからかもしれません。

今度、「おこげ」でも、私流の火加減で炊いてみようと思いながら、まだ果たしていません。
というのも、実験の途中でありながら、むかごご飯や栗ご飯、お赤飯などを炊くときは。やっぱり圧力鍋を使ってしまったからでした。


追伸:

なんと、「おこげ」のことを教えてくれたtoki-sappさんが、「おこげ」をアップしていました。



2011年11月18日金曜日

母の鍋つかみ





日曜日に母を訪ねたら、
「これが最後の鍋つかみ」
と、魚をアップリケした鍋つかみをくれました。もともとつくりためておいたものが、一つだけ残っていたようでした。
「もう、つくることも、使うこともないから」
と、母。
同居している妹が欲しがらないのかと思いましたが、
「私はもっと大きいのを使うから」
と、全然関心を示しません。
どうやら、母のまわりで喜んで使っているのは、私だけのようでした。




母のつくる鍋つかみは、五十年一日です。私がまだ一緒に暮らしていたころから、台所にはこんな鍋つかみがぶらさがっていました。
無地のウール布に、綿を入れたアップリケをしてあります。
太い糸で地をキルティングするとか、裏地(チェックのウール)にも気を使うとか、もう少し何とかすれば、味のあるものになるのにと思いながらも、そうなっていないのが母らしいところです。
また、バランスを考えないで、これでもかとアップリケをてんこ盛りにしてあるのも、母らしいところです。




我が家では、思えばずっと母の鍋つかみを使ってきましたが、擦り切れたり、汚したり、片方を焦がしたりして、今はペアでないものがぶらさがっています。




手元にあるのは、以前もらったお鍋模様のものと、




クワイ模様のもの、そして今回もらった魚模様の三種類です。

仕事は速いけれど、大雑把な母です。
しかし、いくら雑と言っても、クワイの鍋つかみの下地の布が左右で違うのは、雑すぎます。
きっと、いくつもつくって箱に入れていたときに、ペアが離れてしまったのでしょう。