2012年1月31日火曜日

薬箱


救急箱(薬箱)は、食器棚のわきの、出し入れしやすいところに置いてあります。


この籠です。
救急箱の下は掃除機入れ、上は果物鉢、その上は菓子器です。

ところが、消毒液を使おうとして開けてみると、中がめちゃくちゃになっていました。
中も見ず、救急箱の蓋をちょっと持ち上げて、とりあえず入れておいたものなのか、
「もし、痛くなったら飲んでください」
といただいた、歯医者さんの痛み止めが、袋ごと、四つも五つも入っていました。使用期限の過ぎた目薬などもあります。

 

長い間、救急箱を開けなくても過ごせたことを感謝しつつ、整理しました。
なぜ、数年も救急箱を開けなくてもよかったのでしょうか?


理由はこれです。
しょっちゅう出番のある絆創膏だけをは、別の救急箱に入れて、コンピュータのある部屋の、夫と私の机の真ん中の柱に掛けています。
椅子に座りながらも、手を伸ばせば届くところです。


日常生活では、小さな傷をすることも多く、この救急箱の中には、時には多すぎるほどの絆創膏が入っていることもあります。

 
いまは、適量か少ないくらい。大小取り揃えています。
壁掛け用の、小さな救急箱は、イギリスのものです。


薬箱と言えば、富山の薬売りの置き薬の箱があります。
でも、小さいころ過ごした倉敷では、このような薬箱は見たことがありませんでした。置き薬は、壁にかける、(たぶん二段になった)状差し型の容器に入れていました。


どうやら置いてもらう地域によって、あるいは置く薬屋さんの住む地域によって、引き出しのついた箱型の薬入れと、状差し型の薬入れとがあったようでした。


2012年1月30日月曜日

ヨーロッパ大陸型ボビン


以前アップした、イギリスの、ボビンレースを編むためのボビン(糸巻き)です。


『少年民藝館』 に紹介されているボビンも、イギリスの、ガラスビーズのついているボビンでした。


ところで、『少年民藝館』 のもう一葉の小さな写真を拡大してみると、解説ではフランスの蚤の市で見たような(ヨーロッパ大陸の)ボビンとなっていましたが、なんと、大陸のボビンに、イギリス風のビーズをつけたものでした。
いったい、どこのボビンだったのでしょう?


これが、ヨーロッパ大陸型ボビン、 チェコのものです。
白っぽいのはブナの木製、色が濃いのはプラムの木製です。石の飾りがついたものもあります。
ボビンレースを編む人のために、今でもつくられている、実用品です。

 

そして、スロバキアのボビン。
端に飾りを彫りだしているのは、ボビン職人の遊び心でしょうか。それとも、他のボビンとは違うんだという、「看板ボビン」なのでしょうか。
轆轤で引くだけでよいものを、一手間も二手間もかけた、手の込んだボビンです。


ボビンは、もともと糸が引っかからないよう、すべすべに仕上げてありますが、使い込んだものは、さらに光沢が加わっています。下のボビンはスカートつきです。どうやって使うものだかは、わかりません。
どちらも、チェコスロバキアのボビンです。

ボビンレースは美しいものですが、ボビンも美しいものです。






2012年1月29日日曜日

今日はのんびり


我が家の狩猟名人、その片鱗も見せず、昼寝に余念がありません。

 

近くに巣をつくって子育てしている、命知らずの雉の子雉たちが、大胆にも庭を集団で横切っていましたが、今なら大丈夫です。
でも、油断は禁物です。


猫は、いつでも遊び相手になります。
猫じゃらしさえあれば、机の下を塹壕に見立てて、


隠れたり、飛びついたり、でんぐり返しをしたり。
でも、この乗りで、どうして鳥が捕れるのか、不思議です。



猫は待つことにも、飛びつくことにも、飽きることを知りませんが、人間の方がすぐ飽きるので、


猫じゃらしで遊ぶのは、長くても三分くらいです。

2012年1月28日土曜日

自転車こぎ器具


夫は、もう20年来、高血糖です。
高血糖歴が長い割には、さらに高くならないよう、なんとか保ってきました。

まず、数年で体重を10キロ以上(最高時は15キロ)落としました。

そして、一日一万歩とまではいきませんが、散歩を心がけていました。ところが、石や材木など、重いものを日常的に持つ生活をしたため膝を痛め、長い散歩ができなくなりました。

というわけで、勧められて買ったのが、自転車こぎ器具です。
ところが、なかなか長くは座っていられません、私もやってみましたが、時計ばかり見て、五分もこいでいると、飽きてしまいます。


毎年のことながら、お正月以降、体重は増し、血糖値はあがりっぱなし、180になってしまいました。
おいしいものをたらふく食べ、ワインをがぱがぱ飲み、労働も運動もしなかったので、つけがきたのです。(写真は妹の手づくりお節ですが、これのせいではありません)


日曜日に、朝からがたがたしているなと思ったら、夫が、自転車こぎ器具に、古いコンピュータのディスプレイを取りつけていました。


台をつくり、それにディスプレイをねじ止めしてあります。


「これで、退屈しないぞ」


イヤフォンはコードレス。音楽を聴き、無料の映画を見、本屋さんから月ぎめで借りる映画も見て、自転車こぎは、るんるんです。

設置以後、それまでせいぜい十分程度だったのに、気がつけば小一時間やっていたりします。 おかげで、180にまであがった血糖値が、150、130、120と順調に下がりました。

2012年1月27日金曜日

クマシ市場のかわいいものたち


ガーナ(アシャンティ)の小さな籠です。
西アフリカ一大きいクマシ市場で、店を持たない少年が歩きながら売っていたものです。家の人がつくったのか、自分でつくったのか、確か、数個だけ掌に乗せて売っていました。

一期一会。
この籠も、似た籠も、常設のお店で見ることも、行商人に出会うことも、二度とありませんでした。


もう褪せてしまいましたが、縁のところ、茶色く染めた材料と黒く染めた材料を使っています。
葦のような草の葉だと思っていましたが、もしかしたらラフィアのようなヤシかもしれません。

クマシ市場の別の少年行商人からは、缶詰めの空き缶にヤギの皮を張った、おもちゃの太鼓を買ったこともありました。
ところが、生の皮だったのか、いつまでもカビがひどくて、とうとう捨てなくてはなりませんでした。


隣に住んでいた、アメリカ人のジョーンがくれた、安産のお護りです。
これは、クマシ市場常設のジュジュスタンド、つまりまじない道具屋さんで買ったものでしょう。

 

アフリカビーズは、地味だけれど味わい深いものがあります。


ビーズと言えば、別のビーズもありますが、やはり地味なビーズです。


クマシ市場で、いわゆるトンボ玉を見ることはありませんでした。

広大で、すべての店を回ると、立ち止まらなくても一時間ぐらいかかるクマシ市場は、疲れるところでしたが、最高に楽しいところでもありました。

まじない道具屋の店には、猿の頭蓋骨など、匂いの強いもの、怪しげなものばかり並んでいて、いつもその前は足早に通り過ぎてしまいましたが、惜しいことをしました。
面の皮の厚くなった今なら、じっくり話も聞きながら、隅から隅まで見たことでしょう。


2012年1月26日木曜日

液体を運ぶ


たぶん、お酒を入れて、持ち歩くもの、酒入れだと思います。


後ろについている留め金を、帯に挟んで持ち歩いたとしたら、男性も着物を着ていた時代のものでしょうか。


一枚の板金(いたがね)を叩いて、水筒の形をつくり、


入れる口と注ぐ口をつけた蓋をかぶせて、つくってあります。
やはり打ち出してつくった杯は、ぴったりとおさまります。
「いい仕事をしています」

東京郊外の、母の家のすぐ近くにある、住宅街の中の昔風の骨董屋さん。
いつも外から見るだけでしたが、酒入れに惹かれて入ってしまったのは、ずいぶん前のことです。
骨董屋のおじさんは、
「こんなものに、女性が目に留めるなんて、珍しいねぇ」
と言って、大まけしてくれました。

酒器が好きと思われたのでしょうか。
そうではなくて、水差しにしろ、オイルポットにしろ、水筒にしろ、液体を入れる容器が、好きだったのです。

金属は、銀と錫の合金のようです。


田んぼに持って行くとよさそうな、アルミの薬缶です。
あまり見たことのない形ですが、麦茶などを入れるものでしょうか?
デッドストックだったのか、使った形跡はありません。而今禾(じこんか)で見つけました。


蓋兼カップには、「意匠登録100006」とあります。

2012年1月25日水曜日

パラソルチョコ


のど飴を買いに寄ったコンビニで、ばら売りの、不二家のパラソルチョコレートを見つけました。
なんか懐かしい。
歳の離れた、幼い妹たちと同じおやつをもらっていたので、毎日のおやつのお皿には入っていなかったけれど、遠足のときにでも持って行ったのか、それとも高校生になって、友だちと食べたのか、なじみのチョコレートです。
久しぶりに目にしました。

二本だけ買って、パラソルチョコを覚えていない夫と食べて、次に同系列だけど別のコンビニに寄ったら、置いてありませんでした。
「なんだ、あそこだけだったのか」
わざわざ行ってみたコンビニでは、もう売り切れていました。

しばらくして、不二家に行ってみるとありました。


賑々しい、六本セットです。

 
他にも、 ペコちゃんとハローキティのコラボ(店の人の言い方)のパラソルチョコもありました。

見ていると、長い間忘れていた昔がよみがえってきます。
パラソルチョコにはパラソルチョコの、シガーチョコにはシガーチョコの、そして、ハーシーのキスチョコにはキスチョコの、それぞれ別の思い出が詰まっているものです。


不二家では、余分なものまで買ってしまいました。



2012年1月24日火曜日

牛乗り天神

天神さまへの信仰は、牛とも結びついています。
天神さまは、「天満大自在天神」という神号を持っていますが、大自在天は仏教では白い牛に乗るとされ、そこから天神さまと牛が結びつけられたと考えられています。

天神さまは学問の神様であると同時に、たいせつな農耕の神様でもあったのです。




青森県の下川原人形の牛乗り天神笛です。下川原土人形は小ぶりで、笛が多いのが特徴です。
下川原人形で、もっともよく知られているのは鳩笛でしょうか。招き猫笛もいろいろあります。




土人形の牛乗り天神には、昨年3月の地震で割れてしまったものもありました。
土人形に比べると、地震に強いのは張子です。
これは香川県の高松張子の牛乗り天神(ひょっとしたら牛乗り童子?)です。




やはり高松張子の牛乗り天神です。
90歳を過ぎても制作された宮内フサさんの張子は自由自在、おおらかな天神さまでした。

2012年1月23日月曜日

天神さまいろいろ


郷土玩具は、信仰から生まれたもので、そのほとんどが豊作祈願、子どもの成長祈願、病気除けなど、いろいろな願いに結びついています。

今では、赤ちゃんの初節句にはおじいちゃん、おばあちゃんがお雛さまや端午の節句飾りを贈るだけですが、かつては、親戚の人たち、近所の人たちが、思い思いの土人形を贈ったものでした。

郷土玩具をつくっていらっしゃる方の家を訪ねると、戸を開けたとたんに、土間に、あるいは棚に、色とりどり、大きさもいろいろの人形たちがあふれています。

私の持っている人形は、そんな中で出逢った人形たちです。限られた予算で気に入ったものを、ときには気に入るものが見つからないけれど、せっかく来たのだから何か一つと、買い求めたものたちです。




広島県の三次(みよし)の天神さまです。

一人暮らしの祖母を訪ねての倉敷行きは、結婚してからも、子どもたちが大きくなってからも、祖母が亡くなるまで続きました。
新幹線で行くこともありましたが、車で行くこともありました。
車で行くときは、一ヶ所か二ヶ所、どこかに寄りました。たいていは土人形をつくっているお家です。
三次も、中国自動車道をちょっと先まで走って、訪ねたものです。

これは、松負い天神、背中に松を背負っています。




後ろから見ると、松には彩色されていませんが、型(木型)にはきっちりと松が彫ってあるのがわかります。




兵庫県の葛畑人形の天神さまです。これも祖母の家からの帰り道に訪ねました。
どちらも、1970年代の半ばごろのものです。




立っている天神さまは、滋賀県の小幡人形です。
小幡人形の制作者の細居さんをお訪ねしたことはあるのですが、それは学生時代のこと、この天神さまは、それ以後どこかで出逢ったものだと思います。




この天神さまは、どこから来たのでしょうか?忘れてしまいました。




この豆天神さまも、覚えていません。確か、郷土玩具展のような催し物で出逢ったのではなかったかと思います。

「東風(こち)吹かばにほひをこせよ梅花 主(あるじ)なしとて春を忘るな」
大宰府に左遷された菅原道真は、東の方向にある都を思いながら、903年に大宰府で亡くなっています。
梅の花にちなんで、天神さまの衣装には、必ず梅の花が描かれています。