2014年11月30日日曜日

干した柿


あんなにあった干し柿は、残り少なくなりました。
外側は乾いても中はまだ柔らかく、とろっとしています。
できはじめのころ、柿を下さったKさんの家にも届けました。後日お会いしたら、
「あれは、干し柿じゃねえ。ただの干した柿だ」
と言われてしまいました。


別ものでも、柔らかくておいしいと言ってくださる方もいます。
500個以上むいたのに、もう50くらいになってしまいました。
ジャム同様、ちょっと経てばつくる大変さを忘れてしまいます。また来年もつくりたいものです。




2014年11月29日土曜日

ままごとの蓮華


また買って来てしまった、ままごとのレンゲ、ヴェトナム製です。


五本束ねていた輪ゴムが劣化して、くっついて固まってしまっていましたから、きっと何年も売れ残っていたものでしょう。


小さな町工場で、使い古した鋳型で、つくったものでしょうか。バリだらけです。



紙やすりで、しこしこ、しこしこ。
さすがバリ、線で落ちます。


と言ったって、そういつまでもやっているわけにいかない。
出来上がりはほどほどです。
厚みが厚いのも、薄いのもあったみたいです。









2014年11月28日金曜日

ウッドバーニング


karatさん(日本人)のマトリョーシカです。
優しい色遣い、穏やかなお顔でなごみます。


karatさんのマトリョーシカの線は、ウッドバーニングという方法で線が描かれています。

『ロシアのマトリョーシカ』より、1890年代末、S.Vマリューチン絵

ウッドバーニングは、もともとは火の中でプラチナの針を熱して、それで細い線を描く方法が使われました。いまはほとんど(もしかして、すべて?)の作家さんや職人さんたちが、電気ごてを使っているようです。


でも人によって、こての形や使い方、温度などが違うのでしょうか?
できあがった雰囲気は、一様ではありません。


オリガ・ズベレワさんの細い線は、優しくて淡い感じです。どれが焼いた線で、どれが描いた線か、見分けがつかないほどです。
ブラウスの模様の点々も焼きごてを使ってあります。これはスタンプのようなものでしょうか。


karatさんの焼きごての線は細いけれどくっきりしています。


そして、アンナ・リャボヴァさんの焼きごての線は、太くてごつごつした点線です。
上の二つに比べると、野生的な感じです。
よくは知りませんが、焼きごてを高温にして当てると、すぐ焦げて太くなるようです。そうやっているのでしょうか?


かなり、でこぼこにもなっています。

『ロシアのマトリョーシカ』より、2010年、アンナ・リャボヴァ作

もっとも、リャボヴァさんのマトリョーシカにも、おとなしげな線のものもあります。
これは2010年の作品ですが、こちらの方が気合を入れてつくったのか、それとも年々ワイルドになって行っているのか、そのあたりは不明です。


これは、ちょっと古いマトリョーシカで、お顔などはウッドバーニングの手法では描かれていませんが、プラトーク(マフラー)、エプロン、サラファンの裾などののレース飾りなどだけ、ウッドバーニングされています。

『ロシアのマトリョーシカ』より、1925年、V.Iソコローフ作

今では、ウッドバーニングはむしろ少数派でしょうか。


プラトークの模様もすべてウッドバーニングで描かれているマトリョーシカ、線が全部引っこんでいて、手触りがとてもよさそうです。





2014年11月27日木曜日

ぐりとぐら


週末に、八郷クラフトフェアが開催されました。
開催中の三日間は晴れに晴れて汗ばむくらい、終わったら急に雨や寒気が押し寄せてきました。
主催者の方たちの継続するエネルギーに支えられて、クラフトフェアはもう21回目だそうです。

陶芸家のI.Tさんご夫妻のドーナツは、クラフトフェアでしか食べられない味です。
今年も、夫は会場に着いたら、まっしぐらにI.Tさんのテントに駈けつけました。そして、ドーナツを食べてから、つぎは何を食べようかと考えるのです。クラフトを少しは見たのでしょうか?

会場で出逢ったkuskusさんに、
「郵便局で、ぐりとぐらの切手を売っていて、かわいかったわよ」
と、教えていただきました。
近くの郵便局も、クラフトフェアにテントを一つ出しているのです。


ありました。
あんまりかわいいので、2シート買ってしまいました。一つ取っておくと思えば、もう一つは安心して使えます。
 

ぐりとぐらの絵本を引っ張り出してみました。
『ぐりとぐら』(中川李枝子文、大村百合子絵、福音館書店、1963年)と、『ぐりとぐらのかいすいよく』(中川李枝子文、山脇百合子絵、福音館書店、1976年)がありました。
最初は学生さんだった百合子さんは、二冊目の時は結婚なさって、名字が変わっています。


息子たちが親しんだ絵本は、上の妹に送ってその息子たちが読み、さらに下の妹のところに回ってその娘が読み、二十数年後に手元に帰って来ました。『ぐりとぐらのおきゃくさま』など、数冊は失われてしまいましたが、まだ残っている本があることの方を、嬉しく思います。


切手の図柄は、『ぐりとぐらの1ねんかん』(1997年)や 、


『ぐりとぐらのうたうた12つき』(2003年)など、私の知らない、新しく書かれた本からとられたもののようです。




2014年11月26日水曜日

東欧から来たマトリョーシカ


時代を感じるというほどのものではないけれど、いまどきのものほど趣向を凝らしてもいない、そんなマトリョーシカは、東欧の古い雑貨を商っているお店からやってきました。
遠いハンガリーのあたりで、このマトリョーシカはどんな人たちの生活を見てきたのでしょうか?

ところで、この九人の娘たち、見たところなにも変には感じられません。


他のマトリョーシカと、大きさ比べをしてみても、だいたい同じ比率で小さくなっています。


でも、残念ながら二番目が失われているのです。
それにしても轆轤仕事の腕が確かなことがわかります。失われた二番目の隙間以外、入れ子がぴたっと収まっています。


最近のものはせいぜいこんな感じで、一つ一つの隙間がけっこう空いています。

もっとも、マトリョーシカは一番内側からつくりはじめて、それに合わせながら外へと向かい、最後に外側の一番大きいものをつくるのですから、あまり轆轤さばきの腕を見せつけずに、ある程度厚みや隙間を持たせなくては、小さなセットができてしまうのかもしれません。






2014年11月25日火曜日

穴あき杓子


東京に車で行くときは、渋滞に巻き込まれて遅れないよう早めに出ますが、たいていは早く着きすぎます。
そんなとき、時間つぶしのために立ち寄った雑貨屋さんで見つけた穴あき杓子です。

先日から穴あき杓子が一つ欲しいと思っていたのでちょうどよかったのです。


ヴェトナム製でしょうか。アルミの品質にムラガあり、持ち手と杓子の部分の材質も、純度が心なしか違うようです。

その昔、ヴェトナムでは戦争で撃ち落としたアメリカの飛行機のジュラルミンを再利用したスプーンや杓子が大量に出回り、市場で売られていました。家にもたくさんあったのですが、霧散してしまいました。
ジュラルミンはアルミの合金です。


純アルミの融点は630度、ジュラルミンは650度と低いので、町工場でも加工することができたのでしょう。
1990年代にはまだ、山の中に落ちている兵器の破片の鉄やジュラルミンをさがして再利用している人たちがたくさんいました。

ヴェトナム戦争終結から、来年で40年になりますが、まだあのときのジュラルミンが残っているのでしょうか?


引っかけるところの曲がり具合、金属の切り具合、どれも気に入りました。


買って帰って来てから思い出しました。
インドで買ったステンレスの穴杓子を持っていたのです。もっともこれは炒めものをするときに使っていて、穴杓子が欲しい時にも思い出さないほどなので、もう一つ穴あき杓子があってもいいのです。


しかし、どちらも薄くできています。
この薄さが、お鍋の底に残ったものをすくうとき、歯がゆい思いをしないですむ特徴なのですが、日本の穴杓子はなぜか丸みのついたものばかりです。


もともと、丸みのついたココヤシの杓子があったはずのインドやヴェトナムの杓子が平らで、ココヤシのなかったはずの日本の金属の穴あき杓子は深さがあり過ぎるのはどういうわけでしょう?
ただの杓子だったら味噌汁をよそうためと言えますが、穴あきの場合は、お玉杓子に何も考えずに穴を開けただけとしか思えません。





2014年11月24日月曜日

お茶目なトラック


先日東京に行ったとき、渋滞に巻き込まれました。
ドライブしているときの暇つぶしは、車のナンバーの4つの数字を足したり引いたり、掛けたり割ったり、どれも一度だけ使って10にするという、あの古典的な遊びです。

その昔は、電車の切符の端についていた4つの数字だ遊んでいましたから、年季が入っていて、対向車のナンバーでもぱっと見て、さっと計算できます。
すべて違う数字だと、基本的には必ず10になるはずと言う人もいますが、ときおり難しいものもあります。
それでも、見る数字の七割がたは10になりますが、8888など全部が同じ数字だったり、ゼロが三つというときはお手上げです。


そんな、数字遊びもできない渋滞の中で、ぼんやり見ていた前の車、十四トンの大きなトラックですが、表示が可愛いのに気がつきました。
十四匹の豚で、十四トンというわけです。
また、何を表現したいのかわかりませんが、JALの鶴のマークに似せた、SALのマークもついています。
いままで、考えてもいませんでしたが、「じゃる」は、「つる」とも引っかけていたのかしらと、深読みまでできる、「さる」でした。

まさか、渋滞のとき、後ろの車を楽しませようと貼っているのではないと思いますが。



2014年11月23日日曜日

荷積みの綱

先日、軽トラックで建設材料を買いに行きました。
材木屋さんで、何束か抜き材を買い、ホームセンターではフォークリフトで鉄筋を少し積んでもらいました。

鉄筋は、4メートルもあります。
途中で落ちないようにと、荷積みの綱をぎゅうぎゅう締めていたら、プツンと切れてしまいました。ずっと雨ざらし、陽ざらしにしているので、劣化していたのです。
ホームセンターで切れてよかった、道の途中で切れたら悲惨です。


20メートルの綱を買いました。
長いので、からまって始末に負えません。解くのに苦労しながら材木や鉄筋を結えて帰ってきましたが、これを三つに分けるのです。


トラックの荷積み用の紐は、端が「わ」になっています。
これを荷台のフックに掛けて使います。自分で、「わ」にできるかな?


綱を切り、端はセロファンテープで巻いておきます。
こうして見ると、太い綱と言え、細い糸の集まりであることがわかります。

きつい撚りを戻すようにしながら、できた隙間に、綱の端を別々にくぐらせます。


「できた」
上がもとからの「わ」で、下がつくった「わ」です。
はさんであるだけですが、撚りがかかっているので抜けません。引っ張る力が加わると、もっと抜けなくなります。


これで、
「荷積み綱三丁上がり」
です。







2014年11月22日土曜日

こね鉢づくり



Kさんから、こね鉢をいただいきました。
Kさんの親戚の仏像を彫っている方がつくられたもので、イチョウの木製、直径は一尺五寸(46センチ)ほどあります。


外側は、彫り跡が見えるよう、削り取ってつくってあります。


そして内側はとても滑らかに見えますが、よく見ると刃物の跡があります。
「生木を彫るのでしょうか?」
「さあ...」
Kさんもご存じないようでした。

  
後日、『アンギンと釜神さま-秋山郷のくらしと民具』(滝沢秀一著、国書刊行会、1990年)に、こね鉢のつくり方の図解や写真が載っていたのを思い出し、開いてみました。

『アンギンと釜神さま』は、著者の滝沢さんが、新潟県と長野県にまたがる、秋山郷の暮しを、足で歩いて聞き取った話と、集めた民具で綴った興味深い本です。


内側は、ハチヂョウナ(鉢手斧)で荒削りした後、マエガンナで仕上げると書いてあります。いただいたこね鉢の彫り跡は、ちょっとカーブしていましたので、秋山郷のマエガンナと同じような道具を使ったのではないかと思われます。

山間で、木が豊富にあった秋山郷では、各種こね鉢の他に、いろいろなものを木でつくっていました。こね鉢の材料はトチノキです。トチは食料の木としても大切な木でしたが、以前は山にたくさん自生していたようでした。


鉢のつくり方は図の通りですが、原木を切り倒したら、その場で玉切りにします。
玉切りにした木は、くさびを打ち込んで、芯の部分を除いて、二つ割り、ごく太いものは三つ割りにします。そして底を平らにして、鉢の厚みを決めます。


鉢の直径を決めて、ブンマタを回して、外円と内円を描きます。


まさかりで内を彫り、外を削り、軽くしてから家に運びます。
よい原木だと、一本の木から鉢が70枚も取れたそうです。
いつ頃の写真なのか、後ろにスチール(ドイツ製)のチェーンソーが見えるところが面白いところです。もちろん、生活のためにつくっていた頃はすべて手鋸を使っていました。


仕上げは家でやりました。
仕上げたあとに乾燥させている写真があるので、荒取のときは生木、仕上げの時は半乾き、そして仕上げたあとに乾燥させたようです。
これらの写真は、夏の服装ですが、もともとは冬場に、雪の中でつくったようです。

Kさんにお願いして、できれば仏師さんに、鉢つくりの現場や道具を、見せていただきたいものだと思っています。