2017年3月31日金曜日

遅々として

毛糸のスカートを解いて、かぎ針編みのブランケットを編み始めたのは、もう二冬も前のことでした。
その時は、数日でモチーフが十枚ばかり編めたような気がします。 ところが後が続きません。編むのは冬、それも日曜や雨の日だけ、しかも気が向いた時だけなので、なかなか編み進みません。


このモチーフは、真ん中から編み進みます。
一段目は目数が少ないのですぐできますが、編み進めるにしたがって目数が増え、一段編み終えるのに時間がかかるようになります。
いつだったか、この編み方で何十段も編み続けて、一枚のブランケットに仕上げていた人のブログを見たことがあります。
そんなこと、私には苦行としか思えません。おしまいの方では、何目編んでも編み終わらない、とうてい真似できるものではありません。

というわけで、大きいモチーフをつくると、一段編むのに時間がかかり過ぎてうんざりするし、かといって小さすぎると、それをつなぎ合わせるのが大変なので、七段で編んでいます。


骨董市で籠を買ったらついてきた毛糸は、地味な色が多く、必ずしも気に入った色の取り合わせができませんが、あら不思議、糸で見たときは無理と思っても、編むとなんとなくなじみます。それが、このモチーフの良さでしょうか。


編み物は普通、長く時間をかけて切れ切れに編んでいると、手が違うというか、編み目の大きさが違ってきて、でこぼこして使いものにならなくなって、つっこんだままにしたり、解いたりする羽目になります。
ところがこのモチーフの編み方だと、多少は大きく編めたものや小さく編めたものがあっても、また太い糸や細い糸を混ぜて使っても、なんとなく折り合ってくれます。


イギリスのおばあちゃんたちは、
「今度バザーをするので、何か出してください」
と頼まれると、
「何もないから、ブランケットでも編もうか」
と、この編み方のブランケットを一晩か二晩で仕上げるというのですから、お見事です。
二年もかかって、たった30枚しか編めていない私はもう、脱帽するばかりです。


一応、10×10枚、百枚つなぎにするつもりですが、いつか完成するでしょうか?





2017年3月30日木曜日

つまみ細工の猫


いやぁ、かわいいなぁ。
どんぐりのはかま(殻斗)ではなくて、藁でつくったいづめこのようなものに入った、猫の親子です。
いつも思うのですが、つまみ細工は、顔と身体の生地を変えているのが、芸の細かいところです。
 

子猫たちは綿棒の先ほどの大きさだけど、ちゃんと顔があります。


お母さん猫がもっと倒れていたので、引っこ抜いて、身体を少し立ててみました。


前からいた猫と、同じ場所でつくられたものでしょうか?
 

長い間、仮設ゲストハウスに置いていた、小さなガラスと鏡の飾り棚を、土間入り口に持って来ました。
ガラスの飾り棚というものは、なかなか部屋になじみません。形も、なじみにくい形をしていて、いつまでたっても置き場所が定まりませんが、小さいものの埃除けにはなります。








2017年3月29日水曜日

Facebookから


Facebookで友人(元同僚)が、京都の伏見稲荷を訪れた写真を載せていました。
笑ってしまいました。


反響も大きくて、こんな写真つきのコメントをよこしている人もいました。
この色合わせで行ったのは偶然だったのでしょうか?、それともそのつもりで行ったのでしょうか?

これまでのFacebookで、一番面白かった写真だったので、無断で拝借しました。
Kくん、面白かったよ!


おまけは、一昨日夫が撮った、夕暮れの我が家の居間です。
ガラス窓のせいで、手前にある、土間入り口の照明が足尾山の頂上あたりで輝いているみたいに見えて、幻想的な写真になっていました。







2017年3月28日火曜日

しばらく壁張りが続きます


作業棟の南側の壁です。
漆喰壁にするためには、下地はラスカットというパネルを切って張るだけで簡単ですが、その上の漆喰塗りが、下地も含めて大変です。
というわけで、人目につかない南側の壁は手を抜いて、板張りにしました。

本ざね加工した、床・壁用の無垢の板は高いので、

相じゃくりという、野地板用の杉材を使っています。
坪単価で、なんと、6分の1くらいの値段です。

 
右側完了。


左側は植木屋さん用の脚立を使わないと手が届きません。
脚立を立てるための足場もよくないし、上にものを置くところもなくて、脚立を上ったり下りたりしなくてはならないので、手間がかかりました。


できたぁ!
両側とも張れました。真ん中は、ガラス窓になります。


次は、下屋の屋根の下、南側の壁です。
ここには、大型工作機械用に200ボルトの電気配線してあるので、コードを除けたり、必要なところには点検窓をつくったりしながら壁を張らなくてはなりません。
 

全部張れました。
これで、西側、北側、そして南側と、下屋の下はすべて張り終わりました。
 

次は、写真の右に見える、収納やお手洗いの壁張りです。

夫は二階で天井の連続性を残したまま、しかしゲストルームの気密性を確保できるように、どこでどう空気を遮断するか考えながら、鴨居や敷居を取りつけているところです。
ちなみに、横に渡した細めの材は敷居で、その下は壁になります。夫が手をかけているのは鴨居、鴨居と敷居の間には障子が入ります。
そして、その上にはガラスをはめ込みますが、鴨居の真上にガラスをはめ込むとなると、天井の断面があまりにも複雑なので、少し奥に入った、上り梁(のぼりばり、斜めに見えている材)のところにはめ込みます。





2017年3月27日月曜日

民話語り


こんこんギャラリーでの、陶芸家の高橋協子さんの「きつねづくし展」の最終日、毎年恒例のことぶきゆめこさんの「きつねの民話語り」がありました。
こんこんギャラリーの名前の由来は、その昔、狐がたくさん住んでいた「狐塚」にちなむものですから、まさにきつね尽くしのひとときでした。

ことぶきゆめこさんとは語り部をするときの名前で、本職は陶芸家さん。陶芸家としてのご活躍に加え、十芸家(とおげいか)として、ときにはボサノバのボーカルとして、ときには民話の語り部としても活躍されています。


お話はいくつもありましたが、おもには茨城のきつねの民話で、広島のきつねのお話もありました。
高橋さんもことぶきさんも、並々ならぬきつねへの思い入れを持っていらっしゃって、面白い面白い。 お稲荷さん巡りをしてみたくなるほどでした。
   
後ろの壁に貼ってある「欲のない甚二郎」は、甚二郎がどう村の人たちの生活向上に尽くしたかというお話でしたが、その甚二郎とは、高橋さんが民話の世界に興味を持つきっかけとなった、那珂市に伝わる『那珂の四匹のきつね』の中の、次男狐の名前です。

『那珂の四匹のきつね』は以下のようなお話です。 
旧瓜連町の静神社の近くの山に、きつねの四兄弟が住んでいました。
四兄弟は、
「世の中には人間に悪さをするきつねがいるそうだ。せめてもの罪滅ぼしに、自分たちは人間を手助けしてやろう」
と話し合い、長男の源太郎狐が瓜連、次男の甚二郎狐が本米崎(現那珂市)、三男の紋三郎狐が笠間、四男の四郎介狐が那珂湊(現ひたちなか市)に住み着き、それぞれ、人間に田畑の耕作などの知恵を授けました。

現在、三男の紋三郎が祀られた笠間稲荷は、全国有数の稲荷神社として参拝客も絶えません。
長男の源太郎と四男の四郎介を祀るお稲荷さんも、そこそこ立派なものですが、二男の甚二郎が祀られている本米崎の稲荷神社は、地元の人以外は訪れる人もなく、ちょっとさびれ気味でした。
 
那珂市の写真から

それを寂しく思われた高橋さんは、自作のきつねを甚二郎稲荷に奉納されています。


お話の最後は、筑波山のガマの油売りの話でした。
「一枚が二枚に、二枚が四枚に、四枚が八枚に.....」
の口上の後、紙吹雪が舞いました。
満員のお客さんは大満足でした。





2017年3月26日日曜日

トラ除け


お茶の準備ができているのに、お客さまたちは外、私もちょっと目を離さなくてはならなくなったとき、心配なのは猫のトラです。
いつも食べるのがのろくてもたもたするのに、甘いもの、甘くて柔らかいものに目がないので、素早く盗んでしまいそうです。
 

二階に行けば、何かしら見つかると思ったら、これこれ、タイの目の粗い籠がぴったりです。


「どう?トラちゃん!」
ハエ除けならぬ、猫除けです。


『くまのプーさん』のモデルになったクリストファー・ミルンの書いた、『くまのプーさんと魔法の森』に、クリストファーの飼っていた猫は、盗もうと思ったら必ず盗む、たとえ戸棚にしまって鍵をかけておいても盗んだとありました。
まさかね。
これでトラは手も足も出ません。






2017年3月25日土曜日

刈り払機

刈り払機を二つ持っています。
その一つスチールを、久しぶりに使おうとしたら、エンジンがかかるのにふかすと止まってしまうので、修理してもらいました。修理屋さんから引き取って帰ったとき、新しく入れてくれた燃料がタンクに少し残っていました。

 

昨秋に、もう一つの刈り払機、ゼノアを修理してもらったとき、タンクに燃料を入れたままタンクを上にして仕舞うと、故障の原因になるので、必ず使い切るか抜き取るようにと言われていました。
そのとき、すでに燃料が残ったまま仕舞ってあったスチールは、燃料を抜かなくてはと思いながらも一日伸ばしにして、そのまま冬を越させてしまったところ、案の定故障したのです。

さて、直ったスチールの燃料を抜き取るのも面倒なので、使い切ろうと、草を刈ることにしました。どうせ刈るならと、少しだけ燃料を足しましたが、満タンというほどではありませんでした。

  
そして、林の中の篠竹を刈りました。
やっと滑らないで立っていられるくらいの傾斜地で、四六時中足を踏ん張っていなくてはならないので腰が痛くなりましたが、もう少し我慢、もう少しと、ほとんど刈っても燃料がなくなりませんでした。
夫が買い物に行くと言うので、燃料を使いきるまでと待ってもらっていたので、困りました。
篠竹はまだ、傾斜地に少し残っていましたが、腰のために、なだらかな場所に移動しました。

ほかの場所には、草は本格的に刈るほど伸びていません。それでも昨秋に刈り残したところもあり、家の周りをぐるっと回り、腰の疲れが取れたところで、また斜面に移動しました。
そんなことをしながら、二時間近く刈ると、やっと燃料切れになりました。
やれやれ。
疲れ果てて、しばらくは刈り払機を仕舞うこともできないほどでした。


二台の刈り払機のうちゼノアは、始動が楽で、紐を引くとき力が要らないものですが、スチールは、紐が固くて、始動するとき引っ張るのに力が要ります。
もともと、軽い方が私用、固い方が夫用に買ったものですが、夫がひざを痛めてからは刈り払機を使うことがなくなり、機械が傷まないようにと、私が両方使っています。

この数年、草刈りは朝のうちの一時間ほどと決めていますが、かつては草刈りの日はまとめて数タンク刈っていました。
確か、ゼノアで、半日で4タンク続けて草刈りしたことがあり、1タンクで約一時間だったと記憶していました。
ところが、スチールだと1タンクで二時間以上刈れるなら、燃料費が、断然節約になります。
最近はタンクがからにならなくても、途中きりのいいところでやめしたりすることも多くなっているので、スチールの燃費についてはよく調べもせず使っていました。

スチールの難点は始動に力が要ることだけです。
始動だけ、夫の手を煩わせて(と言うほどは力は要らないから、実際は自分でやれます)、燃料を満タンに入れないで使えば、問題はありません。
と言っても、使わないと機械はだめになるので、やはり二台使うことになるでしょう。
と、ぐだぐだ言っている前に、両方の燃費を正確に調べることがまず先でしょうか。








2017年3月24日金曜日

小さきもの


母からもらった、古木綿のがまぐちについていた、犬張り子犬の飾りものです。
プラスティックですが、なかなか細かい型を使っています。


といっても、前から見ると、「こち亀」の両さんのような顔をしています。

江戸時代に、印籠や煙草入れにつけて、落下防止の役目を持っていた根付文化は、連綿と、今に至るまで続いています。

 
私も、鍵の束、お財布、印鑑入れ、カメラと、なんだかんだ飾りものをぶら下げていますが、この飾りものは大いに普及しているにもかかわらず、的確な名前がないような気がします。

今ではほとんどが工場製品である、プラスティックや金属の飾りものを、「根付」とは呼びません。
携帯電話が普及して、「ストラップ」という言葉が、単なる紐だけでなく、それについている飾りものまでを指すようになったのはいつ頃のことでしょう?早くても1990年代半ば、2000年ごろかもしれません。
では、その前は何と呼んでいたのでしょう?
私が知らないだけかもしれませんが、覚えがありません。


根付は、堅木のツゲやイチイのほか、輸入した象牙や黒檀などを彫ってつくりました。
そんな手彫りの根付から大量生産品のストラップに至るあいだに、こけしのように轆轤(ろくろ)で挽いたものや、練りもの、焼きものなど、手彫りよりはもっと量産ができるものががつくられました。

これらは、いったいなんと呼ばれていたのでしょう?


まぁ、どっちでもいいことですが、犬張り子犬を見ていると、小さな、名もなきものの、来し方が偲ばれてしまいました。










2017年3月22日水曜日

北ルソンの籠

骨董市で、まことさんの店の前に、フィリピンのルソン島北部のものらしい籠が置いてありました。
近づいて見ると値札がついていて、目の飛び出るような値段が書いてありました。まことさんがつけた値札ではなくて、元からついていたもので、しかも展示会に出品されていたのか、売約済みの赤いシールが貼ってありました。

北ルソンの籠が、こんなに高いかな?もしかして、もっと手に入りにくいところの籠かな?
まことさんに訊いてみました。
「あれは、中国の籠なの?」
中国の少数民族のつくる籠の中には、まだまだ私のまったく知らない籠があるかもしれないと思ったのです。
「ううん、中国じゃなかったなあ」
「じゃぁ、やっぱりフィリピンの籠だ」
「そうそう、フィリピンだ。 買ってくれない?」
と、言ってまことさんが提示した値段は、なんと、値札の24分の1でした。

15年位前まで、北ルソンの籠は日本にはほとんど出回っていませんでした。マニラでも1980年ごろは見なかった、マニラで見かけるようになったのは、1990年前後ではなかったかと思います。
だから、まだとても希少だったころ、日本で値札に書いてあった金額で売られていたとしても、不思議ではありません。
でも、まことさんの言う値段では、マニラはもとより、北ルソンの街バギオまで行っても、この籠は買えないに違いありません。

「ちょっと、大きすぎるなぁ」
「どこか、置き場所はあるでしょう」


というわけで、北ルソンの背負子がやってきました。
ループが二つついていますが、そこに綱を通して、肩に乗せたり背負ったりして使います。
北ルソンの少数民族の人たちは手仕事に長けていますから、誰でも自分で使う籠くらいつくれますが、それでも村に一人や二人、とても上手に編む人がいます。 そんな人が編んだのでしょう。美しい籠です。
この形は、カモテの籠と似ていますが、とても細かくつくられています。


底はほぼ正方形に見えますが、経緯(たてよこ)同じ数の材(ラタン)を使っていません。片方は全部二本どりなのに、もう片方は、二本どりと四本どりが交互になっています。なぜそうしたのでしょう?
もしかしたら、四本どりと二本どりが混じっている方が密に並んで、二本どりだけの方がその混じっている材を抑える形になるので、全体が密に締まって、隙間が開きにくいのかもしれません。


胴は、底の四角い角から立ちあがっている部分で、経材(たてざい)を足しながら編んで、じょじょに直径を大きくしています。
かなりの技術が要りそうです。


縁では、きれいな正円になっています。


ラタンの表面は室内の火床の煙でいぶされ、煤がこびりついています。
たわしでごしごしこすって洗いましたが、煤はあまり取れませんでした。

この籠の故郷の北ルソンは、険しい山ばかりで、大きな平野はありません。そんな土地に、人々ははりついて、畑をつくったり、棚田とつくったりして、暮らしています。
段々畑の収穫物も、棚田の収穫物もすべて背負って、細くて長いあぜ道を運び降ろしたり、運び上げたりしなくてはなりません。
アメリカ統治時代に避暑地として開発されたバギオなど、大きい町からほかの町へは幹線道路が通っていますが、その道路まで、細い、坂になったあぜ道を数時間歩かないとたどり着かない場所に、家や集落が点在しています。
傾斜のきついところでは、かるいのように底が小さい背負子の方が、使いやすいのです。
 

背負子の籠に、居場所をつくってみました。


下からかすかに透けて見えるので、気をつけることはできますが、スズメバチが心配です。
スズメバチが入れないように、縁を壁にぴったりくっつけた方がいいかもしれません。

追記:

この籠は、インドのビルマ国境近くに住む、ナガの籠でした。




2017年3月21日火曜日

100円箱の中


骨董市で、おもちゃ骨董のさわださんの100円箱に、絵つけをした卵が入っていました。


よく見ると、ひびが入っています。
100円箱の中で、ほかのものと一緒にがちゃがちゃ揺られて割れたに違いありません。
「さわださん、この卵割れてるよ」
「えぇぇ、これは本当の卵だったのか!」
100円箱も、五個以上あって、どれも雑多なものが満載されていたので、いちいちよく見ている時間などなかったのでしょう。
「よかったら、持ってってよ。ただでいいから」
「そう」
と、いただきました。
割れたのをただでもらった方がよかったのか、それとも割れていないのを100円で買った方がよかったのか、どちらがどうと言えない心境ですが、とりあえずアロンアルファーでこれ以上ひび割れないよう、くっつけておきました。


東欧の卵に見えますが、日本人がつくったものかもしれません。
最近では、東欧の卵に倣ったイースターの卵の絵つけ教室が、日本でも開かれているようです。


やはり100円箱の中にあった、トウモロコシの姉さまです。
なんてきれいに仕上がっているのでしょう!
私のつくった姉さまの比ではありません。穴があったら入りたいくらいです。


手柄(赤い布)が正面に来ているのはちょっと変でしょうか?手柄は本来、脇にちょっと、そして後ろにしか見えません。
でも、そのことをわきに置くと、見事な出来あがりです。つくるのが難しい、顔から首にかけても、まったく破たんがありません。


ちょっと色をつけたトウモロコシの皮を撚った紐は、りっぱに簪に見えます。


同じく、細く裂いて撚った帯しめも、素敵です。
 

帯の結び方もきれいです。
トウモロコシの皮が硬くて癖があるものとは思えない、鮮やかな細部です。


私のつくった、下手な姉さまと並べて比べられるとよかったのですが、あれは、あまりにも稚拙だからと、とっくに処分してしまいました。