2020年10月31日土曜日

土鈴に鈴

猫に鈴がつきものなのは、いつ頃からなのでしょうか。
猫の首輪を買おうとして、鈴のついてない首輪を見たことがありません。仕方なく鈴つきの首輪を買いますが、いつも音がしていては猫がうっとうしいだろうと、すぐに鈴を外してしまいます。

招き猫にも、鈴の絵つけがしてあったり、実際に首に鈴がついていたりします。そして、招き猫自体が土鈴になっているものもあります。



いまどきさん(吉田義和さん)のつくる伝統今戸人形は、底に切れ目はありませんが、中には土の玉が入っていて、どれも振るとからからと音がします。鈴の形をしてない鈴になっています。



貯金玉(貯金箱)や手あぶり以外は、台座つきの猫も、お福さんの抱かれた猫も、すべて鈴になっています。



さて、これは京都のお土産猫、首にはひもを巻いて、鈴をつけています。ところが、招き猫そのものも土鈴になっています。



ちょっと面白い、鈴つき土鈴でした。






 

2020年10月30日金曜日

コンクリート打ちから一夜明けて

 コンクリート打ちから一夜明けました。



アンカーボルトの支えや、単管パイプを取り始めています。


息子が、コンクリート打ち作業中の3時間半、カメラを回し続けたとかで、それを5分の動画に縮めたものをつくりました。






2020年10月29日木曜日

コンクリート打ち



息子の家は、やっと最初のコンクリート打ちにこぎつけました。
今日は、数日晴天が続いたあとの快晴。ぬかるむ恐れもなく、コンクリート打ちにはもってこいの日でした。



8時過ぎ、ポンプ屋さん登場。


ホースを長く伸ばします。
そして9時から、コンクリートミキサー車が延べ7台来てくれて、合計14立米のコンクリートを打ちました。助っ人のOくん、akemifさん、M+MのMちゃん、息子、私たち夫婦の6人は、型枠を木槌で叩いたり、天端をきれいにこて仕上げしたりと、持ち場で働きます。



流し込んでくれたところに、バイブレーターをかけます。


まず、立ち上がっている基礎を仕上げます。
夫は先に下を固めたかったのですが、ポンプ屋さんは職人気質の人、上から流し込むと言うので従いましたが、あとでジャンカが出ていないか(コンクリートが隅々まで届いてないこと)、夫はちょっと心配しています。



床均しは大変だなぁと思っていたのですが、助っ人のOくんがほぼ一人でアルミニウムのトンボで均してくれました。



これで、ジャンカが出ないできれいに打てていれさえすればいいのですが。


数日置いてから、型枠を外します。

追記:

akemifさんが写真を送ってくださったので、一枚載せておきます。


お手伝い、ありがとうございました。



 

 

2020年10月28日水曜日

とうとう開けました

Oさんから手づくり味噌10キロをいただいたのは、もう7、8年前のことでした。
10キロなんて、冷蔵庫に入りません。それに、それまで通販で味噌をまとめて買っていたので、まだまだ味噌がありました。いただいた味噌は、冷蔵庫に入る保存容器に取り分けたあとは甕に詰めて、表面にラップを貼り、常温で置いておきました。
何度か甕を開けて、保存容器に取り直したとき、ラップを貼っていても部分的にカビていましたが、その都度カビを取って新しいラップを貼りなおしていました。
ところが、それからもほかの方に味噌をいただき、たいていは、冷蔵庫に入る使いやすい大きさだったので、ついついそちらを優先して、甕に入った味噌は後回しになってしまいました。
そのまま数年が経ち、甕を開けるのが怖くなりました。中はいったいどうなっているのか、見たくありませんでした。



しかし、いよいよ味噌がなくなり、これを開ける日が来ました。


開けてみると、わぁ、ラップの上はカビだらけ!



ラップを取ってもカビだらけ!


甕の壁にくっついているところも、全部カビでしたが、何とか半分以上救出できました。
いやはや、昔はもっと塩を利かせて保存したのか、そんなに長く置いてはおかなかったのか、私が保存方法に無知だったのか、無駄にしてしまいましたが、それでも救出できてほっとしました。



甕は洗って日干し夜干ししましたが、麹菌がしっかり住み着いたことでしょう。


当分は、何も入れる予定がありません。




2020年10月27日火曜日

劣化した!


アメリカの動物学者エドワード・モース(1838-1925年)は、進化論の観点から腕足動物を研究対象として選び、1877年に、腕足動物の種類が多く生息する日本に標本集めにやってきましたが、日本では大森貝塚を発見し、日本考古学の基礎を築いた人として知られています。



来日したモースは日本の文化に関心を寄せ、近い将来消えるであろう生活や道具、すべてのものを惜しんでたくさんのスケッチを残し、写真を集め、「もの」を集めて帰りました。
『モースの見た日本』(小学館、1988年)は、『百年前の日本』(小学館、1983年)に続いて、モース生誕150年の年に出版された本で、アメリカ東海岸の小さな町セイラムにある、ピーボディー博物館の所蔵品(土のついた下駄、商店の看板、人力車などなど)の一部が紹介されています。



この2冊の本は隅々まで興味深く、見て見飽きることはありませんが、その中には中身の入ったままの食品も数多く含まれています。



左がコンペイトウ、右が貝殻の形をした砂糖菓子です。
今となっては味見することはできませんが、もしモースが集めていなかったら、私たちは目にすることができなかったものです。



というわけで、私も金華糖を食べないで残しているのですが、色褪せが激しく、捨てたものかどうか悩むようになりました。



金沢の金華糖(右下)は色が褪せてもしっかりしていますが、東京の金華糖はぎりぎり。



大きい招き猫は耳が取れているだけでなく、袋を替えようとしたら、ばらばらに壊れてしまいました。



壊れたのは、袋の口が空いていて、湿気たのが原因だったのかと、ほかの金華糖たちも密閉できる袋に入れ替えました。


しかし、どうしましょう?
張り子犬はひどい色に変色しているし、この籠入りのかわいかった鯛(左下)も、



すっかり色あせてしまっています。



比べるものではないけれど、ピーボディー博物館の紙のお面の保存状態の良さ!
やっぱり汚くなった金華糖は捨てましょうか?それとも、齧ってみましょうか?






 

2020年10月26日月曜日

イラストはイメージ

いつもは生協の牛乳を配達してもらっています。
ときおり、使う量を見誤って少なく注文して、スーパーで市販の牛乳を買うこともがあります。



そんな牛乳のパックを何気なく見ていたら、「イラストはイメージです。」と書いてありました。
イラストなんて、イメージに決まっているじゃないのと、変なのと、生協のパックも見てみました。



すると、生協の牛乳のパックにも、「イラストはイメージです。」と書いてあります。
「どういうこと?」
どちらもサイロのイラストですが、現実はこんな牧歌的なものではなく、もっと違う形で牛を飼育して、機械的に絞られた牛乳を、工場で処理しているということだと思いますが、それならそれで、そんな写真やイラストを掲載すればいいのにと思いました。
誰かが、
「イラストとまったく同じか?」
とクレームをつけたときの用心なのでしょうか。


ついでに、息子が飲んでいたオレンジジュースのパックを見ると、こちらはイラストではなく、「写真はイメージです」と書いてあります。
濃縮還元だからすりつぶしてペースト状にしたものに水を加えたとはいえ、もとはオレンジのはず、どうしてオレンジの写真なのに、イメージと書かなくてはならないのでしょう?
ここはネット時代、調べてみると、レトルト食品や袋菓子などにも、そう表示してあるものが多いようです。そして、写真と内容の違うものも。



ところで、「イメージです」ばかりにとらわれていましたが、この写真の左端の文章を見てびっくり、「・・山麓は生乳の原産地名ではありません」と書いてあります。
「どういうこと?」
生産地を偽って牛乳を売るなんて、ひどいことです。もう空のパックは収集してもらったので手元になくて、「何山麓」だったかわかりませんが、いったい何を信じて牛乳を飲めばいいのか.....。
一応、スーパーの牛乳を買うときは、あまり安いのは買わないこと、加工乳は買わないことなどを心掛けてはいますが、もっとじっくり読まなくちゃならないなぁと思ったことでした。
世の中、上から下まで、右から左まで、嘘だらけです。





 

2020年10月25日日曜日

自己診断、時々病院

一昨日から、夫は首が痛いと言っていました。寝違えたかなとそのままにして置いたら、昨日はもっと痛くなり、こった痛さとは違うと言います。
頭に近いところなので、念のため朝一番で脳外科医院へ。診てもらったら、血圧高めでした。
「薬飲んでないじゃないか。とっくに薬が切れているだろう?」
と、これまでの記録を見ながら、お医者さんは叱咤します。
「はぁ、飲むのを忘れることもあって。まだ薬はあるんです」
「忘れる?そりゃ、認知症だな」
と、お医者さんは容赦ありません。
夫は何かに夢中になっては薬を飲むのを忘れ、調子がいいからと言っては薬を飲まず、薬はまだずいぶん残っています。お医者さんとしては、出した薬はもう1か月も前になくなっているはず、そんなに忘れるのは変と疑っています。
「血圧の薬を飲んで、もう一度血圧を測ろう。それから首のMRIを撮るけど、予約でいっぱいだから11時40分になるよ。首が痛いのは、頸部頸動脈狭窄症の恐れがあるからね」
まぁ、覚悟して行きましたが、一日仕事になりました。
「高血圧の薬を飲んでいたの?」
夫に訊きます。軽い脳血栓になってから、夫が複数の薬を飲んでいるのは知っていましたが、前から高めだった血糖値を下げる薬と、血液がサラサラになる薬くらいしか知りませんでした。
「おれも知らなかったよ。あと一種類あるとは思っていたけどな」
なんてのんきな!夫はいつも薬をないがしろにしています。血糖値が高くなると思い出したように薬を飲むだけで、その中に血圧を抑える薬があるのを知らなかったのです。
その血糖値も、糖質コントロールと言って、ご飯は控えるくせに、好きなそうめんやアイスクリームはバンバン食べています。しかも、たまにご飯を炊くと、ご飯が美味しくて、二人分くらい食べてしまいます。

さて、MRIを撮ってもらった結果、幸い頸動脈は裂けてなくて、脳も問題ありませんでした。でも、血液検査の結果では、血糖値の値が悪くなっていました。


「薬を飲み忘れないように、日づけを入れたからな。今度来たとき認知症の検査もしよう」
やれやれ、すっかり認知症扱い、夫は苦笑いです。これまで、薬の包みは朝夕の色だけ違っていたのに、すべてに日づけが入れられました。
「頸部頸動脈狭窄症は、くも膜下出血の前兆とか。安静にしていた方がいいですかね?」
何ともないと言われたのに、夫は順番を待っている間に仕入れたにわか知識を、お医者さんにひけらかします。
「いや、何やっても構わないよ」
訊くほどのことはない、当たり前でしょう。まぁ、よかったね。



今まで、薬は引き出しに入れていましたが、100円ショップで、薬入れを買いました。



一包ずつケースに収めて、食卓の脇にぶら下げたかったけれど、食卓近くの柱には背割り線があって釘が打てないので、廊下にぶら下げました。

ちなみに首の傷みは、私が脚が痛くてもらったのに使っていなかった強力な湿布で治りました。その湿布は1日に2枚以上貼ってはいけないというもの、24時間以上貼ってもいけないというもの、皮膚が強くない私はすっかり恐れて、使えないでいたものでした。







2020年10月24日土曜日

紙の鯛車

木や竹ひごで形をつくり紙を張った鯛車や金魚車があります。
子どものおもちゃとしてつくられたものは、お祭りに使う大きなものを小型にしたもので、元のもの同様、中にろうそくを灯すことができるものと、小さすぎてろうそくを灯せないものがあります。
ルーツは中国のランタンと思われますが、中に明かりを灯すおもちゃは、日本では特に日本海沿岸に多く見られます。鯛車や金魚車、青森の金魚提灯、そして出雲のジョーキなどなど、地域によって特色のある灯玩(ぼんぼり玩具)になっています。

プノンペンで暮らしていたとき、同僚から中国文化の流れを汲む、お祭りのランタンを貰ったことがありました。鳥の形で、大切にしていましたが、雑なつくりなのですぐ壊れて、泣く泣く捨ててしまいました。


さて、しばらく前に、世界の骨董を扱っているアンタイディーのブログで、新潟県新発田(しばた)の「金魚台輪」が紹介されていました。ブログをのぞいたときは、もう売れたあと、残念に思っていたら最近、やはりアンタイディーのブログで、新潟の鯛車が紹介されました。しかも、三条の「鯛車」と 村上の「鯛ぼんぼり」の二つです。
幸い、我が家の二階の展示室は日光が入らないようにつくってあるし、もう引っ越しもしないから、壊れにくいだろう、そう思って鯛車たちを買ってしまいました。



新潟県三条の鯛車(鯛灯篭、鯛台輪とも言う)です。
かつて、日本海沿岸の町々には、七夕からお盆にかけて、鯛車や金魚車を曳いて遊ぶ習慣がありました。三条では、大きな提灯鯛車に灯をともして、子どもたちが曳きまわしましたが、これはそれを小型にしたもの、ピンと尾をあげて、胸びれをゆらゆらさせる姿は、大きい鯛車と同じです。
明治末期からつくられています。



こちらは新潟県村上の鯛ぼんぼり、これも胸びれが動きます。


もともとは大きなサイズですが、これは小さくつくられたもの、小さいと言っても、高さが40センチほどあります。

江戸時代から行われていた住吉祭りの鯛車の山車

新潟で初めてつくられたとされている古町の鯛車の山車の、最大のものは、青森のねぶたより大きかったそうです。
ただ、男たちはお祭り好き、年中働かないで集まってはお囃子の練習をしたりお酒を飲んだりするので、住吉祭りは何度も禁止され、やがて子どもたちが曳いて歩く鯛車になったそうです。


新潟県の燈火玩具の分布図。古町から川伝いに広がっていったと言われています。

日本玩具博物館より

そして、ジョーキもある、島根県出雲の鯛車です。


鯛車そのものは日本各地にありますが、や張り子、練りものなどで、中に明かりを入れる「灯玩」は、日本海岸に集中しています。


鯛車は、つくられた当初は豊漁を願ったものだったかもしれませんが、「赤もの」として、疱瘡除け、子どもの健康を願うものでした。

追記:

hattoさんが愛知の沿岸地方にも鯛祭りがあると教えてくれたので検索したら、素敵な写真が見つかりました。


南知多の「豊浜鯛祭り」です。大きな鯛、とっても素敵です。