2022年12月31日土曜日

旧家

昨日ちょっとお訪ねしたHさんは、八郷の旧家です。


ご先祖は1400年代までたどれ、戦後の農地改革でおおかたの土地は小作さんに渡ったものの、このあたり一帯の大地主だった方で、八郷盆地一の穀倉地帯で育てたお米は、恋瀬川を使って霞ケ浦に運ばれ、そこから江戸などに送られていました。
元々、Hさんの家は茅葺き屋根で、入り口から裏口までは土間続きでした。それをHさんの代になって改築して、土間をなくし、入り口の右手には縁側もついている気持ちの良い板の間空間になっています。


家を臨んで左手には門があり、その向こうに中庭が広がっています。


中庭には年齢を重ねた木々がよく手入れされており、湧き水から引いた水が竹の樋から池に流れ込んでいます。
以前は池に鯉を放していましたが、アライグマ、ハクビシン、アオサギなどが来て獲ってしまうので、今は何もいません。
植え込みの後にはかつて半田城という要塞があったのですが、南北朝時代に攻撃されて崩れ落ちたそうです。


H夫人が結婚してこの家にこられたころも茅葺き屋根で、屋根裏には補修用の茅がうずたかく積み上げてあったそうです。
次第に茅が手に入りにくくなり、職人さんもいなくなり下手になり、葺いてもらった屋根から茅が抜け落ちて始末に負えなかったのを契機に、茅をすべて取り払って銅葺きにされました。
現在見えている二段になった軒下の先の部分には、何百年も前からの茅が層になって見えて、それは美しいものだったそうです。


入口の左には式台があります。
かつて、位の高い方を迎えるときに使われた正式の玄関で、今でも冠婚葬祭には使われているそうです。


表庭に、何の木だかわからない木がありました。訊くとアメリカハナミズキだとのこと、こんなに大きく育ったハナミズキを初めて見ました。40年ほど前に植えられたものだそうです。
成長が遅いことと葉が少ないことから、管理しやすいというので、とくに近年街路樹に多用されているハナミズキを、私はまったく好きになれないでいますが、なかなかの木姿でした。

15年前にうかがったとき、裏庭の鬼門にそびえていたサイカチの古木は、残念ながら枯れてしまったそうでした。



 

2022年12月30日金曜日

Sさん親子の来訪

昨日は、以前一度いらしたことのあるSさんと息子のTちゃん、娘のNちゃんがやってきました。
Tちゃんは、大学を出た後、これまで何度か木工を紹介してきた岐阜の森林文化アカデミーで建築の勉強をされています。
森林文化アカデミーでは、建築科の1年生はみんなで1年かけて小さな家を建てたり、古い家を改築したりするのだそうです。まず全員で設計して、一番いい案を採用して、それを考えた生徒が棟梁になって建てたり、年によっては、みんなの案のいいところを組み合わせたりして建てるそうです。
とても素敵なカリキュラムです。

夫はこのところ、重いものを切ったり運んだりすることが続いて、腕や手を痛めていました。私も同じですが、年のせいか使いすぎて痛くすると、回復に時間がかかってしまいます。
Tちゃんにはその夫のベッドづくり、SさんとNちゃんには井戸水の配管作業を手伝っていただきました。


私は靴箱の扉をつくっていたので途中経過を見る余裕がなかったのですが、途中までできていたヘッドボードをベッドに取りつけ、すのこをつくってベッド枠の上に置き、その上にマットレスを敷いて、ベッドは完成していました!


こちらが完成する前のベッドです。


そして、溝を掘っていただけの井戸水の配管は、途中までできていました。


Sさんにいただいた肉球マドレーヌ。


ライオンの肉球ほどもある、美味しい肉球でした。 
お手伝いありがとう、そしてごちそうさまでした。




2022年12月29日木曜日

渡辺京二さん逝く

渡辺京二さんが、2022年12月25日に逝去されました。92歳でした。
以下は、『小さきものの近代1』(弦書房、2022年7月) の緒言(序文)の一部です。


 私はいろいろと長い歴史物語を書いてきたが、最後はいわゆる明治維新について書こうと思っていて、文献も40年間にわたって蒐め続けた。その大部分がいわゆる積読であったが、『バテレンの世紀』の連載が終わって、やっと所蔵の文献と本格的に取り組み始めた。
 昨年(2021年)の1月から書き始め、4月から『熊本日日新聞』の週1回の連載がはじまった。その時点で私は90歳に達していたのである。(中略)
 白状すると、『小さきものの近代』と言ったって、どうゆう物語の構図になるのやら、書いてみないとわからない。これはこれまでの『逝きし世の面影』『黒船前夜』『バテレンの世紀』の場合、書き始めの時点で全体の構成ができていたのと全く違う点であるが、終点だけは大逆事件あたりにしようかと思い定めている。関東大震災までとも考えたが、とてもそれまで生きてはいまい。もっともそれを言えば、大逆事件までも怪しいものだ。昭和前期のファシズム的動乱期については散々書いているので、改めて言うこともない。

この緒言を書かれたのが2022年3月、その時点で月1回の全紙面を使っての新聞連載で、9月分まで書いてあると話されています。
渡辺京二さんの作品はすべて、当時の文献を読み込んでの分析ですから膨大な資料を読まなくては書けません。そのあたりについても、緒言に書かれています。


  文献の読破には苦労する。前掲3著の場合、読むべき文献の数は多数でも冊数はほぼ一定数に収まる。ところが今度のテーマでは、文献は膨大、しかも読むほどに読まねばならぬものが増えてくるのだ。おまけに読書力はガタ落ち。昔読んだものを読み返すと、誤植がみんな赤で訂正されている。それだけ精読していたわけだ。ところが今は、ちょっとややこしい所に出会うと斜め読みしてしまう。
 とにかく老衰していて、体中痛いししんどいし、何よりも気力が衰えている。(中略)だが、書くしかない。死んで中断ということになるのも覚悟のうちである。悔やまれるのは『バテレンの世紀』の連載に日時を費やしすぎて、念願の維新史のための時間がわずかになってしまったことだ。

1991年、石牟礼道子さんと

とまれ、本当にお疲れさまでした。
斜め読みしかしていない私ですが、歴史が立体的に浮かび上がってきて、幕末・明治が身近に感じられるようになったのは、渡辺京二さんのおかげでもありました。








2022年12月28日水曜日

役立ったカンボジアの籠


自動精米所で、お米を15キロほど搗いてきました。
しばらく前に久しぶりに玄米食にしてみたのですが、白米が美味しすぎるせいか、歯が悪くなっているせいか、昔ほどおいしいとは感じなくて、ほぼ3日で諦めて精米したことがあり、以来ずっと白いご飯をいただいています。


精米するとお米は熱を持つので、そのまま密封すると不味くなります。熱を冷ましてから保存しなくてはなりません。
筵(むしろ)に広げるのが正統ですが、仮設ゲストハウスでは材木を貼り合わせる作業をしているし(平らなところで接着する必要があるので)、居間に広げると、猫が乗ってきて、蹴散らかします。
そこで、お米をつくっていたときは必需品だったカンボジアの籠を出してきて、それに入れて熱を冷ましました。


籠と見ると入ってしまう猫除けに、アフリカの籠を被せました。
もともと甕(かめ)の蓋としてつくられた籠だから、とても役に立ちました。






 

2022年12月27日火曜日

hiyocoさんがやって来た!

昨日は、ブログ友だちのhiyocoさんが遊びに来てくれました。
お天気もよくて、楽しい時間を過ごしたのに、写真撮るのをすっかり忘れていました。

ブログで知り合って実際にお会いしたのは、Shigeさん、のらさん、mmerianさん、あかずきんさん、しまとかげさん、のぶさん、ろっかくさんなどの方々でした。
ほとんどの方たちと知り合ったのはブログ「八郷の日々」ではなく、「私の拾いもの」の方でしたが、持っている石や種を載せようとはりきってはじめた「私の拾いもの」はあたりまえのように「種」が尽き、拾わないものにまで手を伸ばし、家にいるばかりではさすがにそれも限界があり、このところUPがすっかり間遠くなってしまっています。

hiyocoさんとは初対面でしたが、お互いにブログを通していろいろなことを知っているので、話が弾みました。
ご長寿だった黒ラブのアディーのこと、ハノイ旅行のことなどなど。


写真がないのでいただいた、ハノイからのお土産の写真でも。
蓮の実は、どんな加工をしてあるのか、乾いてカリッとしていて、入り豆を軽く軽くした感じでした。


緑豆のお菓子は、硬い落雁のようなお菓子でした。

東南アジア大陸部では、市販のお菓子が美味しい上に、季節にしか食べられないお菓子、その土地でしか食べられないお菓子、特定の行商人さんに会わない限り食べられないお菓子などがあります。


hiyocoさんは、訪問された時期もよく、ハノイでグリーンライスに出逢われています。
グリーンライス(コム)とは、未熟なもち米を収穫して籾のまま炒り、柔らかくなったら脱穀して、平らに潰してつくったもので、パンダンリーフで香りづけしてあります。
そのまま食べたり、お砂糖をまぶしたり、バナナと一緒に食べたりしますが、とても美味しかったそうです。


上の写真は、hiyocoさんのブログからのものですが、タロイモの葉に包んだものを、そのまま緑の稲わらで縛っただけに見えます(違うかな?)。

ところが、hiyocoさんに見せていただいた、機内で流されていたというヴェトナム紹介の映像では、グリーンライスをタロイモの葉で包んだものを、さらに蓮の葉で包んで結わえていました。
グリーンライスは、もともとヴェトナムの北西部の村で収穫を祝うためにつくったもの、お供えにもしたそうですが、緯度の高いところでは、蓮の葉は稲穂が実るころは枯れていたりして、使えないかもしれません。実際、hiyocoさんはハノイで蓮の花(葉も?)は見なかったそうです。
とすると、映像の蓮の葉は、もう少し暖かい地域で写されたものだったのでしょうか?


ちなみに、ネットで見つけたグリーンライスの写真は、新聞紙で包んでありました。


開くと、タロイモの葉で包んでいます。風情があるとかないとかではなく、緑の蓮の葉が手に入らない土地のものなのかもしれません。

どうでもいいことですが、何故グリーンライスをタロイモの葉で包むかは、知りたいところです。というのも、タイやラオス、カンボジアではこんな時、バナナの葉を使うのが当たり前で、葉は自分で採ってきてもいいだろうけれど、包み紙の大きさに切ったバナナの葉を束ねて、市場でも売っています。タロイモの葉に、包んだ食品をとくに長持ちさせる効果があるとも、思えません。
グリーンライスはパンダンリーフで香りづけしてあるとのこと、パンダンリーフが育つくらいの気候なら、バナナも育つに違いありません。本当にどうでもいいことですが。
「私の拾いもの」に書いた方がいいような内容になってしまいました。


そうそう、hiyocoさんには湘南名物のクルミっこもいただきました。


ごちそうさまでした。





2022年12月26日月曜日

スポンジウエアのマグ、いろいろ

ポーランドでつくられているのスポンジウエアのマグは、日本のPOLISH BLUEというお店    などで売られていましたが、POLISH BLUEでさえ、ほとんどの柄が売り切れています。
しかし、イギリスにあるBRIXTON POTTERYというお店では、今でもいろいろな柄のマグが売られています。
かわいいので、ちょっと画像を借りて紹介してみます。


カバ、熊と鮭。


ツノメドリ、コウモリ。


イルカとエビ、タコとヒトデ。


カエルとゲンゴロウ(?)、バッタ。



ノアの箱舟、ワラビ。
こんな感じのラインアップで、まだまだかわいいのがいっぱい売られています。


また、ロンドンの骨董屋さんをのぞくと、古いスポンジウエアのマグが売られています。


これは19世紀のものだそう、素朴だけど素敵です。


ところで、ロンドンの骨董屋さんでスポンジウエアのマグを見ていたら、こんなものを見つけてしまいました。
ノアの方舟のおもちゃです。すごすぎる!すごすぎる!
どこのお金持ちだったのでしょう、こんなおもちゃを買ってもらって遊んだ子どもは!
どこの誰でしょう、こんな豪華なノアの方舟を骨董屋さんで買ったのは!
拡大した写真を見ると、木製のようです。


他でも画像を見つけました。イギリスやドイツのノアの方舟は力作です。


かつて、安息日(日曜日)には、大人も子どもも何もしてはいけませんでしたが、唯一ノアの方舟では遊んでよかったとか、どこのお金持ちの子どもの話なのでしょう?







 

2022年12月25日日曜日

メリークリスマス


1枚の絵ハガキがあります。
セルロイドの降誕人形の絵葉書です。日本製の絵葉書で、裏(表?)には「懐かしのセルロイド人形」と書いてあり、「キリストご降誕、昭和2年(1927年)」とも書いてあります。シリーズでつくられた絵葉書だったのか、どなたかのコレクションなのか、1枚しか持っていないので、詳細はわかりません。
毎年、クリスマスの時期には飾っている絵ハガキですが、今年は自分の持っている降誕人形で絵葉書風に撮ってみました。


フェーブの人形。


メキシコの土人形。


サントン


珍しく大人数のクリスマスイブだったので、クリスマスらしい食事をしました。何十年ぶり?
写ってないけれど、ほうれん草のキッシュもありました。






 

2022年12月24日土曜日

私の大掃除

大掃除の季節がやってきました。
「外はまだ寒いから、居間の棚でも掃除するか!」


と、脚立を立て、棚に置いてあるものを降ろして、掃除機をかけたり雑巾で拭いたりしました。
ここに置いてあるのは、弁当箱です。


外で埃を払い、濡れた雑巾で拭きます。私の場合、掃除とはしばしば、持っているものを再度愛でる機会ということになります。
その昔、ガーナに住んでいたころに買ったチェコスロヴァキア製の青い琺瑯(ホーロー)の弁当箱(大きすぎる?)。イギリスで使われていたものだけどたぶん東欧でつくられた琺瑯の弁当箱。結構高かったインドの古い弁当箱。
そして、ステンレス製のものはすべてタイやカンボジアで実際に使っていた弁当箱で、手前の竹細工はホンコン製、後ろの竹細工は熊本県日奈久のものです。


きれいに拭きながら発見(というほどでもないが)したのは、機械で製造することがまだ稚拙だった時の蓋の閉め方なのか、ガーナで買った琺瑯の弁当箱と、インドの古い弁当箱とは、原理が同じだったということです。


ガーナのクマシの市場で買った弁当箱は、金属の板を複雑な形に曲げて、これで皿状の蓋のつまみを押さえています。


チェコスロヴァキアは、1992年に連邦を解消、チェコとスロヴァキアになりました。


インドの弁当箱は、やはり可動式の板で押さえていますが、板は手で簡単に曲げたりはできない、硬いものです。


ハリヤーナー州のレーワーリーでつくられたもの、刻印が入っています。
現代では、インド製の弁当箱はタイ製の弁当箱同様ステンレスですが、これは真鍮(のような合金)でつくられている、分厚いものです。


イギリスの弁当箱は欠陥品です。2段になっている上の方が重いので、空でぶら下げると、このように傾いてしまいます。スープなど入れているときはいいけれど、帰りはどうするんだと言いたくなります。
ビルマの弁当箱フランスの弁当箱もきれいにしました。

ところで、陽も高くなってきたのに大工仕事をしないとなんとなく後ろめたい気持ちになります。早く仕上げないと。
というわけで、たった2区画掃除しただけで、大工仕事に戻りました。

夜、はなちゃんに、
「大掃除ってどう掃除するの?」
と訊かれました。そう訊かれても返事に詰まってしまいます。
「念入りに掃除するってことかなぁ」
「念入りにどこも全部掃除するの?」
「そしたら時間が無くなるね。掃除に1年かかっちゃう」
私もはなちゃんも、納得できる大掃除が見つかりませんでした。
本当は、障子を張替えた方がいいのだけれど.....。
畳も新しくした方がいいのだけれど.....。