tag:blogger.com,1999:blog-5635687631229634575.post2775523269845337808..comments2024-03-26T16:32:50.213+09:00Comments on 八郷の日々: 高等國語讀本春http://www.blogger.com/profile/02638525564901287095noreply@blogger.comBlogger2125tag:blogger.com,1999:blog-5635687631229634575.post-73137955440775379532016-12-12T16:38:23.002+09:002016-12-12T16:38:23.002+09:00karatさん
骨董屋さんがどこかの蔵のものをさらったときに、『高等國語讀本』が出てきて、そう古いも...karatさん<br />骨董屋さんがどこかの蔵のものをさらったときに、『高等國語讀本』が出てきて、そう古いものじゃないし、和綴じを解いて、包み紙代わりにしているのでしょう。<br />高等小学校は1944年に国民学校になって消滅したらしいのですが、尋常小学校の『國語讀本』と違って、明治からあんまり改訂されなかったようで、貴重じゃないのかもしれません。<br />昔は私も火鉢とこたつだけで耐えていました。でも、しもやけをつくっていました。<br />ところが、二十代前半にガーナで過ごしたらあっという間に熱帯仕様の身体になってしまって(笑)、働いていた時は、冬の熱帯出張が最大の楽しみでした(^^♪<br />昔、テレビの「お江戸でござる」が大好きで見ていて、杉浦日向子も好きなのですが、彼女の本を読むと、確かに江戸時代の人は信じられないほど寒さに強かったようですね。隙間風の家に住んで、手あぶりがあればいい方、農民なんて麻を着て、布団もなく寝ています。では高貴な人はどうかと言ったら、冬の京都御所の底冷えのすること、私はこんなところに住まなくてよかったと、行くたびに思っていました。<br />でも、日本家屋は夏涼しいのが基本、茅葺の家はこのあたりにはまだたくさんありますが、温かい空気が煙抜きから逃げて行って寒い!私には住めません。<br />熱帯の田舎で、暑い季節(熱帯にもhot、hotter、hottestといろいろある)に、自分の汗の匂いが臭く感じられるほどの一日を過ごし、頭がぼーっとしている状態で、水浴びしたときに感じる幸せ感が大好きです。「あー極楽、極楽、生き返った」と思っていました(笑)。春https://www.blogger.com/profile/02638525564901287095noreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-5635687631229634575.post-14581172815792308732016-12-12T15:02:17.967+09:002016-12-12T15:02:17.967+09:00当時の紙のままですか?すごいですね。変色もしてなくて…。その周りの新聞紙は今のですよね?
昔の人は寒...当時の紙のままですか?すごいですね。変色もしてなくて…。その周りの新聞紙は今のですよね?<br />昔の人は寒さに強かったと聞いたことがあります。江戸時代とか耐寒温度が今より10℃くらい低かったとか…。裸足に粗末な下駄をはいて雪がちらつく中を歩いているという時代劇のシーンは、オー寒そうと思いますが、今より平気だったのでしょうか?まあ映画ですから(^^;)なんとも分かりませんが。 <br /> 私が子供時代にも、この同じ世田谷でストーブはなくて、冬は火鉢とこたつだけでした。そのうち石油ストーブが登場してありがたかったですが、小中学校も確か気温が15℃(10℃だったかな?)以下にならないとストーブ焚いてくれなかったと覚えています。朝登校してから何かストーブを焚く焚かないの札を見てがっかりしたり喜んだり…。<br />西宮にいたときは大体中学校にストーブはなかったし…休み時間は日なたにかたまっていました。<br />その分暑さには弱かったかもしれないですね。今より確実に夏の気温は低かったのに、暑い暑いと騒いでいました。<br />その旅行者の方も、暑さの言い方が大げさで面白いです。karatnoreply@blogger.com