tag:blogger.com,1999:blog-5635687631229634575.post4653109938760910423..comments2024-03-26T16:32:50.213+09:00Comments on 八郷の日々: 飾り棚の住人(五)春http://www.blogger.com/profile/02638525564901287095noreply@blogger.comBlogger2125tag:blogger.com,1999:blog-5635687631229634575.post-47393419906202251882017-07-20T06:23:05.585+09:002017-07-20T06:23:05.585+09:00hiyocoさん
確かに、「○○染め」はビンの大きさといい、今だと白髪染めくらいしか思いつかないでし...hiyocoさん<br />確かに、「○○染め」はビンの大きさといい、今だと白髪染めくらいしか思いつかないでしょうね。どの家にも毛糸や布を染める染料があったなんて、ちょっと不思議かもしれません。時代は、いろいろな面で変化しているけれど、小さな変化は歴史に埋もれていく、そんな感じがしました。オーバー(笑)。<br />硫化水銀、やばいでしょうね。パウル・クレーもいい「赤い絵の具」が欲しくて自分で練っていて、水銀中毒で死にました。<br />hiyocoさんは、小さいころから科学女子だったんですね。私は、ぼーっとしていました。鍛冶屋さんには友だちがいて、よく遊びに行っていたけれど、冬は暖かくていいなぁと思ったりして...(笑)。<br /><br />実は私は学生の時、鋳物を専攻していました。型が冷たいままで熱い金属を流し込むと割れるので、型を熱く焼くために、窯焚きの日は始発で学校に行き、門が締まっているのでよじ登って超え、工場に入り込んで火をつけていました。土はあたたまるのに時間がかかって、そうしないと大きいものだと夜までに鋳込むことができませんでした。もちろん溶けた地金をすくって流し込むのは熟練の先生方ですが、窯焚きの日は達成感があって最高、毎日、灰まみれでした(笑)。<br />ガーナの村に見に行った時も、わりと朝早く行ったと思いますが、職人さんはずーっとふいごを動かし続けていて、単調なの何のって。時間がかかるのです。夜になって仕方なく帰りましたが、型を割るところまで見ませんでした。もっとも、型は冷えてから割ります。<br />石文化は青銅器文化に負け、青銅器文化は鉄文化に負けてしまいましたが、物語など読むと、鉄器製造は長い間秘密だったようですね。春https://www.blogger.com/profile/02638525564901287095noreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-5635687631229634575.post-7260712557672907492017-07-19T21:05:07.916+09:002017-07-19T21:05:07.916+09:00都染めって繊維用の染料だったのですね。Shigeさんが最近都染めの陶器を拾われて、てっきり白髪染めだ...都染めって繊維用の染料だったのですね。Shigeさんが最近都染めの陶器を拾われて、てっきり白髪染めだと思っていました。<br />ビンディーってもともとは硫化水銀なんですね。それを毎日おでこに付けて大丈夫なんですかね~。<br />ブロンズの分銅、いいですね!地金と型をくっつけて落とし込む方法も面白いですね。いろいろ考えるなぁ。<br />私は小学生の時、友達と3人で理科の先生の指導の下(公立の小学校なのに専任の理科の先生がいた!)、砂鉄から鉄を作る自由研究をやりました。暑い時期にストーブ点けて砂鉄を溶かそうとしたけどだめで、結局ニクロム線を埋めるとその周りで固まった、という実験結果だったと思います。でも今調べたら鉄の融点って1500度ぐらいなのでニクロム線がそんな温度になったのかは疑問。先生のアイデアに便乗してばかりで先生にすごーく怒られた記憶しかありません。hiyoconoreply@blogger.com