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2020年3月15日日曜日

初冠雪の日曜日

昨日は、気象予報では雨が降り寒い一日となるとのことでしたが、予報通りになりました。

昨日のソメイヨシノ

重い曇天がお昼前から雨にかわり、ふと外を見たら、
「あれっ、雪になっているよ」
今年初めての雪でした。
雪はやがて雨になり、また雪になりましたが、夜にはすっかり晴れたようで、夜遅くには月の光が寝室に差し込んでいました。


そして今朝、寝室から見る作業棟の屋根が、汚れて見えるというか、いつもと違う、夜に濡れた瓦が凍っているんだなと思いました。
もしかしたら、山には雪が残っているかもしれないと、居間から見ると、


やっぱり。
左の筑波山から右の加波山まで、一定の高さ以上には雪が残っていました。もちろんこの冬の初冠雪です。


筑波山と加波山。

メダカ鉢にも珍しく氷が張っていて、冬じゅう室内で暮らしていたホテイアオイは、寒さに震えあがったことでしょう。


八郷に越してきて、骨董市デビューしたいという旧友のOちゃんと、骨董市に行ってきました。その帰りに、愛宕神社に参拝してきました。
標高の低い(306メートル)愛宕山にも雪が残っていて、ときおり屋根の雪がどさっと落ちてきました。


杉の枝に残っていた雪。


Oちゃんは犬のトビのお守りを、私は火防のお札をいただきました。


今日も上空には強い寒気が居座っているそうです。





2020年3月10日火曜日

近頃思うこと

 

以前は大人の疾患だった花粉症が、子どもに増えています。5歳以下の5人に1人が発症しているという報告もあります。
原因はいろいろ考えられますが、一つは部屋の中の除菌をしすぎて、赤ちゃん時に体内に十分な細菌が入らなかったことによるようです。
また、帝王切開が当たり前に行われるようになって、無菌状態で生まれる赤ちゃんが増えたからとも言われています。赤ちゃんは、母親の産道を通って生まれるとき、初めて細菌の洗礼を受けるのですが、それはとても大切なことです。いろいろなアレルギーに対抗する菌を体内に取り入れはじめる、出発点なのです。
体内に細菌がいなければ、赤ちゃんは飲んだ乳も消化吸収できないし、人は生きられません。


花粉症は、家畜を飼っている人たちは発症しない(しにくい)ことが知られています。
日頃から、様々な細菌と共に暮らしていて、体内に花粉に対する抗菌が存在するからです。

体内には様々な菌がいます。それを、人は悪玉菌、善玉菌と区別し、善玉菌だけ住むよう願いますが、それはあくまでも人から見た評価です。
藤田紘一郎さんは「ちょい悪菌」の存在に注目していますが、「ただの菌」もたくさんいることでしょう。


赤ちゃんは、生まれてしばらくすると、何でも舐めたがります。
その行為は、歯の成長を促しているだけでなく、様々な菌を体内に取り込んでいるのだとも言われています。はいはいする時期、土の上ではいはいさせると、土をなめ、様々なミネラルとともに、細菌も体内に取り込みます。
しかし、こうやって、細菌を体内に取り込んで、身体の基礎が出来上がるのは、生後1歳くらいまでです。
2歳、3歳で花粉症が出てからでは、遅いのです。


昨今、「臭い」に対して敏感な人が増えています。
でも、匂いは人の生活とともにあるものです。除菌、除菌と、何も考えずに消臭剤や除菌剤をまき散らしていることが、恐ろしいこととは考えていません。
エアコンも、除菌機能を搭載していると、高らかに歌っています。しかし、エアコンから吐き出された空気は、外の温度を狂わせるだけでなく、細菌濃度をも高くしてしています。つまり、室内さえよければ、後はどうでもいいということでしょう。
これが進むと、人は自然の空気とは遮断されたドームの町の中にしか生きられなくなることでしょう。


新型コロナウイルスの拡大を防ぐことは大切と思いますが、テレビなど見ていて、得意げに手洗いの方法を教授している人に不快感を覚えます。それを真似ている人も多いかと思います。
それより、消臭剤は決して使わないようにすること、消毒もしすぎないこと、水も大切にすること、そんなことをいろいろ考えた方がいいと思います。
哺乳類の私たち、もっと太陽や土を信じて暮らすことが大切なのではないかと思います。







2020年3月9日月曜日

プラテーロの村


笠間の町はずれ、Nobu'sギャラリーで、kuskusさんの「プラテーロの村」展が開かれています(15日まで)。
部屋全体が一つの物語になっていて、とても素敵でした。


Nobu'sギャラリーは、入り口をのぞいて全部壁ですが、その壁いっぱいにヤギが躍っていました。


陶板も、写し忘れましたがたくさんあって、どれも素敵でした。
しかし、我が家はもともと壁が少ない上、そのない壁全部がふさがっていて残念、飾りようがありません。







2020年3月5日木曜日

てんぷら

夫はときおり、天ぷら、すし、すき焼きなどの「昔のごちそう」が無性に食べたくなります。
てんぷらは、水戸の安くて量の多い天ぷら屋さんがごひいき、つきあって天ぷら屋さんに行ったとき、私は残すのは良しとしないので頑張って食べますが、ほぼ毎回、
「あぁ、しばらく天ぷらは見るのも嫌!」
と思うほど、胃にもたれてしまいます。
そんな天ぷら屋さん、昨年暮だったか、今年になってからだったか、夫が行きたがるので行ったことがありました。
その時も、やっと完食できた感じでしたが、帰り道、珍しく夫も気持ち悪いようでした。
「油が古かったのかもね」
「そうかぁ」
などと言っていましたが、夫の具合はいよいよ悪くなり、珍しく夕飯も食べず、梅肉エキスをなめて寝てしまい、翌日になってやっと元気を取り戻しました。

さて数日前、
「今日はてんぷらにするよ。もうアナゴは解凍した」
と夫。アナゴのてんぷらが食べたくなったけれど、古い油はこりごりなので、自分でつくることにしたようでした。
我が家では、アナゴ、えびなど天ぷらの具材は常備しています。
余談ですが、塩、砂糖、醤油などの調味料、バター、菜種油などの油類はもちろん、トイレットペーパーも不足なく常備しているので、かつてのオイルショックのとき(古い!)も、15年ほど前のバター不足のときも、そして今回のトイレットペーパー不足も、それを求めてさまようことはありません。いつも半年分くらいは悠にあります。
「えぇぇ、てんぷら!テラスで揚げるの?」
「台所だけど」
「じゃぁ、あとで換気扇の掃除もきちっとやってよ」
台所で、ときおり揚げものもしますが、飛び散った油で汚れてしまいます。私としてはできるならしたくないのです。
「いいよ。テラスでやるよ」
と夫。
まだがテラスのガス工事はしていないので、居間からガスを引きました。


寒い日だったので、私は室内で揚げたてをいただいています。


夫はアナゴだけと言っていましたが、私は久しぶりにフライドポテトを食べたいと思い、イカとえびのシーフードミックスと玉ねぎのかき揚げを揚げてもらいました。

やっぱりご飯は家で食べるのが一番です。
ただ、すき焼きはなかなかつくれません。生協の牛肉は高いし、スーパーマーケットの肉を買うのも抵抗があります。


遺伝子組み換えの食品について、ずっと発信し続けている友人が、新型コロナウイルスよりも二桁以上多い死者を毎年だし、急速に拡大しているにもかかわらず治療方法が確立していない新型の感染症について、警鐘を鳴らしています。

それは抗生物質耐性菌で、2015年の段階で、日本も含むG7が、この菌によって世界で年間70万人の命が奪われていることを認めており、現在でははるかにそれより多くなっていることが考えられています。
抗生物質耐性菌をつくりだしている原因の多くは、抗生物質や遺伝子組み換え飼料を使うファクトリーファーミング(工場型畜産)と呼ばれる集約的な畜産にあることが、指摘されています。
アメリカでは近年、ファクトリーファーミングに対して大きな反対運動が起こっており、ファクトリーファーミング型の畜産場の新設は、すでに困難になっています。
そして、アメリカのスーパーマーケットでは、認証のついた肉に人気が集まり、ファクトリーファーミングでつくられた肉は売れなくなり、斜陽になりつつありました。それが、売れなくなった肉は輸出に回して、トランプ外交で強引に他国に押しつけ、息を吹き返しつつあるそうです。
日本もその買いつけを約束し、日本の市場にはいま、その安い肉が以前にもまして多量に流れ込んでいます。アメリカ人が食べなくなった肉を、安いからと食べているのです。
抗生物質耐性菌の被害の実態を知ることは難しいし、マスメディアもまったく報道しませんが、抗生物質耐性菌が人類最大の脅威となる日が、近いうちに来ることを、友人は警告しています。





2020年3月3日火曜日

古い写真

コンピュータの背景の画像として、長く猫のトラの写真を使っていましたが、しばらく前にバージョンアップしたら、勝手に消えて、画面が真っ黒になってしまいました。
もう一度トラの写真を貼りつけようと探していたところなかなか見つからず、母の写真が目についたので、これを背景にすることにしました。


前列の真ん中が母です。
コンピュータを立ち上げるたびに目にする写真。毎日見ていると、いやでも細部に目がいってしまいます。母の母、すなわち祖母の肩越しに見える花は、いったい何でしょう?
祖母に抱かれている赤ちゃんは、昭和2年生まれの母の妹、昭子さんです。昭子さんが何月生まれかは知りませんが約1歳、この写真は昭和3年(1928年)に撮られたのではないかと推察できます。場所は、岡山県の宇野、橋ができるまでは香川県高松への宇高連絡船でにぎわっていた町です。
花は最初シクラメンに見えましたが、当時、シクラメンは出回っていたでしょうか?
シクラメンは地中海原産、日本には明治時代にもたらされましたが、冬の花としてシクラメンをよく目にするようになったのは、1960年代(70年代?)以降だと思われます。出回り始めたころは、高価でもありました。
とすると、この写真に写っている花は、サクラソウなのでしょう。
サクラソウの鉢植えは、花の種類が少なかったころは、今よりもっと花屋さんの人気商品でした。母も、サクラソウの鉢植えを愛でていましたが、今考えるとそれは、日本サクラソウではなくて、サクラソウによく似たプリムラ(プリムラ・マラコイデス)だったのでしょう。

さて、長男、すなわち母の兄の小学校入学前後に記念写真を撮ったとしたら、一つ違いの母は5歳です。兄以外の子どもたち、母と弟、そして妹は、手編みのセーターを着ています。
祖母は当時の人ですから、着物はすべて自分で縫っていたのですが、編みものも得意だったのでしょう。


編みものといえば、もう少し大きくなってからの兄弟だけの写真でも、母と妹、そして末の弟は、手編みの服を着ています。
しかも、母のセーターは裾に模様が入っているだけですが、母の妹のセーターと末の弟のカーディガンは、凝ったデザインの編みものです。よくは見えませんが、末の弟のパンツも編みもので、カーディガンとパンツとは、おそろいだったのかもしれません。
家は商家だったとか、祖母は炊事洗濯、そのほかいろいろ家事があったはずなのに、昔の人はすごいです。






2020年2月29日土曜日

パンデミック

新型コロナウイルスは、世界で感染者が8万人を超える、パンデミックとなりました。
パンデミックとは、病気、特に感染症が、ある国のあちらこちらや、国境を越えて世界中で大流行することです。

感染症は、生物の出現とその進化の歴史とともにあり、有史以前から近代まで、「ヒト」の疾患の大きな部分を占めてきました。
感染症や疫病に関する記録としては、古代メソポタミア文明の、バビロニアの『ギルガメシュ叙事詩』(紀元前1300~1200年)に、四災厄のなかの一つに数えられ、同時期のエジプトでも、ファラオの威光は悪疫の年(パンデミック)における厄病神に比較されていました。
中国にあっても、紀元前13世紀における甲冑文字の刻された考古資料から、疫病を占う文言が確認されています。
医学の歴史は、感染症の歴史にはじまったといっても過言ではないほど、感染症は、民族や文化の接触と交流、ヨーロッパ世界の拡大、世界の一体化などによって、何度もパンデミックを起こしてきました。

紀元前5世紀の、アテイナとスパルタの27年におよぶ戦い、ペロポネソス戦争は、アテイナで起こったパンデミックも影響して、スパルタの勝利に終わりました。このときの疫病は天然痘だったと考えられています。
ペロポネソス戦争といって思い出すのは、高校の世界史の先生です。年号から事象からよどみなく話すその声まで思い出すほど、高校の授業で初めて知ったペロポネソス戦争をでしたが、その陰に天然痘の流行があったことは、最近まで知りませんでした。



世界規模で、何度もペスト(黒死病)が大流行しましたが、14世紀に起こったペストのパンデミックはもっとも深刻なものでした。


ミヒャエル・ヴォルゲムート、「死の舞踏」、1493年

世界で1億人ほどの人が死に、当時の世界人口を4億5000万人から、3億5000万人に減少させました。
とくにヨーロッパでは深刻で、1348-1420年にかけてのペストのパンデミックで、当時のヨーロッパ人口の約3分の1から半分にあたる人々が死亡しました。イタリアの町や村では、人口の約80%が死に絶えたところもあって社会が崩壊し、その時の影響は、ヨーロッパ社会に今でも残っているほどです。
そして、ペストは今でも発症例があり、恐れられています。


天然痘の被害を伝えるアステカの絵

コロンブスのアメリカ上陸(1492年)後、アメリカ大陸にはさまざまな感染症がもたらされ、免疫のなかった先住民の人々が犠牲になりました。
中でももっとも猛威を振るったのが天然痘で、ほとんど死に絶えた民族もあり、いくつもの文明が滅びました。
パンデミックは、白人によるアメリカ大陸の征服を助ける結果となりました。



19世紀から20世紀にかけて、地域を変えつつ、コレラが7回、全世界でパンデミックとなりました。

1919年、カリフォルニア州オークランドのスペインカゼの患者

1918年から19年にかけては、スペインカゼ(インフルエンザ)がパンデミックとなり、死者は5000万人から1億人と言われています。
この時期は、第一次世界大戦の末期で、総力戦体制のもと、全世界的に軍隊や労働者の移動が活発になったことが、被害を大きなものとしました。パンデミックは、鉄道や河川といった輸送ルートを通って海岸部の港湾都市から奥地へと広がっていきました

1980年以降では、後天性免疫不全症候群の患者が全世界で増大しました。もっとも感染の激しかったアフリカでは、全人口の30%以上が感染した国家まで存在しました。
そして、2002年から03年にかけて、SARSが世界各地で流行、香港を中心に8000人以上が感染、37か国で774人の死者が出ました。

医学を含む科学が発展し、いろいろなことが分かってきてはいますが、パンデミックはなかなかなくなりません。
というのも、今では1年間に国境を越えて移動する人口が11億人にも上り、地球全体が袖振り合う仲、封じ込めはとても難しい状態になっています。






2020年2月18日火曜日

茨城県はマナーが低い?

昨年、ある集会でパネリストのKさんが、何のテーマでお話されていたのだったか、
「茨城の方もいらっしゃるようなので、この写真を見せましょうか」
と、道端に立つ、手づくりの稚拙な鳥居の写真をスライドで映されました。Kさんは、日本全国の市町村から町おこしをテーマとした講演に呼ばれて、忙しく飛び回っているという方でした。
そのスライドの鳥居は、私は日常的に目にしているものでしたが、会場にいる他の方たちは、何だかご存じないようでした。
「えぇっ、あれは茨城固有のものだったのか!」
そうだとは、まったく知りませんでした。


鳥居は、ごみを車窓から投げ捨てるなというサインです。


近所の道の、人家のないところに立っているのは、やたらごみを捨てる人が多いということなのでしょう。


その昔、京都のあたりだったか、町の土塀の下の方に小さく、鳥居の絵が描かれていました。
それは、「小便無用」つまり、立ち小便をすると罰が当たりますよと、神さまを持ち出して、立ち小便の被害を少なくしようとしているものでした。
今どき、他人の目も構わず町中で立ち小便をする人はいないと思いますが、車で走りながらごみを捨てる人は、なかなかなくなりません。

Kさんは、鳥居を建てると、霊験あらたか、ゴミ捨てがなくなると話されていました。確かに、レジ袋ごと捨てているような見苦しいごみは、鳥居の周りには落ちていません。

車窓からごみを捨てて、自分の目も汚してしまう人の気持ちはわかりません。しかも、車を走らせながら、助手席の窓を開けて放り投げているのです。いっそ、運転者は助手席の窓をボタン一つで開けられないようにしたらいいのに、と思っていましたが、最近、投げ捨てのゴミは少し減ってきたような気もします。
道端から、鳥居がなくなる日が、早く来て欲しいものです。







2020年2月16日日曜日

養蚕と猫

私のきょうだいたちの集まりで、東京の小金井に行ってきました。


いつもは電車を使って行きますが、今回はコロナウイルスと遭遇するリスクをできるだけ避けようと車で行ったので、帰りに近くの東京農工大学科学博物館の企画展、「猫神様と養蚕展~やっぱり最後は猫頼み~」を観てきました。

養蚕小屋の模型

東京農工大学科学博物館に常設してあるものは、近代の機械も含めてほぼ養蚕に関するもの、というのも、知らなかったのですが、いくつかの機関が合併してできた東京農工大学の前身の一つが養蚕試験場だったこと、全然知りませんでした。
また、この科学博物館の前身は繊維博物館だったそうです。


いくつかの展示室に分かれて展示してありましたが、この部屋には、新田氏四代の描いたネズミ除けの猫絵が展示してありました。
新田氏は新田義貞の末裔で、新田の庄(群馬県太田市)で120石の高家として暮らしていましたが、貧乏高家のためにお金がなくて、町人や農民が所望する猫絵を描いて、苦しい家計の足しにしていました。




養蚕農家は、新田猫絵をありがたく掛け軸にして養蚕部屋に掛けるほどの大人気でしたが、それにあやかる偽ものまで出ていたそうです。

さて、江戸時代には養蚕の手引書としての『かゐこやしなひ草』や、『蚕錦絵』がたくさん描かれました。


そんな絵の中の、猫が描き込まれているものが展示してありました。
ガラスのケースの奥の方に、小さな絵が斜めに立てかけて置いてあり、肉眼では細部まで見えないほどだし、カメラを高いところに構えても、角度が悪くて絵が四角く写せない。うまく撮れるかどうか危ぶみましたが、カメラの性能のおかげか、まあまあよく撮ることができました。




どれにも、かわいい猫がいます。
これらの絵が展示してあるケースのガラスは垂直だったので、まだ写しやすかったのですが、ガラスが水平になっているケースの中の絵は、ちょっと難しいものでした。


光がいろいろな方向から来ているので、自分の影が映りこまないようにするのが一苦労、なんとか影を写り込ませないで撮っても、照明の光が点になって入ってしまいます。
といいつつ、フラッシュをたかなければ写真を自由に撮らせてくれるし、入館も無料の、とてもありがたい博物館でした。


子猫もいるのに、猫のところにちょうど光が当たってしまいました。

  

どの猫も、仕事をしているというより、のんびりと暮らしています。


山の形をしたものは、稲わらの「まぶし(繭を産みつける台)」でしょうか?


常設展の、まぶしを展示した一角に、似たまぶしがありました。
 
『新板蚕やしない尽し』、竹内栄久絵

『新板蚕やしない尽し』という絵では、猫は働く人々の傍らでまったりしているのではなく、忙しそうに養蚕をしていました。
この絵が、ポスターになっていたのでした。


養蚕双六も、遊ぶというより、一種の飼い方の手引きだったのかもしれません。
ふりだしには、大きな猫がいます。


双六の右の方の養蚕道具の絵を拡大してみました。


養蚕が盛んだったところの神社の中には、猫が祀られていたり、阿吽の猫がいたりすることは知っていましたが、猫が養蚕の守護神として、こんなにも深く愛されていたとは、あまり知りませんでした。


招き猫の起源も、養蚕と無関係ではないのかもしれません。


いつか、猫のお札をいただける神社を訪ねてみたいものです。


さて、イエネコは、リビアヤマネコが家畜化されたもので、日本には唐から経文がもたらされた時代に、経文がネズミにかじられないように、船で連れてこられたものが起源だと言われていました。


ところが最近、壱岐島のカラカミ遺跡の発掘調査が進むにつれ、犬の骨などとともにイエネコの骨も出てきて、弥生中期から後期にかけて、日本にはすでにイエネコがいたというのが定説となりました。
そんな、壱岐島の猫の骨の写真まで展示してありました。

ミュージアムショップで、以前hiyocoさんに教えていただいた、『浮世絵にみる蚕織まにゅある かゐこやしなひ草』というカタログも買ったのですが、長くなりすぎているので、明日のUPとします。