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2020年3月8日日曜日

コケーシカ

夕食後、ぼんやりとマトリョーシカのお店のホームページやブログをのぞくことがあります。高くなっていておいそれと買えないけれど、ロシアの手仕事を垣間見るのは楽しいものです。いくつかのお店をのぞいたあと、ふと思いついて鎌倉のコケーシカのホームページをのぞいてみました。
コケーシカは、ネット販売はしていませんでした。お店で直接見る人だけを相手にするというのは、一つの矜持かもしれませんが、さりとて行けないところには行けないもの、それならホームページなんて見ないぞという気持ちになったのか、何年ものぞいたことはありませんでした。
「あれぇぇ!」
コケーシカのオンラインショップが開設されていました。
日本のほとんどのマトリョーシカショップが、どちらかといえば作家ものを中心に扱っている中、コケーシカでは、伝統的な産地の職人さんのマトリョーシカと、コケーシカのオリジナルのデザインでロシアでつくったマトリョーシカを売っています。もちろん、日本各地のこけしも売っています。
店主の沼田元氣さんは、マトリョーシカの本を書かれたり、毎年、希望者を募って、ロシアにマトリョーシカを訪ねる旅をされたりしているユニークな方で、できるならお店を訪ねてじかにお話をうかがう方が楽しいに決まっていますが、なかなかそうもいきません。
ネットで見つけたのも何かの縁と、沼田さんデザインのコケーシカ(オリジナル・マトリョーシカ)を一つ買うことにしました。


届いた箱には、沼田さんデザインの、「コケーシカ」のシンボルのマトリョーシカのシールが貼ってありました。


そして、反対側にはこけしのシールが。
私は包装にはこだわらない、むしろ再利用の箱の方が好きですが、まいったなぁ、こんなシールを見ると、段ボール箱が捨てられなくなります。


 同封されている紙類も面白いものばかり、


これは、ご著書の中で沼田さんが紹介されていた、ロシアの飛行機の座席に常備している非常時のための注意書きのコピーですです。
ちなみにこの裏には、この夏のマトリョーシカ・ツアーの日時や訪問先が書いてありました。
  

同封されていた紙で楽しんだ後、やっとコケーシカまでたどり着いたら、これまたかわいい箱に入っていて、しばし見とれてしまいました。


開けると、コケーシカを包んである紙も、素敵です。


そして、やっとコケーシカが出てきました。
コケーシカのマトリョーシカには、セミョーノフでつくられた基本形のコケーシカがありますが、これはノーリンスクでつくられた麦藁細工のものです。
色で染めた麦わらを貼ってあります。


端正なコケーシカたち、麦わらの菊はどれも豪華で、一番小さい娘も丁寧に模様がつけられています。


コケーシカは、腕のあるものないもの、胴が生地のままのもの黄色に塗ったものの4種類があります。
私は、胴が黄色で腕のあるタイプを選びました。


後ろ姿は、プラトーク(スカーフ)で頭を包んだマトリョーシカの後ろ姿と違って、 あっさりしたもので、ちょっと笑いを誘います。


伝統に伝統を重ねると思わぬものができてしまうというか、いやはや、存在感のあるコケーシカたちでした。







2020年2月26日水曜日

日本の入れ子人形


いつからあったのか、どこで手に入れたのか、すっかり忘れている箱根細工の入れ子の七福神がいます。
招き猫、だるま、福助など、庶民の信仰に結びついた縁起物が好きな私ですが、七福神はなんとなく好きになれないので、たぶん、骨董市(ほかの可能性がない)で見かけて、
「まぁ、買っておくか」
ぐらいの関心しかなかったので、時間が経つうち忘れ果てていたのでしょう。


七福神とは言え中は空っぽ、寿老人だけでほかの6人は失われていました。
それゆえ、値段も安かったものと思われます。

玩具博物館の展示

ロシアのセルギエフ・パサードの玩具博物館には、1890年代に箱根を訪れたロシア人が持ち帰り、セルギエフ・パサードの芸術村で、それをもとに、画家のマリューチンと、轆轤師スビョズドチキンによって、最初のマトリョーシカがつくられたと言われている、入れ子の七福神が展示されています。
かつて、七福神の入れ子は箱根でつくられていましたが、箱根の入れ子細工は現在は後継者もなく、寂れる一方のようです。

『ロシアのマトリョーシカ』より

しかし、こけしの産地東北では、今でも入れ子人形がつくられていて、『ロシアのマトリョーシカ』(スヴェトラーナ・コロジャーニナ著、スペースシャワーブックス、2013年)には、遠刈田の小笠原義男さんが2010年につくった七福神が載っています。

『マトリョーシカ大図鑑』より

日本の入れ子人形は七福神だけではないようで、『マトリョーシカ大図鑑』(沼田元気著、二見書房、2010年)には、だるま、こけしなどの入れ子人形が載っています。


ところで、さすがです。
道上克さんの、『マトリョーシカアルバム 2019』には、箱根でつくられた珍しい入れ子人形が載っています。
これは何でしょうか?
修験者が修行を積んで達磨になったという物語でしょうか?でも、だるまさんにしては、手が見えます。まだだるまになる途中なのかもしれません。


そして、全部女性の入れ子です。
修験者も女性も、明治時代のものです。


一番大きい女性は、手に羽子板を持っています。
全部女性であることといい、右手に羽子板を持っていることといい、まるでロシアのセルギエフ・パサードのマトリョーシカのようです。
箱根と東北、箱根とロシア、ロシアと東欧諸国など、入れ子人形は人の手によって運ばれて、それを目にした轆轤の職人さんたち、絵つけをする職人さんたちは、お互いに刺激を受け合っていたのでしょう。
もちろん、電気のない当時の轆轤は足で蹴るものや、手で回すものなどでした。


ところで、私の持っている寿老人は、筑波山と書いた紙だか巻物だかを持っているのが不思議です。
箱根でつくられていたにもかかわらず、筑波山でも売られていたのでしょうか?
道上さんのお話では、中をくりぬいたものは、入れ子人形だけでなく、経文入れもあったそうです。
ただ、これが寿老人であることから、最初から単独のものと考えるのは難しいこと、中の6人が失われてしまったと考えるのが自然に思えます。








2020年2月12日水曜日

『マトリョーシカアルバム 2019』

先週は、週末にテラス工事の手伝いの方たちを迎える下準備のため、いつもにも増して朝から夕方まで、材を削ったり、穴を開けたりと、機械音を轟かせていました。
そんなおり、ふと顔を上げると、宅配便の配達の方が、目の前に立っていました。夢中で作業していたし、音がうるさくて、近くに来られるまで気づかなかったのでした。

さて、何が届いたのかしらと見ると、思いがけないことに、差出人はマトリョーシカコレクターの道上克さんでした。
驚いて包みを開けると、中に『マトリョーシカ アルバム 2019』(道上克著、非売品、2019年12月1日発行)が入っていました。


「どうして、この私に?」
と思いながら、同封されていたお手紙を読むと、ネットで私のブログを目にとめられたとのこと、道上さんのことも書かせていただいていたので、『マトリョーシカ アルバム 2019』を送ってくださったのでした。
道上さんの展示会の会場だった、マトリョーシカのお店の銀座「木の香」に、DMを送っていただこうと私の名前や住所は残していたので、たぶんそこでお聞きになったものでしょう。

裏表紙。ポーランドの小物入れ

それにしても、嬉しいことです。
「木の香」に道上さんのマトリョーシカ展を拝見しにうかがったときにも、初対面だったのに、一見学者の過ぎない私にいろいろ解説していただいただけでなく、『マトリョーシカアルバム 改訂版』まで、いただいています。そして、今回の『マトリョーシカアルバム 2019』です。
『改訂版』は、資料として見ごたえのある、139ページのアルバムでしたが、『2019』はさらに充実して、249ページもあります。

マトリョーシカの産地

マトリョーシカの種類や特徴などについて、あるいは産地や制作年代の見分け方について、これまでに私が少しでも知ることができたのは、道上さんのご本、『マトリョーシカ ノート3』と『マトリョーシカアルバム 改訂版』(ソフトカバー)によってでした。
この2冊がなかったら、マトリョーシカについていろいろ知りたいと思ってもかなえられず、もやもやが募っていたことでしょう。

1900~1910年代

『マトリョーシカアルバム 2019』のページをめくると、魅力的なマトリョーシカに次から次へと出逢えます。それを眺めていると、いったいマトリョーシカとは、人々の生活にとって何だったのかと、改めて思ってしまいました。
というのも、昔のマトリョーシカは特に入れ子の数が多いのですが、傷んではいないし、小さいものもほとんど失われていません。ということは、子どものおもちゃだったとは、考えにくいのです。

1910~1920年代のもの。ナポレオンは1912年

マトリョーシカはロシアで、19世紀の末からつくられるようになりましたが、1900年のフランスのパリでの万国博覧会に出展され、大人気を博しました。
入れ子でつくられたことから、多産を願うお守りであったとも言われていますが、民間信仰につながっていると思えないものも、数多くあります

1920~1930年代

マトリョーシカの制作は、1917年のロシア革命以後、さらに発展しました。
というのも、教会で絵を描く仕事や家庭用のイコンを描く仕事をしていた大勢の、優れた画家たちが革命によって宗教画を描くという職を失い、もともと盛んだった木工と結びついて、その両方の技術を結集させたのがマトリョーシカだったからです。


絵つけにも目を奪われますが、年月を経ても狂わない轆轤細工には驚嘆してしまいます。
今は乾燥機が発達しているためか、日本の新しい木のお椀はあまりゆがんだりしませんが、その昔、どの家庭にも木のお椀しかなかったころ、楕円形になって蓋と合わなくなったお椀(やお櫃)をよく見かけました。蓋を軽く乗せるものでさえそうですから、ピタッと合わせなくてはならない蓋ものはそれ以上につくるのが難しいものです。

マトリョーシカでも、ロシア以外でつくられたものは、そこのところがちょっと甘いのです。我が家にもうっかり上半分をつかもうものなら、ゆるくて下がガチャンと落ちてしまう中国製のマトリョーシカや、閉まったままで二度と開かない、ヴェトナム製のマトリョーシカなどがあります。
その点、ロシアのマトリョーシカは、年月を経ても正円が保たれ、しかも合わせ目はきつくもゆるくもならず、うそのようにぴったりと閉まります。
上の部分と下の部分では、乾かし方を違えた別の木を使って狂わないように工夫しているそうですが、すごい技術の蓄積です。

1920年代

1900年にパリ万博に出品されたマトリョーシカは、農民の家族をあらわしたものでした。そのマトリョーシカの一番大きいお母さんは、鶏を持っていましたが、以後いろいろなものを持っているお母さんが描かれました。
このマトリョーシカのお母さんは、アヒルとこうもり傘を持っています。

1920~1930年代

袋を持つお母さんも多く、ウサギや豚などを持っているお母さんもいます。

さて、ゴルバチョフ時代からか、歴代の政治指導者を描いたマトリョーシカがあります。
時の指導者を一番大きくしているので、それを見て、ゴルバチョフ書記長の時代につくられたものとか、エリツィン大統領の時代につくられたものとかがわかります。今も、プーチン大統領が一番大きくつくられたマトリョーシカが売られています。


『マトリョーシカ アルバム 2019』には、そんな指導者マトリョーシカとはちょっと変わった、スターリンとその部下の興味深いマトリョーシカが載っています。
もちろん、非情な独裁者として名を馳せていたスターリンが権力の座にいたころにつくられたものではなく、スターリンの死後、1980年代につくられたものです。


このマトリョーシカのスターリンは、拷問用なのか、火のついたろうそくを持ち、部下は処刑を済ませたばかりなのか、血のついた刀を持っています。
実際は、死刑にされた人たちはほぼ銃殺刑で、粛清最盛期の1937年から38年にかけては、旧指導層の中の反革命罪で死刑にされた人だけで、63万余人におよびました。
いったいどんな人がこのマトリョーシカを買い求め、飾ったのでしょうか?スターリンの死後とは言え、1980年代と言えばまだソヴィエト時代、国外向けのものだったのでしょうか?


『マトリョーシカ アルバム 2019』に載っているマトリョーシカの中で、私が一番好きなマトリョーシカです。
形といい、お顔といい毎日見ていたい雰囲気のマトリョーシカです。


この数を覚えるための教材のマトリョーシカ、『改訂版』にも掲載されていましたが、すごいです。高さ4センチの小さいマトリョーシカだけで、160個もあります。
そして、箱も素敵です。

昨年、「木の香」で道上さんとお会いしたとき、最近はマトリョーシカも見つかりにくくなったので、集めることより整理に力を入れたいとおっしゃっていたように記憶していましたが、もしかしたら、私の勘違いだったかもしれません。
というのも、今回同封されていたお手紙には、編集作業をするのは細かい仕事で疲れるので、本をつくることはこれくらいにして、今後は集めることに集中されると書いてありました。
何と頼もしい、裏表紙のような珍しいものがどんどん道上さんの手元に集まって、マトリョーシカの全貌がよりはっきりと見えてくるのが、楽しみで仕方ありません。
どこかに散らばっているマトリョーシカたちの方も、きっと道上さんに見つけてもらいたいと考えているに違いありません。

搬入が大変なので、展示会ももうこれが最後かと昨年はおっしゃっていたのですが、嬉しいことに、2020年6月中旬には、慶応大学の日吉のギャラリーでマトリョーシカの展示会を企画されていらっしゃいます。
またまた、古いマトリョーシカたちをこの目でみたいもの、楽しみに待ちたいと思います。






2019年6月11日火曜日

とりとめのない話

古い友人の息子のトヌちゃんが遊びに来ました。
インド生まれですが、日本の大学を卒業して、オランダで修士課程修了後、今はドイツで博士課程に在籍しています。ヨーロッパにわたって早5年、後1年で博士課程を終える予定です。
それにしても、条件もつけないで3年間、月々十分な給料をくれながら、論文を出せば博士号をくれるなんて、ドイツには素敵な大学があるものです。もっとも、それはトヌちゃんが成績優秀だからできたということを忘れるわけにはいきませんが。


トヌちゃんと夫とは生物多様性の喪失や、地球の今後の話などを、世間話抜きで、当然のように楽しんで(悲観し合って?)いました。年の差はあるけれど、夫にとっては何でも話せる、もっともよい仲間なのです。


私とは、まぁ雑談です。

トヌちゃんの論文のテーマは、インド西ベンガル地方の有機農業の実態です。
グーグルマップで西ベンガルのあたりの地図を見て、有機農業をやっている人たちに想いを馳せながら、チャンダナガーのフーグリー川のほとりで、トヌちゃんの両親や幼かった兄妹と一緒にチキンを食べたことなど思い出しました。
「グーグルマップはすごいねぇ」
西ベンガルの地図を見る前には、トヌちゃんのおじいさんが住んでいた新潟の家を見たばかりでした。
「ドイツの町を歩くにも、インドの村を歩くにも、スマホなしは考えられない」
それでも、ドイツにはなんとスマホを持つことを拒否する若い人たちが増えてきているそうです。いわゆるガラケイ、携帯電話は持っても、スマホは持たない、Facebookもしない人がたくさんいるとか。
「連絡も、電話する以外ないんだけど」
スマホを持つことを否定する若い人たちの出現は、日本を顧みると考えられませんが、西欧社会にはベジタリアンやビーガンがすごい勢いで広がっていることを思えば、スマホを持たない人が、いっそう増えることもありえるのでしょう。


自然と人との関係についても、いろいろ話をしました。
彼の先生の一人は、南米に奴隷として運ばれたアフリカ人がどうやって逃げて生き延びたかを研究しているそうです。
西アフリカと南米では植生も違いますが、同じ科や属の植物が見分けられた人たちは、逃げても食べものを確保できただけでなく、吹き矢(矢につける毒草も)など武器もつくって戦って、生き延びることができたそうです。
自然を知っていれば生き延びることができる話は、私も実感したことが何度かあります。
その一つ、昔タイ人たちと一緒にボルネオ島に行ったとき、ボルネオ島は初めてのはずのKが、歩きながら道々葉っぱを採って食べたり、とくにきのこを採って食べたのにはびっくりしたことがありました。
「知らない土地できのこなんか食べたら死ぬよ!」
と、私が悲鳴を上げると彼は、
「これを食べて死ぬなら、ぼくはずっと前に死んでしまっているよ」
といって、悠々と食べ続けたのでした。
そのとき、私は熱帯に置き去りにされたたくさんの日本兵たちが、食べるものがなくて餓死したことを思い出しました。そして、日本兵の中でも少数の、食べられるものを見分けられた人、あるいは現地の人と仲良くできた人は生き延びたことも思い出しました。


オランダ人が背が高いという話も面白いものでした。
現在、世界中で成人の平均身長が一番高いのはオランダ人ですが、じつは200年前にはとても背が低かったのだそうです。
その証拠に、オランダの民家園に行くと、残っている古い民家の軒は、トヌちゃんでさえ背を屈めないと入れないもの、そして軒や鴨居だけではなく、部屋の天井も低いのだそうです。
「どうしてこの200年でオランダ人は背が高くなったの?」
「それを研究している人もいるんだけど、肉を食べるのと牛乳を飲むのが重なったとか」
「それだけで、そんなに大きくなれるかしらねぇ?」
彼はすぐネットで調べました。たぶん、研究論文とかを見たのでしょう。
「世界で一般的には、背の低い女性の方が子どもを産む数が多いけれど、オランダでは背の高い女性の出産率の方が高かったんだって!」
「へぇぇぇ!」
まぁ、真意のほどはわかりませんが、何かが作用してオランダで変化が起こったことは確かです。
「日本で電車に乗ったら、ぼくの身長でまわりを見渡せるけれど、オランダだと、壁に囲まれた感じ。何も見えない」
「ふうん」
私もデンマークに行ったとき、古い家は天井がとても低いのに、現代人、とくに若い女性はとても背が高いのにびっくりしたことがありました。


トヌちゃんは今日、ドイツへ帰ります。





2019年4月11日木曜日

儚げな娘たち


小さなマトリョーシカです。
最初、なにこれと思ってしまいました。


ちゃんと立たないのです。


それもそのはず、平らであるべき底の、真ん中が高くなっています。
真ん中が心持ちくぼんでいるのはあり得ますが、真ん中が高くなっている、それも三つ揃って座りの悪いマトリョーシカを挽く轆轤職人さんは、考えてみると変です。
また、まっすぐ立たないと知りながら絵つけをする、それも底まで丁寧に塗って、そこに花を描く絵つけをした人も、変と言えば変です。
後から膨らんだ?
あり得ないでしょう。


ちょっとかしぐのを狙った?
まさかね。
一番小さい娘など、立てるのにもこつがいるほどです。


それでも、この娘たちは何とも言えずかわいいのです。
手に入れるとき、底は見えないのだから、彫刻刀で削ろうと思っていましたが、かしいでいるのにだんだん慣れてきました。
ちょっと大きめ(と言っても震度一くらいか)の地震があったとき、てっきり落ちていると思ったのですが、棚から落ちるどころか、倒れもしていませんでした。






2019年3月25日月曜日

皇帝サルタンの物語


皇帝サルタンのマトリョーシカ、ロシアとポーランドにはさまれた国、ベラルーシのブレストでつくられたものです。
「皇帝サルタン」はオペラで、原作はロシアのアレクサンドル・プーシキン、やはりロシアの作曲家のリムスキー=コルサコフが、1900年に作曲しました。


サルタン王とお妃

以下は、「皇帝サルタン」のあらすじです。
サルタン王は、三人姉妹の一番末の娘をお妃にしました。


お妃、お妃の姉二人と右端は謎の人物

おもしろくないのは、お妃の姉二人です。
王に向かって、お妃のあることないこと吹き込み、王はそれを信じて、お妃と王子を追放してしまいます。 よくある、愚かな展開です。
王子クヴィドーンは、母であるお妃の深い愛情のもと、立派な若者に成長します。 


白鳥と王子

やがて、王子はひょんな事から一羽の白鳥を助けます。白鳥は、王子にいつか恩返しすることを約束してその場を飛び立って行きました。 

ある日、お妃と王子は不思議な島に流れ着きます。島民の願いで、王子は島の王となり、島には平和な日々が流れていきます。 
一方、サルタン王は、三人の船乗りからクヴィドーン王子のことを聞いて驚きます。それを知った、お妃の二人の姉は、自分たちのついた嘘がばれることを恐れ、必死で覆い隠そうとします。
そこへ、いつか助けた白鳥の魔法で蜂に変身した王子がやってきます。そして、お妃の二人の姉を撃退します。そして、真実を知ったサルタン王はお妃と王子を迎えに行くことになりました。



白鳥はといえば、クヴィドーン王子の愛によって魔法が解けて、美しい王女に戻り、めでたしめでたしとなりましたとさ。

もとはと言えば、お妃の姉たちの嘘を見抜けず、お妃と王子を追放した皇帝サルタンの愚かさから物語が展開していますが、その愚かな皇帝の名前が、何故かオペラの題名になっています。
もっとも、皇帝が愚かでなかったら、王子は白鳥姫には会えなかったかもしれませんが。

めでたしめでたし。