ラベル 信仰 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示
ラベル 信仰 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示

2020年3月15日日曜日

初冠雪の日曜日

昨日は、気象予報では雨が降り寒い一日となるとのことでしたが、予報通りになりました。

昨日のソメイヨシノ

重い曇天がお昼前から雨にかわり、ふと外を見たら、
「あれっ、雪になっているよ」
今年初めての雪でした。
雪はやがて雨になり、また雪になりましたが、夜にはすっかり晴れたようで、夜遅くには月の光が寝室に差し込んでいました。


そして今朝、寝室から見る作業棟の屋根が、汚れて見えるというか、いつもと違う、夜に濡れた瓦が凍っているんだなと思いました。
もしかしたら、山には雪が残っているかもしれないと、居間から見ると、


やっぱり。
左の筑波山から右の加波山まで、一定の高さ以上には雪が残っていました。もちろんこの冬の初冠雪です。


筑波山と加波山。

メダカ鉢にも珍しく氷が張っていて、冬じゅう室内で暮らしていたホテイアオイは、寒さに震えあがったことでしょう。


八郷に越してきて、骨董市デビューしたいという旧友のOちゃんと、骨董市に行ってきました。その帰りに、愛宕神社に参拝してきました。
標高の低い(306メートル)愛宕山にも雪が残っていて、ときおり屋根の雪がどさっと落ちてきました。


杉の枝に残っていた雪。


Oちゃんは犬のトビのお守りを、私は火防のお札をいただきました。


今日も上空には強い寒気が居座っているそうです。





2020年2月23日日曜日

鹿島神宮


強風の吹く今日、日曜日に、鹿島神宮へ行ってみました。
鹿島信仰は、北に先住民族(蝦夷)の征伐に出かけるとき、ここで武運を祈願するといった、武士や貴族の信仰でしたが、また庶民の信仰でもありました。

その鹿島神宮の石の大鳥居は、2011年3月の地震で、倒れてしまいました。
最初の地震で根元に亀裂が入り、30分後の余震で倒壊しましたが、幸い避難誘導がうまくいっていて、怪我人などはありませんでした

笠間市稲田から切り出した御影石で、1968年に建てた鳥居

地震後しばらくして、倒れた石の大鳥居を木で再建するというニュースを新聞で見ました。


当時、東北の被災各地では、コンクリートで手っ取り早く村の神社の鳥居を再建して、みんなで元気になろうとする動きがありました。
でも鳥居は、大きいものであれ小さいものであれ、コンクリートでつくることに、私は意味を見い出せていませんでした。
そんなおり、鹿島神宮が木で再建することを知り、なんだか嬉しくて、ぜひ完成したのを見たいと思いながら、はや何年も経ってしまっていたのです。


鹿島神宮では、境内の杉の木を4本切り出して山形県坂田市の木工所に送り、乾燥・加工して送り返し、鳥居を再建したのでした。


鹿島神宮の境内に生えている木は、杉、ヒノキ、スダジイ、タブ、サカキ、モミなど、ほとんどが常緑樹で、二人では抱えらきれない太い木もたくさんあります。


拝殿や弊本殿は銅板葺き


そして奥宮は、檜皮葺きでしょうか(檜皮葺きに見えるけれど銅葺きかもしれません)

奥宮の側面

以下は、境内のいろいろです。



楼門の両側では、仁王さまではなく、検非違使が守っていました。


ご幣のいろいろ。
ご幣の前の輪切りの木は何を意味しているのか、不明です。簡単な模様が描いてありました。


これはいったい何だったのでしょう?


大鳥居近くでは、新郎新婦が撮影していました。


いただいてきた、小鹿みくじ。



中吉でした。






2020年2月20日木曜日

八幡起き上がり

骨董市の、おもちゃ骨董さわださんの店には、きれいに並んでいるもののほかに、こけし、郷土玩具、お土産ものなどなど、雑多な古いものが箱に入れられておいてあります。
貝でつくった人形、ソテツの実でつくった人形などが見つかることがあるので、ちらっとだけ見ますが、その日は金沢の八幡起き上がりがありました。
もう持っている、ソテツの豚もいましたが。


「100円!」
100円だったら、もちろんいただきます。
「これもどう?」
他にもだるまがいろいろありましたが、ほかのだるまは要りません。


我が家には、もっとたくさん八幡起き上がりがいると思ったのに、土間入り口の棚にはこれだけしかいませんでした。


いっぱいいたと勘違いしていたのは、こんな連中がいたからでした。


八幡起き上がりは、時代によってか、つくる人によってか、わりとバリエーションがあります。
この4つも、比べて見ると表情、松竹梅の描き方など、同じものがありません。


赤い色さえ、いろいろでしょうか。








2020年2月16日日曜日

養蚕と猫

私のきょうだいたちの集まりで、東京の小金井に行ってきました。


いつもは電車を使って行きますが、今回はコロナウイルスと遭遇するリスクをできるだけ避けようと車で行ったので、帰りに近くの東京農工大学科学博物館の企画展、「猫神様と養蚕展~やっぱり最後は猫頼み~」を観てきました。

養蚕小屋の模型

東京農工大学科学博物館に常設してあるものは、近代の機械も含めてほぼ養蚕に関するもの、というのも、知らなかったのですが、いくつかの機関が合併してできた東京農工大学の前身の一つが養蚕試験場だったこと、全然知りませんでした。
また、この科学博物館の前身は繊維博物館だったそうです。


いくつかの展示室に分かれて展示してありましたが、この部屋には、新田氏四代の描いたネズミ除けの猫絵が展示してありました。
新田氏は新田義貞の末裔で、新田の庄(群馬県太田市)で120石の高家として暮らしていましたが、貧乏高家のためにお金がなくて、町人や農民が所望する猫絵を描いて、苦しい家計の足しにしていました。




養蚕農家は、新田猫絵をありがたく掛け軸にして養蚕部屋に掛けるほどの大人気でしたが、それにあやかる偽ものまで出ていたそうです。

さて、江戸時代には養蚕の手引書としての『かゐこやしなひ草』や、『蚕錦絵』がたくさん描かれました。


そんな絵の中の、猫が描き込まれているものが展示してありました。
ガラスのケースの奥の方に、小さな絵が斜めに立てかけて置いてあり、肉眼では細部まで見えないほどだし、カメラを高いところに構えても、角度が悪くて絵が四角く写せない。うまく撮れるかどうか危ぶみましたが、カメラの性能のおかげか、まあまあよく撮ることができました。




どれにも、かわいい猫がいます。
これらの絵が展示してあるケースのガラスは垂直だったので、まだ写しやすかったのですが、ガラスが水平になっているケースの中の絵は、ちょっと難しいものでした。


光がいろいろな方向から来ているので、自分の影が映りこまないようにするのが一苦労、なんとか影を写り込ませないで撮っても、照明の光が点になって入ってしまいます。
といいつつ、フラッシュをたかなければ写真を自由に撮らせてくれるし、入館も無料の、とてもありがたい博物館でした。


子猫もいるのに、猫のところにちょうど光が当たってしまいました。

  

どの猫も、仕事をしているというより、のんびりと暮らしています。


山の形をしたものは、稲わらの「まぶし(繭を産みつける台)」でしょうか?


常設展の、まぶしを展示した一角に、似たまぶしがありました。
 
『新板蚕やしない尽し』、竹内栄久絵

『新板蚕やしない尽し』という絵では、猫は働く人々の傍らでまったりしているのではなく、忙しそうに養蚕をしていました。
この絵が、ポスターになっていたのでした。


養蚕双六も、遊ぶというより、一種の飼い方の手引きだったのかもしれません。
ふりだしには、大きな猫がいます。


双六の右の方の養蚕道具の絵を拡大してみました。


養蚕が盛んだったところの神社の中には、猫が祀られていたり、阿吽の猫がいたりすることは知っていましたが、猫が養蚕の守護神として、こんなにも深く愛されていたとは、あまり知りませんでした。


招き猫の起源も、養蚕と無関係ではないのかもしれません。


いつか、猫のお札をいただける神社を訪ねてみたいものです。


さて、イエネコは、リビアヤマネコが家畜化されたもので、日本には唐から経文がもたらされた時代に、経文がネズミにかじられないように、船で連れてこられたものが起源だと言われていました。


ところが最近、壱岐島のカラカミ遺跡の発掘調査が進むにつれ、犬の骨などとともにイエネコの骨も出てきて、弥生中期から後期にかけて、日本にはすでにイエネコがいたというのが定説となりました。
そんな、壱岐島の猫の骨の写真まで展示してありました。

ミュージアムショップで、以前hiyocoさんに教えていただいた、『浮世絵にみる蚕織まにゅある かゐこやしなひ草』というカタログも買ったのですが、長くなりすぎているので、明日のUPとします。