私のきょうだいたちの集まりで、東京の小金井に行ってきました。
いつもは電車を使って行きますが、今回はコロナウイルスと遭遇するリスクをできるだけ避けようと車で行ったので、帰りに近くの東京農工大学科学博物館の企画展、「猫神様と養蚕展~やっぱり最後は猫頼み~」を観てきました。
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| 養蚕小屋の模型 |
東京農工大学科学博物館に常設してあるものは、近代の機械も含めてほぼ養蚕に関するもの、というのも、知らなかったのですが、いくつかの機関が合併してできた東京農工大学の前身の一つが養蚕試験場だったこと、全然知りませんでした。
また、この科学博物館の前身は繊維博物館だったそうです。
いくつかの展示室に分かれて展示してありましたが、この部屋には、新田氏四代の描いたネズミ除けの猫絵が展示してありました。
新田氏は新田義貞の末裔で、新田の庄(群馬県太田市)で120石の高家として暮らしていましたが、貧乏高家のためにお金がなくて、町人や農民が所望する猫絵を描いて、苦しい家計の足しにしていました。
養蚕農家は、新田猫絵をありがたく掛け軸にして養蚕部屋に掛けるほどの大人気でしたが、それにあやかる偽ものまで出ていたそうです。
さて、江戸時代には養蚕の手引書としての『
かゐこやしなひ草』や、『蚕錦絵』がたくさん描かれました。
そんな絵の中の、猫が描き込まれているものが展示してありました。
ガラスのケースの奥の方に、小さな絵が斜めに立てかけて置いてあり、肉眼では細部まで見えないほどだし、カメラを高いところに構えても、角度が悪くて絵が四角く写せない。うまく撮れるかどうか危ぶみましたが、カメラの性能のおかげか、まあまあよく撮ることができました。
どれにも、かわいい猫がいます。
これらの絵が展示してあるケースのガラスは垂直だったので、まだ写しやすかったのですが、ガラスが水平になっているケースの中の絵は、ちょっと難しいものでした。
光がいろいろな方向から来ているので、自分の影が映りこまないようにするのが一苦労、なんとか影を写り込ませないで撮っても、照明の光が点になって入ってしまいます。
といいつつ、フラッシュをたかなければ写真を自由に撮らせてくれるし、入館も無料の、とてもありがたい博物館でした。
子猫もいるのに、猫のところにちょうど光が当たってしまいました。
どの猫も、仕事をしているというより、のんびりと暮らしています。
山の形をしたものは、稲わらの「まぶし(繭を産みつける台)」でしょうか?
常設展の、まぶしを展示した一角に、似たまぶしがありました。
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| 『新板蚕やしない尽し』、竹内栄久絵 |
『新板蚕やしない尽し』という絵では、猫は働く人々の傍らでまったりしているのではなく、忙しそうに養蚕をしていました。
この絵が、ポスターになっていたのでした。
養蚕双六も、遊ぶというより、一種の飼い方の手引きだったのかもしれません。
ふりだしには、大きな猫がいます。
双六の右の方の養蚕道具の絵を拡大してみました。
養蚕が盛んだったところの神社の中には、猫が祀られていたり、阿吽の猫がいたりすることは知っていましたが、猫が養蚕の守護神として、こんなにも深く愛されていたとは、あまり知りませんでした。
招き猫の起源も、養蚕と無関係ではないのかもしれません。
いつか、猫のお札をいただける神社を訪ねてみたいものです。
さて、イエネコは、リビアヤマネコが家畜化されたもので、日本には唐から経文がもたらされた時代に、経文がネズミにかじられないように、船で連れてこられたものが起源だと言われていました。
ところが最近、壱岐島のカラカミ遺跡の発掘調査が進むにつれ、犬の骨などとともにイエネコの骨も出てきて、弥生中期から後期にかけて、日本にはすでにイエネコがいたというのが定説となりました。
そんな、壱岐島の猫の骨の写真まで展示してありました。
ミュージアムショップで、以前hiyocoさんに教えていただいた、『浮世絵にみる蚕織まにゅある かゐこやしなひ草』というカタログも買ったのですが、長くなりすぎているので、明日のUPとします。