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2020年3月9日月曜日

プラテーロの村


笠間の町はずれ、Nobu'sギャラリーで、kuskusさんの「プラテーロの村」展が開かれています(15日まで)。
部屋全体が一つの物語になっていて、とても素敵でした。


Nobu'sギャラリーは、入り口をのぞいて全部壁ですが、その壁いっぱいにヤギが躍っていました。


陶板も、写し忘れましたがたくさんあって、どれも素敵でした。
しかし、我が家はもともと壁が少ない上、そのない壁全部がふさがっていて残念、飾りようがありません。







2020年2月18日火曜日

茨城県はマナーが低い?

昨年、ある集会でパネリストのKさんが、何のテーマでお話されていたのだったか、
「茨城の方もいらっしゃるようなので、この写真を見せましょうか」
と、道端に立つ、手づくりの稚拙な鳥居の写真をスライドで映されました。Kさんは、日本全国の市町村から町おこしをテーマとした講演に呼ばれて、忙しく飛び回っているという方でした。
そのスライドの鳥居は、私は日常的に目にしているものでしたが、会場にいる他の方たちは、何だかご存じないようでした。
「えぇっ、あれは茨城固有のものだったのか!」
そうだとは、まったく知りませんでした。


鳥居は、ごみを車窓から投げ捨てるなというサインです。


近所の道の、人家のないところに立っているのは、やたらごみを捨てる人が多いということなのでしょう。


その昔、京都のあたりだったか、町の土塀の下の方に小さく、鳥居の絵が描かれていました。
それは、「小便無用」つまり、立ち小便をすると罰が当たりますよと、神さまを持ち出して、立ち小便の被害を少なくしようとしているものでした。
今どき、他人の目も構わず町中で立ち小便をする人はいないと思いますが、車で走りながらごみを捨てる人は、なかなかなくなりません。

Kさんは、鳥居を建てると、霊験あらたか、ゴミ捨てがなくなると話されていました。確かに、レジ袋ごと捨てているような見苦しいごみは、鳥居の周りには落ちていません。

車窓からごみを捨てて、自分の目も汚してしまう人の気持ちはわかりません。しかも、車を走らせながら、助手席の窓を開けて放り投げているのです。いっそ、運転者は助手席の窓をボタン一つで開けられないようにしたらいいのに、と思っていましたが、最近、投げ捨てのゴミは少し減ってきたような気もします。
道端から、鳥居がなくなる日が、早く来て欲しいものです。







2020年2月14日金曜日

八郷の風景


久しぶりの道を走ってたら、茅葺き屋根を葺き替えた家が目に留まりました。
「わぁぁ!」
葺き替えたばかりの茅葺き屋根は、燦然と輝きます。
最近八郷では、百年以上続いた茅葺き屋根の家をとり壊しているのが目立ちます。そんな中、続けてくれてありがとうと言いたい気持ちです。
嬉しくなって車を停めて、見とれてしまいました。


本当は、声をかけて写真を撮らしてもらえばいいのだけれど、人影が見えないのをいいことに、門からのぞいて、勝手に撮らしてもらってしまいました。


望遠レンズのついたカメラを持っていなかったので、写せませんでしたが、棟は「筑波流、キリトビ」というやり方で仕上げてあります。

キリトビ

『日本茅葺き紀行』(日本茅葺き文化協会編、安藤邦廣、上野弥智代著、農文協発行、2019年)の写真をお借りしました。
この家のキリトビは、この写真とほぼ同じで、「水」という字を配して、火伏の祈りを込めているものです。

竹簾の子で棟を巻いて、根元を縄できつく締め上げる(2006年)

棟をつくっている写真も、『日本茅葺き紀行』からお借りしました。
棟の小口に稲わらを積み、杉皮を被せ、さらに竹簾で巻いて棟をつくり、切り口に竹の小口や稲わらをはさみ、鋏で彫りこんで模様をつくります。


茅は、『日本茅葺き紀行』の著者の安藤さんや上野さんを中心とした、「やさと茅葺屋根保存会」のメンバーとボランティアの皆さんで刈り集められたものでしょう。
これだけの茅を集めようとすれば、どれだけの手間がかかったことか、南面全部と東西面は半分だけ新しく葺いていて、北面と東西面の半分は次の機会に譲っています。
それでも不自然さはありません。


1年もすれば色も馴染みむことでしょう。


『日本茅葺き紀行』に掲載されている茅葺きの家は、すでにたくさん失われています。
かつては集落総出で茅を調達し、屋根を葺くときは集落総出で茅葺き職人さんの下働きをしましたが、それがかなわなくなっているからです。






2019年12月28日土曜日

よかった!

昨日は、陽ざしがあって暖かいのに、風が強く吹くと寒くて、一日に何度も着たり脱いだりを繰り返した一日でした。
そんな一日の作業を終えた4時ごろ、猫のトラの餌が残り少なくなっているのを思い出しました。お正月過ぎまでは大丈夫だろうと思うけれど、何があるかわからないので、気がついたとき補給しておいた方がよさそうです。
いつも獣医さんから餌を買っているので連絡を入れて、車で30分ほどかかる獣医さんのところに向かいました。八郷盆地から峠を越え、桜川市に入った頃には、陽も落ちて、夕闇が広がっていました。
県道から獣医さんへの細い道に入ると、左手に夕焼けに染まった空が見えました。


何気なく目をやると、厚い雲の帯の下、山波がちょっとだけ切れた向こうに、富士山のような山が小さく見えました。
「まさかね」
これまで、ここで富士山を見たことは一度もありませんでした。


餌をいただいて、獣医さんからの帰り道、車を停めて見ると、やっぱり富士山でした。
あの高層ビルの多い、空気の汚れた東京のその向こうにある富士山が、関東平野の端の端から見えたのです。
得した気分、一日の疲れが吹っ飛びました。

追記:
Bluemoonさんが教えてくれた地図を載せます。







2019年12月16日月曜日

きれいになりました


9月の15号台風は、家の近くのを集中的に襲いました。


上の方に、大きな広葉樹が倒れていましたから、それがほかの木にあたり、将棋倒しになったのかもしれません。
滝もすっかり隠れていて、どこから手をつけたらいいのやといった状態でした。
この滝の上にある不動堂に祀ってある古いお不動さまが集落の守り神なので、これまで滝の周辺は、集落の有志が手入れしてきました。
しかし、今回は傾斜が激しくて重機も入りそうにないと、途方に暮れて市の観光課に後片づけをお願いしたのでした。
それが、すっかりきれいに片づけられたという話を聞いたので、見に行きました。


駐車場には高いところにあった広葉樹と見られる木が運び出され、積んでありました。
倒木に隠れていた滝は、姿を現しています。


というか、これまで見たことがないほど、丸裸になっていて、水がよく見えます。
左岸の、鉄の手すりはずたずたに寸断されていて、途中にはありません。
右下には、背後の杉の木が守ってくれて、奇跡的に倒れなかったお不動さまの石像が見えます。
この石像のお不動さまの左右、間際には木が倒れていました。


そして、右岸には、上下さかさまになった根がたくさん残されています。
左岸の切り株と比べると、整備のときに掘り出したものというより、倒れたとき根まで浮き上がったもののようです。

杉の幹がないということは、ペレットにするために持ち出されたのでしょう。根は降ろせないので、今度大雨が降って流れ落ちるまで待つつもりかもしれません。


最後の写真は、元の姿です。






2019年10月30日水曜日

真壁のおかもち

今日は映画会。
観終わった後で、持ち寄った料理を食べながらああだこうだと話し合います。


今回はおでんにしました。
ほうろうの重箱に詰めていく手もありますが、土鍋ごと持って行けば、あちらで温めてもらうことができるかもしれません。


となると、運ぶのはこの、魚屋さんのおかもちでしょう。


これは景気がよかった石の町真壁で、魚屋さんがお刺身を何皿も運ぶためにつくられたおかもちですから、嵩のあるものを入れるとき、蓋はできません。
石屋さんたちはベンツを乗り回し、毎日のようにお刺身を食べ、魚屋さんは大忙しだったと聞きました。


マイプレートはいつもの木曽塗り、今日は大きい方を持って行きます。


というわけで今しがた帰ってきました。
映画は、『焼肉ドラゴン』。
観終わった後のああだこうだは、いつものようににぎやかに意見が飛び交いました。
おでんはおかげさまで、きれいになくなりました。







2019年10月27日日曜日

イノシシな一日


昨日は、「集落でどんなイノシシ対策ができるか」という集まりに参加しました。朝の10時から、夕方5時までという、長い長い集会でした。
まず、イノシシの生態についての講義を受けました。
イノシシは山に住んでいるのではなく、平地、それも耕作放棄地に住んでいます。40センチより高い草が茂ると、そこに刈り取った草で屋根をつくり、雨にも濡れないようにして子育てします。また、身体に泥をこすりつけているのが大好きなので、ぬた場となる田んぼの近くに住むのは好都合なのです。
そんなところが、我が集落にはいっぱいあります。
イノシシは、単純計算して、今10頭が近くにいれば、10年後には100倍の1000頭になっているという試算も知りました。


講義を受けた後は、約一時間集会場周辺の道を歩いて、イノシシの出た痕跡をさがします。


さがすまでもなく、落ちた栗を食べた跡、獣道、足跡、掘り返したところなど、いたるところにイノシシの痕跡が残っています。側溝はあちこちでイノシシが掘り返した土が詰まったため、前日に降った雨が道路上に溢れていました。

また、イノシシを里にひきつけるような、管理していない柿の木、栗の木、ドングリの木などがないかと見たのですが、これらは無数にあり、実り、かつ落ちています。


私たちがここに来た頃はなかった田んぼの電気柵は、年々増えていますが、その電気柵の使い方にも問題があるようでした。
夜だけ通電して昼間は止めるとか、お米を収穫したあと電気を止めた電気柵をそのままにしておくという使用法は間違っているようでした。いったん電気柵を設置したら365日、24時間通電しておかないと、イノシシは「電気柵なんて怖くない」とすぐ学習してしまうのだそうです。
他にも、電圧が下がったら電池を替えること、漏電を防ぐためこまめに草を刈ることなどなど、できてないことがたくさんありました。
 

おいしいお弁当が出た後は、2班に分かれて、田んぼや畑などの耕作地、森林、管理が行き届いていない藪や竹藪、耕作放棄地、防護柵などを地図上に落とします。


そして、イノシシの痕跡、被害場所などを書き込み、次に考えつく対策については、カードに書き込みました。


そして、今後何ができるか、出た意見をすり合わせました。
みんなで出した結論は、田んぼの周りに防護柵を巡らせることと、希望すれば貰える箱檻(箱わな)を市からもらって(市の職員も参加していた)、イノシシを捕獲するということになりました。
捕獲檻を置けばイノシシは簡単につかまるというものではありません。
防護柵も捕獲檻も、設置後のたゆまぬ管理が必要となります。また、防護柵設置は最も効果的に設置しなくてはならないし、立てるにあたってすべての地権者の承諾も得なくてはならないし、作業も必要などなど、まだ道は遠そうでした。

さて、防護柵を田んぼの周りに立てたとしても、我が家はその外にあるので、今後もイノシシとは何とか折り合いをつけて暮らしていく以外ありません。見通しの悪いところを見通しよくすると言っても、四方八方から来るので、限界があります。
イノシシが来るのに神経をとがらせるより、猿や熊が出ないことに感謝して暮らす方がよさそうです。

集会から帰る途中、
「シシ鍋を食べに行ってみようか?」
と夫がいいます。夫はずいぶん前から気にしていたのです。
丸一日イノシシの話をしていたのでそれもよかろうと、家に向かっていた車をUターンさせ、八郷に一軒あるシシ鍋屋さんに行きました。


放射能検査など、面倒な手順を踏んでやっと仕入れることができるというイノシシ肉、それでも珍しいので遠くからのお客さんも多いようです。


これで二人前。


ぐつぐつ煮えてきて、美味しくいただきましたが、野菜はたっぷり過ぎて食べ切れませんでした。

この店は「ほうろく屋」と言います。なぜほうろく屋というのか知りませんでしたが、店主のおじいさんの代まで、「太田焼(太田は地名)」という焼きもの屋をやっていたからだったのです。


というわけで、店主のおじいさんやもっと前の人がこしらえたという火鉢、甕など見せていただきました。


火鉢や甕は重いものですから、かつてはあちこちの村に窯場があったのでしょう。八郷は平安時代から瓦を焼いていたのでいい土が出ていたのは知っていましたが、焼きもの屋さんがあったことは、まったく知りませんでした。


こうして、長いイノシシな日が終わりました。





2019年7月28日日曜日

集落の行事

昨日は集落総出の林道の草刈りでした。
その数日前、たけさんがやってきました。
「草刈りは出るんかい?」
「出るよ」
何か言いたそうですが、はっきりしません。
「おれも87だからなぁ」
「たけさん、出なくていいよ。私たち一人はたけさんの代わりで、二人で出るから」
「そうかぁ。わりいなぁ。うちの周りをちょっと刈ってもいいんだけんど」
たけさんの家から上はもう山の中の道です。
「なんもしないでいいよ。私たちに任せて」
あれは12、3年ほど前だったか、たけさんは乗っていたスーパーカブで道をショートカットしようとして転び、かかとのあたりを複雑骨折して3か月入院して、2度も手術したことがありました。
病院にお見舞いに行くと、気にしているのは草刈りのことばかり、出られないので罰則金3000円を払わなきゃいけないのを心配していました。
まさか、怪我をして入院している独り暮らしのおばあさんから罰則金を取ったりしないと何度言っても信用しませんでした。

さて、草刈りの前夜、たけさんから電話がありました。
「おれ周りを刈ったから、一人でええぞ」
「大丈夫よ、二人で出るから」
確かに、たけさんの家から近いところはとってもきれいになっていました。刈り払い機が壊れているので鎌で刈ったのです。


私はいつもの年なら刈り払い機を使って草を刈るグループに入っていますが、2台ある刈り払い機のうちの1台には紐刃を装着しているので、刈り払い機は夫に譲り、刈った草や落ち葉を道路わきまで片づける作業をしました。


なんてこと、毎年刈った草を片づけるのはだいたい女性(というかおばあちゃん)の仕事ですが、今年は女性がいない、私ともう一人だけでした。
あと男性が一人、刈り払い機と鋸、熊手も持ってきて、一人三役してくれましたが、たった3人で長い林道の清掃をするという、大仕事になってしまいました。
滝への道はそれでも人通りもあり、手入れしている人もいるのでわりあいきれいですが、もう1本の林道はあまり誰も通らないところ、荒れ放題になっていました。


草刈り後は、集会所で行なわれた万燈祭に参加しました。
草刈りは集落を二つに分け、3本の道をきれいにします。そのため、一緒に草刈りをしないグループの人たちの中には、知っている人たちもいますが、なじみが薄い人たちもいました。

集会所には、いつもは滝の上のお不動さまに祀ってあるご本尊が、運ばれて祀られていました。初めて拝見しましたが、木彫りの50センチほどの大きさのお不動さまで、かなり古そうなものでした。
集落の万燈祭は、万燈を掲げて練り歩くのではなく、今はみんなで集まって会食するものですが、昔はどんなお祭りだったのか、訊いてみました。

現在60歳くらいの人たちが子どものころは、小学生たちがお不動さまを背中合わせに背負って、約50軒ある家をすべて訪ねて歩くお祭りでした。
「重くて、ひいひい音を上げたよ」
「えっ、お不動さまは軽そうじゃないですか?」
「厨子ごと背負ったから、ずいぶん重かったよ」
「へぇぇぇ!」
家々では、訪ねてきた子どもたちにお金(約30年前には2000円)を渡しました。そのうちの半分は集落(組)の資金になりますが、半分は子どもたちに還元され、その日はジュースやお菓子をたらふく飲んだり食べたりできる、とても楽しい日だったそうです。子どもが少なくなって、約30年ほど前から行われなくなりました。
「ほかに子どもたちが楽しみだったのは何ですか?」
「夏休みかなぁ」
「海水浴に行きました?」
「学校から一泊どまりで大洗まで行ったなぁ」
学校からの臨海学校も、戸別に行くようになって廃れました。

お不動さまのご本尊がつくられたのはいつごろか、もちろん誰も知りませんでした。
江戸時代か、もっと前か、集落には歴史があるものです。






2019年6月24日月曜日

せっけん生活


リンスとボディーソープがなくなったので、詰め替えをしました。
私は石鹸派ですが、夫はボディーソープ派です。気がついてみれば、最初にMIYOSHIのせっけんシャンプーとせっけんリンスを使ったのは、もう30年も前でした。


私が利用している生協ではMIYOSHIのせっけんは扱っていないので、生協を通してパックスナチュロンやカウブランドのシャンプーも使ってみましたが、ホームセンターでMIYOSHIを見つけてからは、ずっとMIYOSHIです。


泡のハンドソープもMIYOSHI、


台所の食器洗いもMIYOSHIです。

何故かMIYOSHIの食器洗いせっけんを扱っているホームセンターと、シャンプーなどを扱っているホームセンターとは違うので、ほかの用事などで行くたびに、忘れないように買っておかなくてはなりませんでした。
そして、どちらもあまり数を置いていないので、たいていは店頭に出ているものを全部買い占めてくるといった感じでした。


ところが今では、ネットで簡単に買えるようになりました。


洗濯用のせっけんだけは、生協を通してパックスナチュロンを使っています。ホームセンターでは見かけなかったし、長く使ったのでパックスナチュロンに慣れたせいもあります。
ここに来た当初から粉せっけんを使っていたわけではなく、最初の数年は安心生活の液体せっけんを使っていました。しかし、液体せっけんは割高、最近の粉せっけんはお湯に溶かしてから使う面倒もないことがわかってから、もっぱら粉せっけんを使っています。

お手洗いもお風呂も、ときおり台所石鹸を使いますが、普段は水だけで洗って、カビ取りなど合成洗剤は一切使っていません。
我が家は合併浄化槽を使っているので、汚水は浄化槽の中の微生物に分解してもらいます。その水は、浸透桝を通して地面にしみ込ませていますが、合成洗剤を使うと、浄化槽の中の微生物や、地中の微生物や生物にも気の毒だと思うからです。