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2020年3月2日月曜日

補修テープ

夫の作業用裏つき防寒ズボンは、買ってはいたその日にかぎ裂きができてしまいました。


狭いところに潜り込んだりしていたので、鉄骨に引っかけて破れても無理もないのですが、自分で梱包用テープを貼って補修していました。
このまま洗濯もしましたが、いくら何でもと、


破れの上に置いて、アイロンで接着する補修テープを買いました。


荷造りテープをはがして見ると、結構なかぎ裂きでした。


荷造りテープを貼っていたときとたいして変わりませんが、まぁ一件落着です。


ほかに破れはないかと見ると、あるある、何か所も破れていました。
  

ズボンと似た色のテープはあっという間になくなり、作業着だからと、今後出番の少なさそうな赤いテープで補修してしまいました。
作業着ですから、引っかけたりしますが、こんなに破れるのは、もしかして布の方も弱いのかと、ふと思ってしまいました。








2020年2月19日水曜日

トルコのオヤ

世の中には、プレゼント上手な人がいます。
私はプレゼント下手、いったい何が喜ばれるのかと、途方に暮れてしまうことが多いのですが、自分へのプレゼントなら迷いません。当たり前ですが欲しいものがはっきりしています。
そして、ずうずうしくも毎年のように、自分の誕生日に、自分にプレゼントして喜んでいます。



今年の誕生日プレゼントは、トルコのスカーフでした。
トルコ西部にあるイズミール県北部の、ベルガマのコザック平野で、1950~60年代につくられたスカーフです。


スカーフ本体は、トルコ国内で手織りされた、約80センチ角の木綿のガーゼでできています。
それに木版で草花を捺染し、四周には「オヤ」と呼ばれるシルクの縁飾りをほどこしてあります。


ガーゼなので、手で押された木版は、裏にも表同様くっきりと模様を出しています。

コザック地方には、1970年ころまで電気が通っていませんでした。
そのため、伝統的な生活は長く続いていて、娘たちは誰でもオヤを編みました。
漫画、『乙嫁語り』では中央アジアの少女が、『アンの幸福』ではカナダの少女が、
「結婚が決まらないと、編みものや刺繍に力が入らないわ」
などと言いながら、手仕事に集中するきっかけを待っていますが、トルコでも、かつては結婚するときの持参品として、あるいは結婚後も自分や娘たちのために、オヤ飾りのあるスカーフをつくりました。



オヤは、手で撚った絹糸を使って縫い針で編みました。これをイイネオヤと呼びます。
縫い針でなく、地域によってはかぎ針で編むオヤもあるようです。
女性たちは、どれだけ細かく編めるかと、美しいオヤづくりを目指したことでしょう。花の直径は25ミリです。


絹糸もトルコで生産されたものを使っています。


もう1枚、オヤのスカーフを持っています。


この一枚がとっても好きだから、もう一枚欲しくなったのですが、色も、花を丸く表しているところも、色遣いも、正直、こちらのスカーフの方が気に入っています。
花の直径は20ミリです。


一人で刺したというより、みんなで集まってわいわい刺したのでしょうか?


コザック平野では、ごく最近まで一般家庭で、伝統的なトルコ絨毯(キリム)も織られていました。

イラン人の友人のモジュガンさんは、イラン国内では1960年代以降、ペルシャ絨毯を除いて、イランの伝統的な織りや染めはほぼ消えてしまったと言っていましたが、トルコでは、どうでしょう?
急速なグローバル化で、生活が変わっているとは思われます。







2020年2月17日月曜日

かゐこやしなひ草


『浮世絵にみる蚕織まにゅある かゐこやしなひ草』(編集委員会編集・監修、東京農工大学図書館発行、初版は2002年)は、2016年に再版され、東京農工大学科学博物館のミュージアムショップで販売されています。
総ページ数が165ページほど、三部からなっていて、第一部は、「かゐこやしなひ草」の「蚕織錦絵」の写真と、絵に書かれている文の解読と現代語訳、そして解説、第二部は「教草」、第三部が「鈴木コレクションと現代」の三部作になっています。
教草は、養蚕手びき草(こがいてびきぐさ)、生糸一覧、樟虫一覧(げんじきむしはクスサンのこと、テグスにする)、野繭一覧(やままゆ)、草綿一覧(きわた)、芋麻製法一覧(からむし)からなり、養蚕だけではなくほかの繊維のとり方も詳しく解説されています。
なお、これら第一部、第二部の「蚕織錦絵」のすべては、故鈴木三郎氏がコレクションを、東京農工大学工学部付属繊維博物館(当時)に寄贈されたもので、2008年に東京農工大学科学博物館と改名して以後は、同博物館の所蔵品となっているものです。

『浮世絵にみる蚕織まにゅある かゐこやしなひ草』はすばらしい本ですが、惜しむらくは、写真がちょっとぼやけていて、色も悪いことです。
ブログに転載するにあたって、ちょっとはっきりさせましたが、全体に色がくすんでいます。

本の中の写真。かゐこやしなひ草 第一 勝川春勝、1786年

夫の母が残した木版の『かゐこやしなひ草』と同じ、勝川春勝と北尾重政画(1786年)は、巻頭に載っていましたが、ちょっとはっきりしないでぼやけていました。

同上、母の遺した木版

2002年にはすでにデジカメもありましたが、使ってなさそう、カラーの印刷技術も向上していたはずですが、予算の制約があったのかもしれません。
もっとも、これだけの力作なのに本の値段は1000円、文句は言えませんが、ちょっとだけ残念です。

かゐこやしなひ草 第七 北尾重政、1786年

何種類かの『かゐこやしなひ草』が紹介されていますが、勝川春勝と北尾重政版の12葉が一番古いものだからか、それとも全部がそろっていたからか、それを使って解説してあります。
本を開くと、右ページに絵が、左ページに解説があります。


絵には必ず説明書きがついています。


それを左ページで解読し、現代語訳をつけています。


左ページ全体はこんな感じです。

かゐこやしなひ草 壱と三 喜多川歌麿、1794-1804年

ほかの『かゐこやしなひ草』については、見開きで絵だけ紹介してあります。

蚕家織子之圖 第二 一勇斉國芳、1830年

これには、お手伝いしている子どもがたくさん登場します。当時の桑の木の太さにも、驚かされます。

蚕やしなひぐさ 五 六 一壽斎芳員、1816年

蚕やしなひ草 一鵬斎芳藤、1843年

この絵では、桶の中で桑の葉を刻む姿も面白いのですが、鳥のおもちゃが気になります。


ブンブン振り回すと音がする、こんなおもちゃだったに違いありません。

養蚕之全圖 芳藤、1883年

こちらは、展示されていたのと同じ絵のはずですが、


私が展示場で写したものとは何故か、プロポーションがちょっと違っていました。

蚕やしなひ草 國利、1895年

桑の葉を運ぶのに馬を使っています。
國利の絵は4枚紹介されていましたが、写真の中では一番線がはっきりしているものでした。
猫がいるのや、馬がいるのは、浮世絵ではありますが、明治維新(1868年)以後のものです。

かゐこやしなひぐさ 三、四。玉蘭斎貞秀画、1847年

あらさがしをするのもなんですが、かゐこやしなひ草を描くと、マニュアルとして飛ぶように売れたのか、実際の現場を見ずに描いた画家さんもいたようです。
この、「押し切り」を昨日のすごろくの、道具のいろいろの中にあった押し切りと比べて見てください。これでは、桑の葉は切ることができません。
実際に蚕を育てていた方たちは、大笑いしたことでしょう。

もしかしたら、『蚕家織子之圖』の桑の木もあんなに太いものではなかったのではないか、ちょっと疑ってしまいました。






2020年1月9日木曜日

手縫いの魔法

昨年、夫の友人の林さんから、ご著書が贈られてきました。
そのとき、お連れ合いのアメリーさんの、北鎌倉の古民家ミュージアムでのキルト展の案内状もいただき、では、アメリーさんが会場でお話をなさる日に伺いますと返事しておきました。
ところが今年になって、アメリーさんがお話する日は混雑して、お話も何もできないので別の日に来て欲しいというご連絡があり、日曜と水曜なら会場にいらっしゃるというので、ではと昨日、古民家ミュージアムに行ってきました。

その前日になって、
「鎌倉まで行くんだから、逗子の長島くんちに寄ろうぜ」
と夫、長島さんに電話しました。
すると夜になって、長島夫人から、
「せっかくこっちに来るなら、古民家ミュージアムに寄ってアメリーさんのキルトも見て!」
という電話がありました。
なんだ、長島さんと林さんはお知り合いだったのです。


というわけで、北鎌倉の古民家ミュージアムに行ってきました。


古刹円覚寺の隣に建つ古民家ミュージアムは、福井県の古民家3軒分の木を組みなおしてつくったギャラリーで、とても素敵な空間でした。
そして、それに負けない、アメリーさんの堂々たる作品群でした。


なにせ、大きな作品だけで300点展示してあり、細々したものはすでに数百点売れてしまったというのですから、すごい制作エネルギーです。

アメリーさんはフランス生まれ、5人兄弟の末っ子だったためお古ばかり着せられ、なんとか自分で洋裁を身につけたいと15歳でパリに出てきて洋裁を習ってからは、クリスチャン・ディオールのもとでお針子としてキャリアを積み、オートクチュールのデザイン・制作も任せられるようになり、クリスチャン・ディオールの死後は後継者のイヴ・サンローランのもとで働いてから、ギ・ラロッシュのもとに移られています
1963年、30歳の時にギ・ラロッシュの日本橋三越の責任者として来日、1年の約束が4年になり、一旦パリに帰ったもののまた呼ばれて日本に来たとき林さんと出会って結婚、世はオートクチュールからプレタポルテの時代になっていたこともあって退職されました。
布が好き、縫いものが好きで、洋服つくりは続けていらっしゃいましたが、やがて着物に魅せられ、着物で服をつくるようになり、捨てられなくてたまる端布を片づけようと、キルトはじめられました。
  

縫いものはお手のもの、疲れたなぁと思ったときでも、ご自分のアトリエにこもって縫いものをしていると、身も心もほぐれていくのだそうです。


アップリケ、刺繍、刺し子など、手縫いの作品も数多くありますが、布をつなぐのはミシンを使っているそうです。
もうミシンは自分の思うままに動いてくれる手のようなものだそうです。


私だったら、どんなに時間がかかってもミシンより手の方が安心できます。ミシンだと上下の布がずれたりしてしまいます。
それ以前に縫いものをしていると肩が凝りますが、アメリーさんは針を持つと疲れもとれるというのだから、驚きます。
キルト展は1月26日までやっていますが、すでに四千人以上が来場されたそうです。
そして、キャサリンが言っていましたが、お話をする日に行ったら、狭い会場に200人以上詰めかけていて、作品も見えないし、お話も遠くて全く聞こえなかったそうでした。








2019年11月4日月曜日

羊の布展


八郷のこんこんギャラリーで、近藤由巳さんの「羊の布展」が開かれています。


どれも、羊の毛を紡いで糸にし、それを染めて織ったものです。
このショール、裏はほぼグレー一色に見えるので、裏表では別の雰囲気が味わえます。


これは、裏表が同じ色に織られている、薄手のショールです。


茶色の布を二枚合わせたポンチョです。


縁は、帯のように細く織ったものを綴ってあるそうです。

近藤さんの織り物は、仕上げの美しさが目立ちます。
織り物は織っただけでは、縦糸と横糸が交差しているだけ、とくに羊毛で、平織りでそのままショールにしたりするとしなやかさに欠け、風がすうすうと抜けるショールになってしまいます。
かといって、織り目もわからないほどにフェルト化させると、手織りの良さが失われてしまうので、ころあいが大切です。
とくに、フリンジの仕上げの美しさには、目を見張るものがありました。


このポンチョは、布全体の糸の始末がきれいなだけでなく、模様帯の部分の糸の始末は編んであって、遊び心いっぱいです。

布を織ると、二方に「みみ」ができますが、織りはじめと織り終わりは、ほつれないように経糸(たていと)を始末しなくてはなりません。
服などに仕立てる場合は、切り端は折ってくけますが、ショールや毛布など布のまま使う場合は、折ってくける、経糸に撚りをかけてフリンジにする、マクラメ編みで七宝に編むなど、いろいろな始末の方法があり、端の始末でまったく表情の違うものができます。

上からガーナのエヴェのケンテ、ブータンの布、タイ北部のシーツ

もっとも簡単なのはそのまま切りっぱなしにしておくことです。
日本の手ぬぐいは、普通は切りっぱなしのままで使い(私は端をくけて使いますが)、洗濯を何度もした後、糸が絡まってほつれなくなった様子が好きという方もいらっしゃいます。



ブータンの布をのぞいては、何度も洗濯されたものですが、それなりに糸と糸が馴染んで、安定感を出しています。

上の二枚はタイのショール、赤いのはカンボジアの絹のクロマー

切りっぱなしの次に簡単な始末は、経糸を何本かまとめて結ぶ方法です。


売るためにつくられているショールの多くは、この方法で始末をしているかもしれません。

上はティモール島のイカット、下はタイのパッカマー

きれいなのは、撚りがかかっている糸の習性を利用して、経糸を何本かずつ撚り合わせて始末する方法です。

近藤さんの布もこの方法で始末してありますが、羊の毛なので、もう一手間かけて撚った糸をフェルト化させて、ほどけないようにしてあります。


木綿ではそうはいかないので、ほどけないようにフリンジの先を結んであります。

カメルーンの絞り染めの布

経糸が太ければ、同じ方法でもフリンジの感じも変わります。


さて、これはインドネシアの木綿のイカットですが、フリンジの先が結んでありません。


羊の毛ではあるまいし、普通は解けてくるものですが、何か、漆のような天然の接着剤を、先端に染み込ませているのかもしれません。
  

このラオスのショール、パヴィエンは変化球です。
薄い布、したがって経糸も細いので、経糸でそのままフリンジをつくっても見栄えがしないと思ったのか、端は三つ折りぐけにして始末し、それに別の太めの糸をつけて三つ編みにしています。


ショールですから、それなりのフリンジが欲しかったのでしょう。
  
ティモール島のイカット

インドネシアの布のフリンジが立派なのは、経絣(たてがすり)で、経糸の本数が多いからです。これが平織りだと、フリンジもまばらなものになってしまいます。
布を大切に思う織り手は、織ったあとも、一手間も二手間もかけるものです。