先日、友人Yさんの家で、服とバッグの展示会がありました。
Yさんの家は、自身で家畜小屋を改造したり、それに増築したりしてつくられたもので、どこをとっても忍者屋敷のような、美術館のような、とても楽しい家です。
服がかかり、バックが並べてある展示室の一角に、手織りの古い布が重ねてありました。値段がついています。売りものでした。
私がその布を興味深そうに見ていると、Yさんのお連れ合いのKさんが、
「インド東北部に住むナガの織ったものです。広げてみてください」
と言って、一枚ずつ広げて見せてくれました。
Yさんはかつて、タイ北部の手織り布を使った服のデザインをして、縫製をやはりタイでして日本で売ることを生業としていらっしゃいました。タイに通ううち、タイ・ビルマ国境の市場まで運ばれてきたナガの織りものに夢中になり、何年間も、タイに行くたび市場に出かけて、ナガの織りものを運んできた人から買っていたそうでした。
その中の一枚です。
ナガは、インドとビルマの国境沿いのナガランドに住む人々で、約200万人います。かつては集落単位のアイデンティティーを持っていましたが、1963年にナガランドが成立して以来、ナガとしての共同体の意識が芽生えました。
『The Nagas』(Julian Jacobs著、USA)の初版本は1990年に発行されています。
初版本は、第二次世界大戦の戦中(1936年ごろ)や戦後(1947年ごろ)に撮られた白黒の写真を収めた本でしたが、2012年に発行された改訂版には、2008年前後に撮られたカラー写真が加えられ、消えてしまったから逆に集められて写真に撮られたであろう生活道具の数々が、ナガの生活文化をより伝える内容となっています。
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| 2008年 |
例えばこの写真は、2008年に撮られた室内の写真、高台のついたアルミニウムの食器が壁に掛けられていますが、その形は以前は木や土でつくられていた形を踏襲しています。
これが、同じ形の木の器です。
そして、焼きものでも、同じ形のものがつくられていました。
左は焼きもをつくるための道具です。
ナガの布は、どれも90×170センチほどの大きさで、腰巻にしたり、肩掛けにしたり、毛布にしたりと、多目的に使えるものです。
特徴は、経糸(たていと)を見せ、緯糸(よこいと)を見せない織り方で織っていることで、その織り方を生かして、一部に緯糸で模様をつくっているところです。
裏を見ると、経糸に使ってある縞模様しか見えないことがわかります。
この織り方だと、平織りでも目が積み、風を通さない暖かい布が織れます。
縞以外の模様は、織るときに模様を出したい場所の経糸をすくい、表に模様糸が見えるように、模様糸を刺してつくります。
この写真の竹串が、模様糸を刺すために経糸を拾うための道具です。
裏には、ちょっとだけ影響が出ています。
ナガの布は地機(じばた)で 細く織ったものを、2枚、あるいは3枚とつないであります。
織り方がうまく、布のミミの仕上がりがとてもきれいなので、とてもきれいにつなげています。布によってはあまりきれいにつないであるので、灯に透かして見ないと継ぎ目がわからないものもありました。
布は村によって、家によってさまざまなバリエーションがありました。
織りで模様をあらわすだけでなく、織り模様と刺繍を組み合わせたものや、無地の布に刺繍だけで模様をつくった布がありました。
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| 1947年 |
これは、刺繍の割合の方が多い布です。
タカラガイを縫いつける村もありました。
Yさんのコレクションも一つ一つが違うものでした。
ナガの人々は家づくり、布、鍛冶、籠、木彫りなどなどすべてにおいて巧みでした。
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| 1936年 |
1936年の集落の一つです。
家は村によっていろいろな形がありましたが、村人総出で柱を立て、小屋を組み、屋根を葺きました。
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| 1936年 |
ベッド一つとっても、ただ寝られればいいというものではなく、物語を感じます。
この、手のような羽のような飾りは、何を表しているのでしょう?
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| 2004年 |
そして、伝統社会が崩れて、近代化の波に飲み込まれ、すでにたくさんのものを捨てて、たくさんのものを取り入れた後での写真も興味深いものです
籠師さんはカジュアルな姿で竹籠をつくっていますが、腕は確かなようです。しかし、これも生活形態や物流形態が変わり、つくり手がいなくなるのは、時間の問題かもしれません。
籠はどれも、息をのむほど美しくできています。
竹を利用したこんな水筒を持って歩き、
こんなパイプで刻み煙草を楽しんでいたなんて、なんて贅沢な時間だったことでしょう。