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2019年10月30日水曜日

真壁のおかもち

今日は映画会。
観終わった後で、持ち寄った料理を食べながらああだこうだと話し合います。


今回はおでんにしました。
ほうろうの重箱に詰めていく手もありますが、土鍋ごと持って行けば、あちらで温めてもらうことができるかもしれません。


となると、運ぶのはこの、魚屋さんのおかもちでしょう。


これは景気がよかった石の町真壁で、魚屋さんがお刺身を何皿も運ぶためにつくられたおかもちですから、嵩のあるものを入れるとき、蓋はできません。
石屋さんたちはベンツを乗り回し、毎日のようにお刺身を食べ、魚屋さんは大忙しだったと聞きました。


マイプレートはいつもの木曽塗り、今日は大きい方を持って行きます。


というわけで今しがた帰ってきました。
映画は、『焼肉ドラゴン』。
観終わった後のああだこうだは、いつものようににぎやかに意見が飛び交いました。
おでんはおかげさまで、きれいになくなりました。







2019年9月27日金曜日

水筒

月一の割合で開いてくれている映画会に行ってきました。
映画鑑賞の後は、持ち寄りでお昼を一緒にするのが楽しみです。


今回はリンゴ摘みの籠にお弁当を詰めていきました、


お茶と食器も持参、食器は立食ではないので、指を入れる穴があって、コップ立てもついている便利なマイ・プレートではなくて、軽くて丈夫なる木曽塗のお皿です。
ケヤキに漆を塗ってある学校給食セットの中の一枚ですが、よく出来すぎていてプラスティックに見えるのが欠点です。


夫は行かなかったのですが、二人分の水筒です。
蓋を開けると縁が金属になっていて、熱いお茶を飲むときは直接飲むのがちょっと苦しい、湯飲みが必要なのが欠点ですが、保温性はあります。


二人ならコップつきのスタンレイを持って行くところですが、一人ではちょっと大げさすぎます。


熱くても飲むつもりで湯飲みは持って行きませんでしたが、熱い!
湯飲みをお借りしてしまいました。


大きなスクリーンで映画を見て、


いろいろな手づくりのもちよりで、おいしくいただきました。

今年見た映画は今までのところ、韓国光州事件を描いた『タクシードライバー』、フィンランドの難民を描いた『ル・アーブルの靴磨き』、そして、アルゼンチンとスペインの合作のユダヤ人虐殺を描いた『家へ帰ろう』でした。
どれも、現代だからできる切り口の映画、面白かったです。







2019年9月22日日曜日

点滴チューブのエビたち

昨日は、久しぶりにKさんご夫妻にお会いしました。
お友だちを女性ばかり3人連れていらっしゃって、最初日本の方たちかと思っていたら、台湾と中国の方たちとわかりました。K夫人も台湾の方、3人の方たちとは東京で昔、ご一緒に働いていらっしゃったそうでした。

では、台湾の何かをお見せしたいと思いましたが、唯一持っていた竹で編んだエビは、2匹ともいなくなってしまっています。1982年、バンコクから引き上げるとき、家族で台湾の友人きゅうさんを訪ねたとき、いただいたエビでした。
きっと、息子が私がいた部屋に住んでいた間に、部屋に飾ったものたちはそのままにしてあったので、同居していた犬どもが噛んで、息子がこっそり捨ててしまったに違いありません。
中国のものと言えば、土人形や籠がありますが中国は広い。ちらっとお見せしても、皆さん、外国のものを見るような目つきをされていました。
そこで、台湾のエビがどんなだったか似ているものをお見せしようと、タイ国境にあった難民キャンプにいたカンボジア人がつくった、使用済みの点滴チューブでつくったエビをお見せしました。
もう黄ばんでいるし、あまりにも見事にできていたので、
「えっ、どこが点滴チューブ?」
と驚かれました。

普段は蓋物に入れているので、私も久しぶりに点滴チューブ細工を見ました。すでに9年前にUP済みなのですが、もう一度UPしてみたいと思います。
難民キャンプに何故点滴のチューブがあったかは、詳しくは過去の記事にありますので、そちらをご参照ください。


そのエビです。


頭に使ったの同様の太いチューブでつくった尻尾。


脚。


金魚。


目のところは、点滴液の出方を回して調節する部分を使ったに違いありません。


紐の部分は、途中から螺旋に切り込みを入れてつくったようです。


マクラメ編みでつくってあるので、パイナップルだけはつくり方がわかりますが、ほかはどうやってつくったのか、わかりません。始末もしっかりしているし、解けてきたりもしていません。
パイナップルの葉に切り込みを入れているところも、お見事です。
どんな刃物を使ってつくったのでしょう?

これらは、1980年ごろにつくられたもの、40年も経ってしまいました。
プラスティックは劣化するものだから、もうほかのところにはどこにも残っていないかもしれません。









2019年8月21日水曜日

イタヤカエデの馬


秋田県角館の、イタヤカエデの馬です。
これも、骨董市の箱の中にあったおもちゃです。
草やヤシの葉で編んだおもちゃが大好きですが、イタヤカエデの馬は持っていませんでした。


見ただけでつくれるシンプルさ、でも素敵です。
小さいころ、これと同じような動物を、小麦のわらを潰してつくっていました。というか、祖母につくってもらっていました。

竹のない秋田では、イタヤカエデの若木の幹を板状に裂いて、いろいろな生活必需品をつくってきました。中心はづくりですが、カッコベ(腰に下げる籠)や小さなツヅラなども編んでいました。
馬は、大きなものを編んだ後の端切れを捨てるのが惜しく、誰かが子どものために編み始めたのが広まったものでしょう。その優しい心が素敵です。
秋田のイタヤ細工は、寛政年間(1790年ごろ)農家の副業としてつくられはじめたものが、だんだん洗練されたとされていますが、農村の手工芸品であったゆえ、はっきりした歴史はわかりません。


ところで、フィギュアのイタヤカエデ馬なら持っています。


しかも、フィギュアの馬は立つことさえできます。


イタヤカエデの馬の方は立つことができないので、当分虫食い上人の膝を借りることにします。







2019年8月10日土曜日

掃除の続き


今は玄関ホールの壁に掛けてあるカンボジアの鎌も、ここで掃除するだけでなく、下ろして、外でほこりを取りました。


鎌を飾っている籠は、養蚕でお蚕さまを入れて使ったもの、竹で籠目に編んで、その上に稲わらで編んだ「こも」を張ってあります。


裏はこんな感じです。


こものない籠だけのものは、かつて骨董市でよく見かけましたが、最近は、そういえばあまり見かけなくなりました。


四角くて大きい、養蚕用の籠も買ったことがありました。
天井に張って、そこからいろいろぶら下げようと思ったのだけれど、家ができてみたらどこにも使うところがない、そのままになってしまっています。









2019年7月21日日曜日

ナガの仕事

先日、友人Yさんの家で、服とバッグの展示会がありました。
Yさんの家は、自身で家畜小屋を改造したり、それに増築したりしてつくられたもので、どこをとっても忍者屋敷のような、美術館のような、とても楽しい家です。

服がかかり、バックが並べてある展示室の一角に、手織りの古い布が重ねてありました。値段がついています。売りものでした。
私がその布を興味深そうに見ていると、Yさんのお連れ合いのKさんが、
「インド東北部に住むナガの織ったものです。広げてみてください」
と言って、一枚ずつ広げて見せてくれました。
Yさんはかつて、タイ北部の手織り布を使った服のデザインをして、縫製をやはりタイでして日本で売ることを生業としていらっしゃいました。タイに通ううち、タイ・ビルマ国境の市場まで運ばれてきたナガの織りものに夢中になり、何年間も、タイに行くたび市場に出かけて、ナガの織りものを運んできた人から買っていたそうでした。


その中の一枚です。

ナガは、インドとビルマの国境沿いのナガランドに住む人々で、約200万人います。かつては集落単位のアイデンティティーを持っていましたが、1963年にナガランドが成立して以来、ナガとしての共同体の意識が芽生えました。


『The Nagas』(Julian Jacobs著、USA)の初版本は1990年に発行されています。
初版本は、第二次世界大戦の戦中(1936年ごろ)や戦後(1947年ごろ)に撮られた白黒の写真を収めた本でしたが、2012年に発行された改訂版には、2008年前後に撮られたカラー写真が加えられ、消えてしまったから逆に集められて写真に撮られたであろう生活道具の数々が、ナガの生活文化をより伝える内容となっています。

2008年

例えばこの写真は、2008年に撮られた室内の写真、高台のついたアルミニウムの食器が壁に掛けられていますが、その形は以前は木や土でつくられていた形を踏襲しています。


これが、同じ形の木の器です。


そして、焼きものでも、同じ形のものがつくられていました。
左は焼きもをつくるための道具です。


ナガの布は、どれも90×170センチほどの大きさで、腰巻にしたり、肩掛けにしたり、毛布にしたりと、多目的に使えるものです。
特徴は、経糸(たていと)を見せ、緯糸(よこいと)を見せない織り方で織っていることで、その織り方を生かして、一部に緯糸で模様をつくっているところです。
裏を見ると、経糸に使ってある縞模様しか見えないことがわかります。
この織り方だと、平織りでも目が積み、風を通さない暖かい布が織れます。


縞以外の模様は、織るときに模様を出したい場所の経糸をすくい、表に模様糸が見えるように、模様糸を刺してつくります。


この写真の竹串が、模様糸を刺すために経糸を拾うための道具です。


裏には、ちょっとだけ影響が出ています。


ナガの布は地機(じばた)で 細く織ったものを、2枚、あるいは3枚とつないであります。
織り方がうまく、布のミミの仕上がりがとてもきれいなので、とてもきれいにつなげています。布によってはあまりきれいにつないであるので、灯に透かして見ないと継ぎ目がわからないものもありました。

布は村によって、家によってさまざまなバリエーションがありました。
織りで模様をあらわすだけでなく、織り模様と刺繍を組み合わせたものや、無地の布に刺繍だけで模様をつくった布がありました。

1947年

これは、刺繍の割合の方が多い布です。


タカラガイを縫いつける村もありました。
Yさんのコレクションも一つ一つが違うものでした。

ナガの人々は家づくり、布、鍛冶、籠、木彫りなどなどすべてにおいて巧みでした。

1936年

1936年の集落の一つです。
家は村によっていろいろな形がありましたが、村人総出で柱を立て、小屋を組み、屋根を葺きました。

1936年

ベッド一つとっても、ただ寝られればいいというものではなく、物語を感じます。
この、手のような羽のような飾りは、何を表しているのでしょう?

2004年

そして、伝統社会が崩れて、近代化の波に飲み込まれ、すでにたくさんのものを捨てて、たくさんのものを取り入れた後での写真も興味深いものです
籠師さんはカジュアルな姿で竹籠をつくっていますが、腕は確かなようです。しかし、これも生活形態や物流形態が変わり、つくり手がいなくなるのは、時間の問題かもしれません。


籠はどれも、息をのむほど美しくできています。


竹を利用したこんな水筒を持って歩き、


こんなパイプで刻み煙草を楽しんでいたなんて、なんて贅沢な時間だったことでしょう。


生活の隅々に、遊び心があふれていました。