2020年2月26日水曜日

日本の入れ子人形


いつからあったのか、どこで手に入れたのか、すっかり忘れている箱根細工の入れ子の七福神がいます。
招き猫、だるま、福助など、庶民の信仰に結びついた縁起物が好きな私ですが、七福神はなんとなく好きになれないので、たぶん、骨董市(ほかの可能性がない)で見かけて、
「まぁ、買っておくか」
ぐらいの関心しかなかったので、時間が経つうち忘れ果てていたのでしょう。


七福神とは言え中は空っぽ、寿老人だけでほかの6人は失われていました。
それゆえ、値段も安かったものと思われます。

玩具博物館の展示

ロシアのセルギエフ・パサードの玩具博物館には、1890年代に箱根を訪れたロシア人が持ち帰り、セルギエフ・パサードの芸術村で、それをもとに、画家のマリューチンと、轆轤師スビョズドチキンによって、最初のマトリョーシカがつくられたと言われている、入れ子の七福神が展示されています。
かつて、七福神の入れ子は箱根でつくられていましたが、箱根の入れ子細工は現在は後継者もなく、寂れる一方のようです。

『ロシアのマトリョーシカ』より

しかし、こけしの産地東北では、今でも入れ子人形がつくられていて、『ロシアのマトリョーシカ』(スヴェトラーナ・コロジャーニナ著、スペースシャワーブックス、2013年)には、遠刈田の小笠原義男さんが2010年につくった七福神が載っています。

『マトリョーシカ大図鑑』より

日本の入れ子人形は七福神だけではないようで、『マトリョーシカ大図鑑』(沼田元気著、二見書房、2010年)には、だるま、こけしなどの入れ子人形が載っています。


ところで、さすがです。
道上克さんの、『マトリョーシカアルバム 2019』には、箱根でつくられた珍しい入れ子人形が載っています。
これは何でしょうか?
修験者が修行を積んで達磨になったという物語でしょうか?でも、だるまさんにしては、手が見えます。まだだるまになる途中なのかもしれません。


そして、全部女性の入れ子です。
修験者も女性も、明治時代のものです。


一番大きい女性は、手に羽子板を持っています。
全部女性であることといい、右手に羽子板を持っていることといい、まるでロシアのセルギエフ・パサードのマトリョーシカのようです。
箱根と東北、箱根とロシア、ロシアと東欧諸国など、入れ子人形は人の手によって運ばれて、それを目にした轆轤の職人さんたち、絵つけをする職人さんたちは、お互いに刺激を受け合っていたのでしょう。
もちろん、電気のない当時の轆轤は足で蹴るものや、手で回すものなどでした。


ところで、私の持っている寿老人は、筑波山と書いた紙だか巻物だかを持っているのが不思議です。
箱根でつくられていたにもかかわらず、筑波山でも売られていたのでしょうか?
道上さんのお話では、中をくりぬいたものは、入れ子人形だけでなく、経文入れもあったそうです。
ただ、これが寿老人であることから、最初から単独のものと考えるのは難しいこと、中の6人が失われてしまったと考えるのが自然に思えます。








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