2009年12月31日木曜日
お正月の準備
土間の入り口には、注連縄を飾りました。この形の注連縄が気に入って、遠くのJAの直売所まで行って買ってきました。八郷の中に直売所は4ヶ所あるのですが、生産者によって、地域によって、いろいろな形のものがあり、値段もいろいろです。これは千円以下、値段も素敵です。
もち花も飾りました。
米粉を紅白に染め、蒸して小さく丸め、枝につけるといいのですが、米粉をどこにしまったか見当たらなかったので、今年は割愛しました。
昨年は食紅がなかったので、インドのトウガラシで着色したら、赤くならないで、オレンジ色になってしまいました。というわけで、今年は早くから食紅を買って満を持していたのですが、そのときになったら、易きに流れてしまいました。
土間の飾りも、手持ちの虎たちに出場願いました。張子の虎たちは、度重なる引越しで無残にも傷だらけにはなっているのですが。
2009年12月30日水曜日
南アフリカの籠
アフリカの籠は草を使ったものが多いのですが、南アフリカのズールーの人々も草籠をつくります。
草を泥や自然の染料で染め分け、模様の入った籠を編みます。
この籠、我が家ではレジ袋入れとして使っています。丈夫で、蓋の開け閉めがし易く、なかなか便利です。
これは蓋につまみのない形のものです。玄関に置いて、懐中電灯(古い言葉!)と、カギを入れています。我が家のあたり、夜は暗く、玄関にライトが必需品です。
これは、南アで暮らしていた妹が母にあげたもの、母の身辺整理で私にまわってきました。
蓋のつまみのつくり方が、なんともかわいいのです。
ア フリカ大陸では、総じて、ものつくりも商売も、男女の区別がはっきりしています。で、南アフリカでも、籠つくりは女の仕事ですが、彼女たちは浅い笊もつく ります。これは細い木の枝を組んで、それを草で編んだものです。これと、下のちょっと小ぶりの笊も、母のところからきました。
木の枝を並べて、まとめていく作業は、最初がなかなかたいへんだと思います。編み終わりの最後の始末もたいへんですが。
これは、農家のおばちゃんにわけていただいた、草だけで編んだ笊です。丁寧な仕事ですが、普段使いに編んでいるので、色を染めた材料も使わず、のびのびと編んでいます。
そしてこれがその中。草籠は短い草をつないでつくりますが、通常、きちっと草の端の後始末をしてあります。ところが、この笊は、中側に端がつんつん出ています。後始末をしてないところが、いかにも普段使いの笊といったところでしょうか。
それにしてもしっかり編んでいるので、短時間なら水も入れられます。
2009年12月29日火曜日
ラッタナキリの背負子
カンボジアの北東部のラッタナキリ県は、カンボジアにおけるメコン川の最上流に位置していて、その北はラオスにつながっています。
一応、小さな町があって、町には商人も住んでいますが、ほぼ全域は森林で、少数民族である、森林に暮らす人々が住んでいます。
彼らは大きな村をつくらず、少人数で、森の中に点々と暮らしています。森林を丸く切り開いて、その中心に集会場を建て、それを囲むように家を建てて住んでいるグループもあります。
首都や大きな都市には医者がいますが、ラッタナキリ県には医者がいません。そのため、出産時の母子の死亡率が高くて、私は数回しか訪ねていないのに、毎回のように死やお葬式に直面しました。なんとも、痛ましいことです。
プノンペンからは、道路は通じてなくて、飛行機か船で行きました。
そんなラッタナキリで、森で出会う人々は、たいてい背負子を背負っています。無地のものが多いのですが、大人も子どもも背負っています。
町にたった一ヶ所あるマーケットの外にあるおみやげ物屋には、この籠が、たいていいくつかぶらさげてあります。自分用に買ったもの、お土産にしようかなと思って買ったもの、お土産にいただいたもの、母にあげたのに、母の身辺整理で戻ってきたものなど、我が家には今、4つの背負子があります。
竹でできていて、黒と赤は竹を染めたもの、白く見えているのは、ヤシの葉っぱを編みこんだものです。無地のところも、模様編みしてあります。紐は華奢にできていますが、肩に当たるところは、食い込まないように、ラタンに丸みをつけて編んであります。
2009年12月28日月曜日
囲炉裏五変化
夫はこの1ヶ月ほど、囲炉裏端あたりの細工に没頭していました。凝ると、すっかり夢中になってしまうたちで、来る日も来る日も、硬くて狂いやすいケヤキと格闘して、あれこれ、あれこれつくっておりました。
我が家の居間は畳敷きです。8枚の畳を敷くと、普通の畳の部屋ですが、その1畳分の畳をはずして、かわりに小さい畳を敷き、開いたところにテーブルを置くと、足を机の下に入れて、腰掛けられるようになります。
4人掛けになり、6人掛けになり、さらに、1畳分の畳すべてをとると、8人で テーブルを囲むことができます。8人用の大きなテーブルには、ガス台をセットできる穴が開けてあります。
こ れら畳のふちの細工や、大小のテーブル制作は、もちろん夫です。製材屋さんから「持ってけ」、といただいた、ケヤキの端材をつぎはぎして、つくりました。
ケヤキは、木の性質上、最初 から盛大にひん曲がっていますし、切ったそばから、さらにねじれたり、曲がったりしていきます。電動丸鋸で割いていると、ぎゅーっと内側に曲がって鋸の刃をはさみつけ、動 かなくなったりするので、たいへんです。
この8人掛けのテーブルの、大きい方の鉄板の下にはガスが引いてあり、小さい方は、グリル専用のカセットコンロをはめこんでいます。
囲炉裏にもなります。灰の入っている部分は引き出し式になっていて、使わないときは、左側の床下に納まります。
囲炉裏端の木のふちは全部組み立て式なので、使わないときは分解して、これも床下に収まります。
しかし、囲炉裏開きに友人を呼んで、使い心地を試してみましたら、膝が痛い夫は、何度か膝がつって、長時間は座っていられないことを発見しました。まあ、想定内でしたが。
というわけで、囲炉裏端は、今後椅子式で使うことが多くなりそうですが、夫は使うことよりつくることを楽しんでいるのですから、一向に構わないというわけです。
2009年12月25日金曜日
ラオスの背負子
山道などを長時間徒歩で行かなくてはならないとき、頭の上に荷物を乗せて歩く文化のない地域では、背負子はたいへんなすぐれものです。
ここ八郷でも、畑に行くときは、鎌などの道具を背負子に入れて背負っているおばあちゃんによく出会います。むしった草を入れるにも、収穫した野菜を入れて帰ってくるのにも、たいへん便利です。
これはラオスに住む山地民たちの背負子です。山地民はタイにもヴェトナムにも住んでいて、国境はあとから引かれたので、ヴェトナムでもタイでも、似たような背負子が見られます。
ヴェトナム戦争のころの、ホーチミンルートの写真を見ると、歩いている人たちは、たいていこんな背負子を背負って歩いています。
これらは、竹とラタンでできています。
2009年12月23日水曜日
招き猫の飾り棚
二階の東の部屋は招き猫の展示に使い、西の部屋はその他のものの展示に使います。
展示室は光もあまり入れないようにして、壁はべんがらを混ぜた漆喰で仕上げています。あとは棚をつくるだけです。
その棚、少しできました。飾るとどうなるかを見るためと、少しでも段ボール箱を片づけたいために、途中なのに。さっそく招き猫を飾ってみました。
棚は、棚だけでも美しく見えるために、正方形の桝を基本としています。でも、少ないスペースにたくさん飾りたいなら、縦の枠はちょっと邪魔です。というのは、ほとんどの招き猫の形が、縦対横が2対1になってないからです。
小さいものもたくさんあるので、小さい棚も組み合わせるのですが、いったいどうなることでしょうか。
2009年12月20日日曜日
漁労の籠 東南アジアの国々
1990年、まだラオスが鎖国を完全に解いていないころのことです。
主要幹線道路は舗装されてなくて、借りられる車には冷房がついていませんでした。土煙をもうもうと上げて一日走れば、髪も顔もおかしいほど、赤土で真っ赤になりました。
そんなころ、一週間ほどラオスを訪問しました。
ある村からの帰り、前を、米袋やその他の荷物を山になるほど満載して、しかもその上には大勢の人を積んで、よたよたと走っているトラックがいました。袋のてっぺんには、たくさんの漁具が結びつけてあって、悪路でトラックが揺れるたびに、大きく揺れていました。早く追い抜かさなくては、土煙で息もできません。
きっと誰かが漁具を売りにヴィエンチャンに行くのだと思った私は、追い抜いた運転手さんに頼んで、トラックを停めてもらいました。そして、聞いてみると、売りに行くのではなくて、乗客の一人が漁具を買って帰るところでした。
でも、「一つわけてあげてもいいよ」と、快くわけていただいたのが、この筌(うけ)です。
それ以来、何度かラオスに行きましたが、二度と同じ漁具にお目にかかる機会はありませんでした。
メコン川は、源流中国から、ビルマ、ラオス、タイ、カンボジアを通り、ヴェトナムで海に出る、全長4,600キロの大河です。
メコン川は、カンボジアでは、北から南へと国土を貫いて流れています。雨季と乾季の水位差は、8メートルにもなるので、雨季には川の水は、田んぼや道路にまであふれ出し、乾季には車で行ける地域でも、雨季には船でしか行けないところが、たくさんできます。
プノンペンを起点にして、北西へ、メコンの支流のサップ川が流れ、トンレサップ湖へと続いています。実はトンレサップ湖はメコン川の巨大な遊水地です。ですから、雨季がはじまり、流域に降った水を集めてメコン川が増水してくると、サップ川の流れはメコンから湖の方へ、そして、雨季が終わると、湖からメコンの方へと、逆に流れます。
メコン川の流域の人々もそうですが、サップ川の流域の人々も、水位に合わせて、農業を営んだり、漁業を営んだりしています。
雨季にサップ川流域の村を訪れると、家は自然にできた堤防の上に一列に並んでいますが、雨の多い年には、高床の柱が水に浸かって、家はまるで水の中に建っているように見えます。
そんな村々を訪れたときのこと、あちこちに川エビ漁の筌が高く積んでありました。増水時には使わないものなのでしょう。村の人にお願いして、一つ貰ってきたのがこれです。
川エビ漁の筌だけではなく、うなぎ捕りの、節間の長い竹を切っただけの筌も見かけました。次の村で聞いてみよう、まだ次にしよう、と先送りしているうちに、とうとうそちらは貰い損なってしまいました。一定の地域でしか使ってなかったのです。
雨の日の、細い川舟での移動は、つらいものがあります。ビニールシートをすっぽり被って、首を下げた同じ姿勢で、ひたすらエンジンの音と、シートを打つ雨の音だけ聞いています。3時間も行くと、身体がかちかちに固まってしまいます。
私の好みを熟知する友人が、マレーシアから買ってきてくれたものです。典型的なマレーシアスタイルの筌です。
タイの漁具と、上記、すべての漁具に共通しているのは、川で使うということです。あまり深く考えたことはありませんでしたが、こうした竹製の漁具というのは、川漁で発達したもののようです。
マレーシアの筌の蓋は、柔らかな木でできています。
そしてこれが底。魚のいるところではどこでも、漁具つくりの名人が育ったのでしょうね。
2009年12月19日土曜日
お餅搗き
今日は、Iさんの家での、年末恒例のお餅搗きをしました。
この冬最高の冷え込みと聞いていたので、厚着して行きましたが、しっかり陽が照り、風もそう吹かず、けっこうな餅搗き日和でした。集まったのは十家族でした。
一臼で、約4キロ搗きます。毎年、搗くお餅の量が増え続けていて、今年は全部で16臼、一家族で18キロも用意した人もいました。
搗く人は若手4人ほどですが、若手も10年も続けていれば毎年歳を重ねるわけですから、年々大変になっています。ご苦労様でした。
白いお餅だけなら、もっと短時間で搗けるのですが、みんなの用意したお米は、玄米とか、私のように赤米(玄米)を五分搗きにしたものとか、黒米を混ぜたものとかいろいろで、いつまでもつぶれず、搗きにくいお餅もたくさんありました。
そのために時間がかかり、全部終わってみんなでお餅を味わったのは、なんと3時過ぎでした。
我が家のお餅です。たった二人暮らしなのに、毎年8キロも搗いてもらっています。
田んぼの地主さんやご近所に配ったあとは、冷凍して、5月くらいまで楽しみます。
2009年12月18日金曜日
漁労の籠 タイ
タイ東北部、ブリラム県に住むパンさんのつくった筌(うけ。魚を捕るための仕掛け)です。細い方はうなぎとりの筌です。
パンさんは、私の夫と同い年、とても器用な人でした。池を掘って、水を確保して、その周りに果樹、ハーブ、野菜などをうまく配置して植えるという、雨季と乾季のはっきり別れている地域での、お手本のような農業をやっている人でした。
パンさんの農場に、何度、日本人、フィリピン人、マレーシア人、グァテマラ人、エチオピア人、インド人などのグループを見学に連れて行ったことでしょうか。そのたびに、生態系の仕組みをよく考えた農場に、みんなが感心したものでした。
パンさんは百姓ですが、家には歯の治療用の椅子が置いてあって、珍しいことに村の歯医者さんでもありました。また、占い師兼伝統医療師でもありました。
私は、占いにはあまり関心がないのですが、そのときは落ち込んでいたからでしょうか、パンさんに占ってもらったことがありました
「残念ながら、どうしても五十代前半はあまりよくないなあ。まだ数年、もっと落ち込むよ」、パンさんは、分厚い占いの本を見せながら、申し訳なさそうに、説明してくれました。
タイでは、生年月日と、生まれた時間とで占います。パンさんの占いどおり、私の五十代前半は、どうあがいてもあまりよくはありませんでした。
そして、私の運が上向いてきたころ、パンさんが亡くなったという知らせを受けました。
この筌、器用なパンさんらしく、ひごも美しく、細部までとても丁寧にできています。籠屋の店先にぶらさがっているのは、形は似ていて、雑なのが多いのですが。
うなぎ籠は、古くなって、捨ててあったのをもらいました。
これは、魚篭(びく。捕った魚を入れる)だか、筌だかわかりませんが、タイの伝統的な魚籠です。たぶん魚篭でしょう。
タイの地方の町には、たいてい、店先に盛大に籠をぶらさげた籠屋があります。そんな籠屋で買ったものですが、博物館で見るような、珍しいものを見つけられるのはまれです。
これは、どう見ても魚篭です。タイ北部の籠屋で買いましたが、小さくてかわいいものです。
木の持ち手のついた魚籠もこの魚篭も、ぴっちりはまっている、魚が一方方向にしか行けない蓋が、取りはずしできるようになっています。
ちょっと雑なつくりですが、二本の串がついていて、水中に固定できるようになっている筌です。
メコン川にも、チャオプラヤー川にも、それぞれの支流にも、たくさんの川魚がいるので、魚によって筌もまた違うのですが、これなどんな魚を捕る筌なのでしょうか。
雑なつくりといっても、「おまえつくれ」、と言われてもつくれない、なかなか手の込んだ細工ではあります。
魚が入るところの反対側はこのとおり、鶏の配合飼料の空き袋を利用しています。
2009年12月17日木曜日
2009年12月16日水曜日
台所道具 蒸し器編
壷のようなお鍋と、籠の組み合わせ。これは、タイの北部・東北部の主食であるもち米を蒸かす蒸し器です。農家では、朝まとめて蒸かしておいて、昼、夜は冷たくなったもち米を食べます。
1980年から使っています。お鍋は初代ですが、籠は3代目か4代目です。
カオニヤオというタイのもち米、ナツメや松の実を入れた韓国のおこわ、肉や筍を入れた中国のおこわ、赤飯などなど、何度これで蒸かしたことでしょうか。
上が乾き、下が水っぽくなるので、蒸かしている途中で籠を持ち上げ、籠の耳を持ってぽ~んと中の米をひっくり返します。
でも、和蒸篭を手に入れたので、最近はこちらを使うことが多くなりました。タイの蒸篭は和蒸篭の原型であると、和蒸篭をつくってくださった大川さんが仰っていました。
蓋は、骨董市で買ったものです。杉に、漆をかけているのでしょうか。蓋の裏は木の色です。
これもタイの蒸し器です。中華風というのでしょうか。タイやカンボジアの大衆食堂では、朝食時に、よくこの蒸篭の大きいもの、直径が80センチもあるようなものを何段も重ねて、シュウマイや肉まんなどを店先で蒸かしていました。
蒸し器には、大きな穴が開けてあります。洗い易いし、お手軽で、今でもよく使います。
といいながら、中華蒸篭も使っています。いろいろあると収納に困るのですが、竹の蒸篭のいい匂いも捨て難いものがあり、こちらの出番の方が多くなりました。
これは、モロッコのクスクスを蒸かすお鍋です。下のお鍋でスープを煮ながら、上の蒸し器でクスクスを蒸かします。
上から見ると、こんな感じに穴が開いています。
以前はよく使っていましたが、最近ではスープはもっと大きい厚手のお鍋で煮て、クスクスはインスタントのものを使って、フライパンで料理することが多くなりました。
なんでも、お手軽に、お手軽にです。
モロッコと言えば、タジンも一種の蒸し器です。このところ、日本ではタジンは大ブレイクで、すっかり有名になってしまいました。
時々、塩コショウした肉と野菜を入れ、オイルも水を入れず、最初から弱火で1時間くらい蒸し、タジンを楽しんでいます。
2009年12月15日火曜日
落日
我が家は西に開けています。そのため、夕日が楽しめ、季節によって、落日の位置がダイナミックに移動していくのが感じられます。
冬至に近い今日は、陽は筑波山の左肩(南側)に落ちていきました。
しかし、夕焼けは朝焼けに比べると、淡白というか、いまひとつ赤さが足りず、「ああ、今日は美しい夕日だった」、と思える日は、一年のうちで、そう多くありません。
夫に、「朝焼けの方がきれいだね」、と言うと、「ばか。朝焼けを見ながら一杯やれるか?」、という答えが返ってきました。
窓の右手に見える山は足尾山、その頂上は我が家の真西に当たります。だから、夏至には足尾山のさらに北の加波山の北肩に陽は沈みます。
冬至を過ぎると、陽はぐんぐん、目に見えて、足尾山の方に向かいます。
2009年12月13日日曜日
発想の転換
野菜を切るとき、包丁を持って、まな板の上で切るのを当然と思っていますが、日本を出てみると、そうは思ってない人がたくさんいることに気がつきます。
ナスを手に持ち、手前から向こうに向けて、鉛筆を削るように皮をむく人。タマネギを、まな板を使わないで手の中でみじん切りにしてしまう人。など、ちょっと日本にはいません。
そして、インドやバングラデシュで厨房を覗いてみると、楽しくなってしまいます。包丁を地面に置いておいて、野菜を両手で持って包丁に押しつけて切るのです。切るだけでなく、皮もむいてしまいます。
これは、その包丁です。折りたたみ式になっていて、
開くとこんな感じになります。もっとも、普通に使われている包丁は、このように携帯式にはなっていませんが。
東京の郊外の武蔵小金井で、お家がかつてお百姓さんだった友人の話では、籾殻の中に入れて暮れまで取っておいた栗を、お正月の栗きんとんにするために、おばあさんが、丸太に突き刺した包丁の刃を手前に向けて、それで皮をむいていたのを覚えている、と言っていました。すごい!。日本でもそんなことをやっていた人もいたのですね。
こちらは、みじん切り専門の包丁です。赤い持ち手のものは、パレスチナの雑貨屋で買いました。安っぽいプラスティックの柄に、なまくらの刃がついたイタリア製です。
友人がこれでパセリをみじん切りしていたので、好奇心旺盛な私は、早速手に入れてやってみました。やっている気分は楽しいけれど、どうでしょうか。忙しいときは、みじん切りも、おいもの皮むきも、普通の包丁でやってしまいます。
右の片手で使うものは、ずっと以前から持っていたものですが、左の二つは赤い包丁以後に、手に入れました。いずれも、ハーブチョッパーです。形といい、質感といい、とっても味があり、今できのものと比べてみると、手でつくっていたものを工場で同じ形でつくるとつまらなくなる、という見本みたいです。イギリスの古いものです。