2010年2月7日日曜日

お雛さま


昨日は冷たい風が吹いていたので、なんとなく仕事をする気にならなくて、お休みして、こんなものをつくりました。雛壇の脚で、左右に立てて、上に板を張ります。

私の育った家では、雛壇をつくるときは、お雛さまをしまってあった箱などを積み重ねて、左右の高さは本で調節したりして飾っていました。一年に一度のことですから、どの箱とどの箱を組み合わせるかなど、いつも忘れてしまいます。そのため、雛壇をつくるだけで時間がかかり、お雛さまを飾るのが億劫になる理由でもありました。
そこで、今頃になってですが、我が家の床の間(もどき)に寸法を合わせて、簡単に飾れる台をつくったというわけです。


やっぱり、超簡単でした。雛壇の下のスペースには、いつも置いてあるものたちをしまっておくこともできたし。


お雛さまは、オリジナルには、1923年生まれの叔母のものでした。しかし、私が生まれた時代は、お雛さまどころではなかった時代だったので、最初から私のお雛さまとして飾られてきたものです。


これは中野人形、大好きなお雛さまです。

今では、中野人形は、毎年3月31日に中野市にある会場の前で並んで、抽選券を引いて、数字の書いてある券を引いた人だけが、数字の順番に会場に入って買えるという、ほとんど買えない状態の人形になっています。
一度、招き猫が欲しいと行ってみましたが、私の前後20人ほどはみんな「はずれ」でした。紙のくじが偏っていたのでした。朝、5時に出発して並んだというのに...。

お雛さまは1970年代の半ば頃のものです。当時も、中野人形は手に入りにくいものでしたが、我が家を訪ねてきた人が、郷土玩具が飾られているのを見て、「中野人形の作家さんの近くに住んでいるのだけど、お雛さまを注文してあげましょうか」と言ってくれました。狂喜。ほどなく送られてきたのがこの土人形でした。そのかわいらしいこと、もっと精密に描かれた雛人形は多いのですが、こんなにかわいらしいお雛さまは、そうありません。


私の母がつくった豆雛人形も、


母が昨年買ってくれた猫雛壇も、


19の春に京都の骨董屋さんで買った嵯峨人形も、


招き猫のお雛さまたちも、


みんな飾って、我が家には春が来ました。

2 件のコメント:

  1. 私の軽口に対して、とても丁寧なご説明をありがとうございます。
    「勘違いかも知れないです」と書いた主語はあくまで「私」で、
    「春様を指したのではありません。ご容赦くださいませ。

    なるほど、堂々とした出来栄えで見応えがあります。
    若き日の奈良氏の渾身の作とお見受けします。
    手持ちの富山によく似ていたので素朴な感想を述べたまでです。
    特に他産地では見られない紫の顔料や、杓や扇の作り癖も同じ感じです。
    郷土玩具の世界もつくづく奥が深いですね。

    ともかく、ハイグレードで奥深い記事の数々に、欣喜雀躍致しております。
    ご迷惑でなければ、
    また、別の項目にも時折書き込みをさせて頂いても大丈夫でしょうか。

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  2. 茶々丸さん
    私も、富山人形の雛人形をネットでですが見るようになってから、とても不思議に思っていたので、ご指摘ありがたかったです。
    中野土人形に対して、ずっと格別な思いはなかったのですが、招き猫を集めるようになってから、手に入れるのが狭き門と知りました。一度は、「ひなの市」に行ってみたのですが、抽選で落ちて、会場に入ることもできずに帰ってきました(笑)。
    それで気持ちが上がるどころか関心が失せて、手持ちの雛人形を愛でるほかは中野でどんな人形が作られているのかも知らず過ごしています。
    本当に見れば見るほど富山人形にそっくり、三人上戸がいなくて右大臣左大臣がいるところも、姿も色もそっくり、いったいどうなっているのでしょう?
    誰かに訊いてみたいですが、今では訊くすべもありません。
    コメント嬉しかったです。古い記事でも構いませんので、またいただけたらと思います。

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