2010年3月26日金曜日

点滴チューブ細工



1979年初頭、ヴェトナム軍を後ろ盾にしたフンセンの攻撃はポル・ポトを追い詰め、カンボジア人は4年ぶりに、ポル・ポトの狂政から開放されました。
タイ国境にはカンボジアを後にした人々が、続々とやってきましたが、途中で地雷を踏んだり、栄養失調で倒れたりと、たくさんの人々が、たどり着くことさえできませんでした。
タイ国境沿いに、難民キャンプが開かれた当初は、キャンプ内の病院は、病人とけが人であふれかえっていました。1980年に入ると、状況は急速に落ち着きを見せてきましたが、国境周辺ではまだ戦闘も続いており、平和とは程遠い日々が、それから何年も続きました。

1980年の初め頃、国連は、毎朝6時に、バンコク発-国境行きのバスを出していました。手が足りないので、誰でも手伝いに来て欲しかったのです。
当時、私たち家族はバンコクに着いたばかりでした。お手伝いしたい気持ちはありましたが、難民キャンプでの仕事は、血でこびりついた衣服を脱がせたり、身体を消毒したりすることだと聞いて、私は二の足を踏んでいました。自分の子どもの、ちょっとした怪我の血ですら、まともに見られないことを考えると、とうとう参加する決心はつきませんでした。

そんな、難民キャンプで、使用後は廃棄されるのが運命の点滴チューブで、こんな素敵な細工をした、芸術家がいました。おそらく、ヤシの葉細工のつくり方を応用したものと思われますが、チューブの特性も生かしているので、硬いヤシの葉細工とは、一味違う仕上がりになっています。
私が直接もらったものではなく、難民キャンプで働いていた友人を通していただいたものです。

パイナップルのつくり方は簡単ですが、葉に切込みを入れているところが素敵です。紐がついているのは、首(?)にかけられるようになっています。




ビニールチューブだけで、こんなにエビの雰囲気が出せるのです。ただ、感心するばかりです。




金魚も、生き生きとしています。目は、チューブではなく、別の部分を使っています。円筒形のプラスティックの真ん中に空いた穴を目玉に見立てています。
パイナップル、エビ、金魚、どれも赤い色が見えますが、中部の内側に色水でも入れて着色したのでしょうか。

長い年月を経て、ビニールチューブはちょっと黄色く変色してしまいましたが、生き生きとした感じは当時のままです。

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