2010年7月6日火曜日
鴻巣人形
日曜日に、秩父に行った帰り道、夫に提案しました。「ねえ、そう遠くないから、鴻巣に寄ってもいいかしら?」、「ああ、いいよ。なにがあるの?」、「鴻巣人形」。
中仙道沿いに開けた街の鴻巣では、昔、桐の下駄がつくられていました。そのおがくずを利用して、張子でもない、土人形でもない、桐の粉を糊で固めた、練り物という人形がつくられ るようになったのは、1700年代、江戸時代のことです。
江戸時代には、子どもが疱瘡(はしか)にかかると、症状の重い子は、命を落とすこともありました。そのため、疱瘡にかかると、疱瘡除けの色である赤いもので、子どものま わりを固めて、子どもを護ろうとしました。赤い布団、赤い着物、赤い本、赤い人形、などなどで。
赤く塗った人形は、「赤物」と呼ばれ、疱瘡除けの人形として、大きな需要がありました。鴻巣は、大消費地の江戸から遠くなかったので、赤物の人形産地として、栄えたのでした。
鴻巣に着いて、駅前の交番に行き、鴻巣人形が、どこで見られるか聞きました。「えっ、鴻巣人形?、赤物?」。5人もおまわりさんがいたのに、顔を見合わせるばかり、誰も鴻巣人形を知りません。しかたなく、人形屋さんのあるところを聞きました。人形屋でたずねた方が早いと思ったからです。
「人形の街」は、同じ埼玉県内の岩槻に移りましたが、鴻巣にも、今でも雛人形屋さんが多いはずです。旧中仙道を行くと、ほどなく人形屋が見つかりました。
「えっ?赤物が欲しいの?本当の赤物?じゃあ、向かいに小さい店があって、おばあちゃんがお獅子なんか並べているわ。あとは太刀屋さんかな。うちみたいな人形屋は、人形だけよ。赤物は置いてない」
赤物をさがす人がいるなんて、という目で見られましたが、無事に情報取得です。
教えられた、半分閉まったような、おばあちゃんの店の、小さなショーケースの中にありました、鴻巣の招き猫が。
赤ではなく、白い招き猫を手に入れて、すっかり満足して、帰ろうとしましたが、夫が「せっかく来たんだから、もう一軒の太刀屋ものぞいてみたら」、と勧めるので、行ってみました。
店は改修工事中で、誰もいません。暗い、がらんとした殺風景な店内の片隅に、小さな縁台があり、赤物がひっそりと、でも各種そろって、その上に転がっていました。写真では知っていましたが、赤物を見るのは、初めてでした。
しかし、誰もいません。店の裏から外へ出て、裏に見える家々に向かって、「太刀屋さ~ん、いますか~」と、大声で何度も叫ぶと、やっと太刀屋さんが現れました。
熊乗り金太郎と鯛乗り金太郎は、どちらも、まっかっかです。時代小説を読んでいると、「なんでぇ。金時の火事見舞いみたいな顔しやがって」、といったせりふを、よく見かけますが、もしかして江戸人の金太郎のイメージは赤物のイメージだったのかもしれません。
鯛車もありました。郷土玩具の中では、鯛は私の大好きなものの一つです。車が動きます。帰ってから取り出してみると、あれっ、顔が汚れています。
夫は、「塗料をこぼしたんだろう」と言いますが、まさかねえ。
郷土玩具の本の中に、鴻巣人形の写真を見つけ、比べてみましたら、古いものは、べたっと白い塗料がついてなくて、しぶきが点々とついていました。鯛車が波しぶきをたてながら、海を進んでいる、勇壮なところを表している、つもりなのでしょう。しかし、これでは鯛の顔が台無しです。
裏庭には、おがくずと糊を混ぜて練り、型で抜いた達磨の生地がたくさん干してありました。暮れの達磨市用でしょうか。
赤物を手にすると、心が一気に江戸に飛びますが、今売れるとすれば、やっぱり達磨なのでしょう。
楽しい、一日でした。
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