2010年8月25日水曜日
真壁のおかもち
ここに来てすぐですから、もう8、9年前のことです。西の山を越えて、真壁に行ってみたことがあります。
目についた魚屋さんで、街の見所など聞くと、暇だったのか、「まあ、座って」なんてことになって、話し込んでいました。
真壁は日本有数の御影石の産地で、一時は関東一円から、日本全国の墓石などを生産して栄えました。とくに、バブルのころは、お墓の建て直しが盛んだったので、かつてない高景気にわきました。みんなベンツを何台も持って(それが幸せ?)、お刺身も毎日のように食べて(海から離れているのに)、魚屋さんも、大いに儲かったそうです。
バブルがはじけて、その後、安い石が中国から入るようになって、真壁は急速にさびれてしまいました。今も石屋さんはたくさんありますが、生き残った石屋さんはみんな中国の石を扱っています。
私たちから見ると、真壁は関東平野のどん詰まりで、東に山は控えるものの、後の三方はのっぺりと平らで、おもしろくもなんともないところですが、真壁の人たちは、長い間石の町として栄えてきたという誇りを持っています。だから、山に囲まれた八郷のことは、「山東」と呼んで、ちょっと蔑視していたようでした。
魚屋さんのご夫婦とこんな話しをしていたら、おじいちゃんが出前に出かけました。あらっ。素敵な籠をバイクにつけました。「あの籠はなに?」。
「ああ、おかもちだよ。これだろう」。だんなさんが指差す戸棚の上に並べてあるのは、今まで見たことのない、籠で編んだおかもちでした。どれもあめ色に光っています。
「まだつくっている人が一人いるから、頼んでやってもいいよ」。ばんざ~い。
しばらくして、魚屋さんから電話をもらい、完成した岡持ちを受け取りに行きました。
「家のより、よくできてるんじゃないか?」。
確かに、魚屋さんのおかもちはシンプルですが、新しいのは、胴の部分は竹の裏を使って色を違えてあり、竹の表と裏との境目には、すすだけまで使っています。また、今では竹の裏の色が濃くなったので、ほとんど目立ちませんが、すすだけの花模様までついていました。
籠は、受け取ったときは、美しい緑色でしたが、だんだん落ち着いて、茶色が深くなってきました。
このおかもちには、三枚の深さが違う籠が入っていて、一番上の籠が蓋になります。
お刺身を乗せるのにちょうどよいような薄いお皿が、一度に三枚運べます。ラップをすれば蓋にももう一枚乗せられますし、ワカメとか、シラスとかを、蓋の上にも乗せられます。
さすが、繁栄を誇った真壁の魚屋さんのおかもちです。豪勢な注文があったのでしょう。
私も、お料理を運ぶのに使っています。パイ、グラタン、たたきなど、薄いお皿なら、なんでも運べます。「一品、持ち寄りね」というとき、力を発揮してくれます。
軽くて、丸いお皿の運べるおかもちは、真壁独特のものなのでしょうか。他では見たことはありません。
真壁の魚屋さんか、籠屋さんが、石屋さんたちの豪勢な注文にも応えられるよう、工夫したものなのでしょうか?
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