2012年2月7日火曜日

こけし


「役場に古いこけしがたくさんありますよ」
という情報を得て、宮城県鳴子町の役場に、見せていただきに行きました。ずっと昔、学生時代のことです。
二階の会議室には、一間幅のガラス戸のついた戸棚が二つか三つあったでしょうか。それに、こけしがびっしりと詰まっていました。

こけしたちは、どんな経緯で役場の戸棚までたどりついたのか、どれも古く、黒光りしていて、模様も表情も、よく見えなくなっているものもありました。

「なんてきれいなんだろう」
見とれながら、手に入れたばかりのこけしを思い浮かべると、白すぎて、模様がはっきりしすぎていて、なにか別物のようでした。

そんな白かった私のこけしですが、年月が経ち、すっかり黒ずんでしまいました。


後列、左の端の一番大きいのが、その鳴子のこけしです。
当時、鳴子の町で伝説的存在だった、伊藤松三郎さんの作です。

こけしをつくる人たちがみんな動力を取り入れて、電気で回転する轆轤を使っているというのに、伊藤松三郎さんだけは、昔ながらの人力の轆轤を使っていました。
山奥に住んでいらっしゃったので、訪ねるとしたら往復に丸一日はかかります。私たちの東北の旅は、宮城県からはじまったばかり、あとの日程も詰まっていたので訪問はあきらめなくてはなりませんでした。

高さ、37センチ、鳴子のこけしは首を動かすと、きゅっきゅと泣きます。
うろ覚えですが、伊藤松三郎さんは大きいこけししかつくっていらっしゃらないのではなかったでしょうか。


こけしは後ろや裏に名前が入っているので、どなたがつくったものかわかりやすいのですが、後列真ん中の山形こけしだけ、達筆すぎて書いてある名前が読めません。



30センチです。


後列右のこけしは、どこから紛れ込んだのか、私の買ったものではありません。夫の両親のところからきたのでしょうか。
山形県米沢市竹井の、小関幸雄さんの作、30.5センチです。


前列左は、秋田県木地山のこけしです。首と胴が離れてない、一本の木で彫りだした、一体型です。
名工といわれていた小椋久太郎さんの作、22センチです。


前列真ん中は、青森県黒石市温湯のこけし、毛利専蔵さんの作、21.5センチです。


そして前列右、一番のちびが、山形県最上郡肘折温泉のこけし、横山政五郎さんの作、21センチです。


当時、宅配便はありませんでした。もしあったとしても、一緒に旅をしたさっちゃんもやすこさんも私も、アルバイトで貯めた旅行資金を、そんなことに使う気はなかったでしょう。

切符は周遊券で、どこまでも鈍行列車の旅、鍵もなくふすま一枚で仕切った木賃宿に泊まり、食事は一番安そうな食堂をさがして空腹を満たして、郷土玩具や民具の購入以外には、極力出費を抑えました。
そして毎晩、宿で荷物の入れ替えをしながら、その日に手に入れたものや、以前手に入れたものまで並べて、わいわい話し合って楽しいひと時を過ごす、きついけれど楽しい旅でした。

荷物は二週間でふくれにふくれ、重くてかさばり、家にたどり着くと、一歩も動けないほどへとへとでした。


そんな、懐かしい思い出のこけしです。
こけしをつくった方たちは、どなたもすでに遠くへ旅立たれてしまわれました。

2 件のコメント:

  1. はじめまして
    達筆のサイン、気になったので調べてみました
    「大宮正安」さんという方のようです

    こういう字がすらすら読めたらいいなあと思っているので、修行がてら解読しました^^;

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  2. Yatozoさん
    ありがとうございました。
    教えていただいたら、確かにそう読めます。
    蔵王高湯系とでもわかっていたら、調べようもあったかもしれませんが、山形としか覚えていなくて...。
    この作者がどなたかもわからず、皆さん遠いところに行かれたなんて書いて、たいへん失礼でしたが、大宮正安さんも、平成2年にお亡くなりになっていました。

    教えていただいて、本当にありがとうございました。世界が広がります。私は掛け軸の字など、自慢ではありませんが、まったく読めません。

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