2012年10月31日水曜日
鍋つかみ
「少し残して置いたんだけれど、やっぱり使わないから、あげる」
と、母から手づくりの鍋つかみをいくつかもらったのは、いつだったでしょうか。
それからしばらくして、
「別の場所に、まだ残っていたから」
と、再度もらったのは、七月に母が我が家に来た時でした。
それにしても、いつもながらなんという大量生産。何でも大量生産。いったい全部で幾つつくったのでしょう?
しかも、雑な仕事が得意(?)な母のこと、魚は目やえらを黒糸(刺繍糸ではなく、カタン糸で)刺繍してありますが、野菜の方は蓮根の穴などを、なんと墨(もしかしてマジックインキ?)で描いています!
面倒なら、こんなにたくさんつくらなきゃいいのに、と言いたくもなります。せっかく手間暇かけた努力が、刺繍の手を惜しんだために水の泡ですが、そんなことはまったく気にしない母です。
このところ、毎日の生活で実際に使っているのはこの二組だけです。
ほかの家庭はいざ知らず、我が家では鍋つかみは、食事のたびの必需品です。しかも酷使します。ウールでできている母の鍋つかみは長持ちしますが、それでも焦がしたり、汚したりすることもあり、代えなくてはならないときがあります。
しばらく前に、自分でつくった鍋つかみの、絣の布が破れて破棄したときには、まだ使用していない母の鍋つかみは二つくらいしかありませんでした。もうつくらないと言うので、一応大切にしておこうかと母の鍋つかみを使うのを控え、既製品を一組買った、そのあとでした。
大量の鍋つかみが、我が家にやってきたのは。
ごわごわした既製品を使ってみると、小さいけれど母の鍋つかみの方がずっと使いやすいことがわかります。
まあ、これだけありますから、今後、鍋つかみに不自由することはなさそうです。
ところで、使っていないけれど捨てないで、引き出しを温めている鍋つかみもあります。
この猫たちが、現役だったのはずいぶん前のことです。うろ覚えですが、雑誌『クロワッサン』のお店で買ったような気がします。
シミもありますが、 今見てもかわいい。なかなかよくできています。
グァテマラ製の鍋つかみは、猫たちより古くに使っていたものです。
鍋の取っ手をつまむと、鶏がむっくり起き上がります。
これも、今は「保存品」に昇格していて、引き出しの中を賑わしています。
と、鍋つかみには不自由していないのに、今年のピクニックバザールの時、kuskusさんお手製の、素敵な鍋つかみを買ってしまいました。
絹の古布でできていますから、我が家のように激しく使うと、あっという間に擦り切れてしまいそうです。こちらも引き出しへ直行しました。
これからお鍋の季節、鍋つかみを焦がさないよう、気をつけなくてはなりません。
2012年10月30日火曜日
起き上がりこぼし
だるまは紙でできていて、上部は空洞、下の方に土が詰めてあって、倒しても必ずもとのように、座った姿に戻ります。
このような縁起もの(おもちゃ)は、起き上がりこぼしと呼ばれ、「七転び八起き」 の意味を込めて、おめでたいものとされています。
日本各地ではだるまだけでなく、いろいろな張り子の起き上がりこぼしがつくられ、正月の市などで売られてきました。
紙細工の張り子は、日本だけでなく、中国、インド、ビルマ、スウェーデン、メキシコなどでも見られますが、起き上がりこぼしが見られるのは、中国と日本だけです。
一方ロシアには、木をくり抜いてマトリョーシカのような上下をつくり、重石と、音源(オルゴール)を中に固定させ、それを閉じてつくる起き上がりこぼしがあります。マトリョーシカは十九世紀末に誕生しましたが、起き上がりこぼしはそれ以前からつくられていました。
赤ちゃんの友、セルロイドの起き上がりこぼし(roly-poly)は、セルロイド全盛期には日本で盛んにつくられましたが、今では廃れてしまいました。ところがロシアでは、今でもつくられています。
オルゴールが中に入っていることを考えると、セルロイドの起き上がりこぼしは、まずロシアでつくられ、ヨーロッパに広く出回っているものを、日本が真似たものと思われます。
ではいったい、伝統的な起き上がりこぼしは、どこで生まれたものでしょうか?
もし、中国起源で、ロシアに行ったものは、ロシア人の得意とした木でつくられ、日本では、そのまま張り子の形でつくられたとしたら、たかが起き上がりこぼしにも、人々の交流の歴史が見えて来ます。
ロシアには、各地に起き上がりこぼしがあるようですが、これは北の町、アルハンゲリスクの伝統的塗りもの、メゼーニ塗りの起き上がりこぼしです。
メゼーネ塗りは、きまった模様が特徴です。
馬は生命力の象徴で健康を、水鳥は先祖の霊がいつも近くで見守っているという意味を表しているそうです。
やはり北方アルハンゲリスクのボレツカヤ塗りです。
美しい彩色と、すべすべした手触りにただうっとり見入ってしまいますが、転がした時のからんころんという優しい音色も、何ともいえず心地よいものです。
全体に彩色してあるボレツカヤ塗りの方は見えませんが、部分彩色で生地色を生かしているメゼーネ塗りの方は、上下部分のつなぎ目がかすかに見えています。
マトリョーシカと比べてみるとほぼ同じ形で、上部分のてっぺんから縁までの高さもほぼ同じ、ただ、マトリョーシカには台座がついているので、その分背が高くなっています。
後ろから見ても、
上から見ても、
下から見ても、素敵な起き上がりこぼしです。
ロシアでも起き上がりこぼしは赤ちゃんに贈って、その健やかな成長を願うもののようです。
2012年10月29日月曜日
焼きものの猫 タイ
タイでは、木彫りだけでなく、焼きものでもいろいろな猫がつくられています。
足跡模様の猫。
素焼きの猫は、昨年の地震で耳が折れてしまいました。
釉薬のかかった猫。
お母さん猫の尻尾が折れてしまいました。
招いているような、踊っているような猫たち。
真ん中が陶器、両端は磁器です。
それぞれ母子連れのセットでしたが、地震でずいぶん失われてしまいました。
白地に藍模様の猫も、鞠を持っているのなどもいましたが、二匹だけになってしまいました。
母子。
籠でお休み。
この子猫も親を亡くし、尻尾に負傷してしまいました。
これは、木彫りの方に入れればよかったでしょうか。
水牛の角を彫ったものです。
小さい猫たちの多くは、タイを去る時に友人スモンがくれたものです。
2012年10月28日日曜日
2012年10月27日土曜日
八郷の門
八郷には、長屋門の立派な家がたくさんあります。
でも、長屋門は、このあたりでは、ランクとしては二番目だと言われています。
というのは、長屋門には「両袖の部屋を使える」という機能があるからです。
ずいぶん減ってきてはいますが、茅葺の長屋門もまだまだ残っています。
そして、長屋門よりランクが上とされているのが、四足門です。
四足門は、四本の柱で立っていますが、扉がなく、精神的な結界以外の役割は持っていません。ただ、お金を持っているからと言って、誰でも立てられるというものではなく、旧家のシンボルとなっているのです。
旧家と言っても、たいていは、じいちゃんばあちゃんが住んでいて、葱なんかつくっていたりして、周りの家の生活となんら変わらない生活をしています。
このあたり、普通の家ですら敷地は300坪以上、敷地には母屋、納屋、隠居などいろいろ建物があり、たった一人暮らしでも、手入れ良く住んでいます。
それでも、「家を美しくするのが悲願」の世代は高齢化が進み、若い世代は文化住宅(普通の家)に住みたがっています。
2012年10月26日金曜日
山岳の人々の銀細工
ペンダントを着けるときは、金属の鎖が一般的でしょうか。
他には、首周りに合わせて形づくった太い銀の針金、あるいは革紐などもありますが、私の好きだったのは、東南アジアの山岳民族たちのつくった、細い細い針金を編んだ紐でした。
どんなペンダントにも、使えました。
これは、ペンダント部分と紐が一体になった魚のペンダントです。
魚は泳いでいるように、ちょっとだけ曲がります。
この首輪は純度の低い銀でできたものですから、山岳民族の人たちが自分たちで使うのではなくて、物々交換用のものかもしれません。
針金の紐は並べて、板金で留めてあります。
安っぽいものですが、つくりは丁寧です。
かつて、山岳民族の人たちのおしゃれは、半端ではありませんでした。
普段もアクセサリーを着けていましたが、
お祭りなど正装の時はとくに見ごたえがありました。モン人の少女が首にかけているのは、五連の無垢の銀。重そうです。
大好きで、よく着用した腕輪です。
写真では違いがよくわかりませんが、左の腕輪はちゃちなお土産物です。
右のはたらっと腕にまといつきますが、左のは輪っかの形に浮いたままなじみません。ちょっと針金が太いと、あまり柔らかく曲がらないのです。
腕輪も同じように、ねじで留めます。
ずっしり重い首飾りは、輪をつなげてつくってあります。
一つ一つ手でつくるのですから、根気のいる作業です。
左が鎖部分の表、右が裏です。
リス人の首飾り。見事です。
ベルトです。
鈴がいっぱいぶら下がっているので、動くとしゃんしゃんと音がします。
踊りを踊ったりするときには、なかなか効果的です。
小さなハートもいっぱいついていますから、山岳民族の人たちが交際相手を選ぶ場でもある、歌垣にぴったりです。
山岳民族の人々が、日常的に民族衣装を身につけて生活していた時代は、三十年ほど前に失われました。
今ではお祭りくらいにしか民族衣装が見られなくなりましたが、そのお祭りでも、民族衣装の下にTシャツを着ていたり、男性はジーパンをはいていたり、すっかり様変わりしてしまいました。