2012年12月8日土曜日
アシャンティのケンテ
ケンテはガーナ中部のクマシを中心に住んでいるアシャンティ人の正装の布です。
その周辺に住むファンティ人なども似たような布をまといます。
ケンテは細い布を織り、それをつなぎ合わせて一枚の大きな布にすると同時に、つなぐことによって複雑な模様をつくり出します。
男性は身体に巻いたケンテの端をサリーのように肩に掛けて着ますが、女性は肩を出して着ます。(写真は『AFRICA ADORNED』より)
あれは1967年だったでしょうか。ガーナの首都アクラの近くで、国際見本市が開かれました。夫が勤務していた工科大学でもパビリオンを一つ持っていて、それは、フラー・ドーム(建築家バクミンスター・フラーが考案したもので、三角をつないで多面体の球をつくる。柱のない大きな空間がつくれる)を自分たちで組み立てるものでした。アクラに泊りこんで作業していた夫たちに、私も同行させてもらって、準備を手伝ったり、見学したりしていました。
いよいよ見本市オープニングの日、ガーナには40ほどの民族グループがありますが、招待された各民族グループの代表団が一堂に集まりました。
会場は、一張羅の民族衣装を着た人たちで埋め尽くされ、太鼓の演奏や歌で盛り上がり、みんなが踊りに興じている中、各民族グループのチーフ(王)たちが、古めかしい高級車(クラシック・カー)で乗りつけ、それぞれに差し掛けられる、美しい装飾の施された傘の下に降り立ちました。
チーフたちの着ている衣装は、どれも手の込んだ、見るだけでため息が出るような美しいものばかりでした。織物、刺繍、それらを組み合わせたもの、そして、目をみはる金細工や飾りもの。アフリカの豊かさに圧倒されました。
ガーナで古いケンテを見たのは、その時だけだったかもしれません。当時も、織物の村ではケンテが盛んに織られていました。ただ、残念ながら織り手は、木綿ではなくレイヨンの糸しか手に入れることができません。どこにも撚りの強い、細い木綿糸を売っていないのです。
あの美しいケンテを見た後では、レイヨンのケンテは、なんだか色も手触りもそう魅力あるものに見えませんでした。
1990年代に、30年ぶりに古いケンテをみたのは、銀座松屋にあった、アフリカショップ「ドゴン」でした。
カラフルなケンテで、銀座あたりを通る時は、わざわざそれを見に松屋の七階に寄ったりしたものでした。
それからしばらく経って、横浜にあった「トルクメン」で、このケンテに出逢いました。トルクメンの店長のIさんに、1960年代には、クマシでも古いケンテは見かけなかったのに、どうして今になって日本で見ることができるのかたずねてみました。
するとIさんは、日本に来ているケンテはアフリカではなくて、ヨーロッパのコレクターたちが放出したものだと教えてくれました。
迷いましたが、自分の誕生日だった(そればっかり)こともあり、ガーナの思い出に買ってしまいました。
このケンテは、約7センチ幅に織った布を3メートル長さに切り、それを23枚つなげて、幅170センチ、長さ300センチの布にしたものです。
写真では色がよく出ていませんが、藍色と木の皮で染めたのか、淡いクリーム色をベースに、ところどころ、赤や白、緑などの色糸を使っています。
ケンテにしてはおとなしやかな色遣いですが、悪くありません。
あれからずいぶん月日が経ちました。いまでは、ガーナでも、レイヨンだけでなく木綿糸も手に入るでしょうか?
ちなみに、ケンテに手が届かない人は、アディンクラという布をまといます。昔は樹液を使っていたと思われますが、今はタールで無地の布にスタンプをぺたぺた押して、それを刺繍糸でつないだ、アディンクラも素敵な布です。
読ませていただきました。おもしろかったです!
返信削除匿名さん
返信削除コメントありがとうございました。
これを書いたころは知識がなくて(今もないけれど、笑)、はっきり書いていませんが、私の買ったケンテはアシャンティのケンテではなく、エヴェのケンテでした。クマシを中心としたアシャンティのケンテは、黒と黄色が特徴的なものです。
いろいろ間違いもありますが、楽しんでいただければ幸いです。よろしくお願いします。