2014年1月18日土曜日

東京の金花糖



暮れの東京新聞に、「幻の金花糖復活」という記事が載っていました。

八年ほど前、都内で最後まで金花糖をつくっていた墨田区の「奈良屋」が工場の建て替えを機に、金花糖の生産をやめることになり、取引のあったよしみで、入谷の菓子問屋「萬年堂」の三代目の鈴木真善さんが、奈良屋から二百七十個もの木型や、銅鍋などの製造道具を譲り受けました。
その時、鈴木さんは「もらえるものはもらっておこう」という軽い気持ちだったとか、自分でお菓子をつくろうなどとは、思いもしなかったそうです。

ところが鈴木さんは、それから後継者不足などで菓子工場が次々と廃業していくのを見てきました。おきな飴、棒つきべっ甲飴、あんこ玉など、江戸のお菓子が消えてゆくのを目の当たりにして、少しずつ気持ちが固まってきました。
そして、道具もあるし、自分の力で伝統菓子をつくって次の世代につなげられたらと、2012年11月に倉庫を工房に改造して、まだ金花糖の生産が続いている石川県にの修行に行き、技術を身につけてきました。


そんな、「萬年堂」の金花糖を買おうと、暮れのうちに注文しておいたものが届きました。
小さいものばかりですが、とっても素敵です。 大きいものはつくるのも大変なのか、お値段が張ります。

 

中鯛、小鯛と、かご鯛です。
残念、小鯛は取り出すとき尻尾が折れてしまいました。
全部とっておくつもりでしたが、割れた小鯛を仕方なく(?)食べてみました。
金花糖は砂糖と水だけでできています。いわば砂糖の塊ですからとっても甘い、口の中でしゃりしゃりと溶けていきます。

そう言えば子どもの頃、安芸の宮島のお土産と言えば、原寸大の杓文字の形の金花糖でした。住んでいたのが倉敷でしたから、宮島はそう遠くなくて、近所の人がよく遊びに行きます。そして、お土産に、決まって金花糖の杓文字をくれるのです。一本だけでなく、三本セットのもありました。
「またか」
という感じで、桃色、薄荷色、白などの金花糖を、ありがたがりもせず食べていました。とくに薄荷色の金花糖は薄荷味で、子どもには強烈、そう好きではありませんでした。


さて、萬年堂の犬張り子犬は、笊を被らず、手つきの籠に入っています。


立ちますが、ちょっと安定感が悪いので、


籠に入れておくと安心というわけでしょうか。


松竹梅。


招き猫は、いろいろ種類があるようですが、これは「にこにこ招き猫の小」と、ちび招き猫です。
ちびの方はしっかり立ちますが、にこにこは立つけれど前のめりです。


今戸焼きに通じるものがあるのかないのか、なかなか可愛い招き猫です。
 

一年前の、金沢の金花糖と比べてみました。
東京の招き猫はのびのびと華やかですがもろく、九谷焼と同じ形の金沢の猫は、がっちりしています。


金沢の金花糖は、一年経って透明感が薄れ、彩色も少し褪せてしまいましたが、十分とっておけることがわかりました。


ついでに、鯛も比べてみました。
鯛車とかご鯛ですが。古い写真と比べると、鯛車も招き猫も、緑色はすっかり飛んでしまっています。

その昔、結婚式で配られる折り箱は二段から三段重ねになっていて、 一折りは練り切りでした。
伊勢海老、鯛、松竹梅などの他には何が入っていたでしょうか?金花糖と違って練り切りはとっておけないので、その時ばかりは豪勢に、お腹いっぱい練り切りをいただいたものでした。今頃、虫歯がいっぱいあるのもうなずける、子どもの頃の生活でした。





2 件のコメント:

  1.  金花糖ですか、
    もっとも私の思い出は駄菓子屋の籤(当てむき)の1・2等の鯛です。
     問屋からくる籤の一番うえには
    1・2等がありますがらあらかじめ店で除きます。
    子供がいくら引いても当たる訳がありませんいね。
    一番すきで美味しいソースせんべいがレトロ店にありませんね。

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  2. 昭ちゃん
    私はお嬢様ではないのに(笑)、買い食いの味も楽しさも全然知らないのですよ。祖母がうるさかったですからね。もっともすぐお腹を壊したりする子だったから、仕方なかったですね。
    泳ぎもみんな川でばちゃばちゃやって覚えるのに、いつも祖母がついて来て、「あっちへ行ってはいけない。こっちもだめ」などというものだから、今でも平泳ぎしかできません。もっとも、これも川で二回も溺れそうになったところを通りがかりの人に助けてもらった前科があったのだから、しかたなかったのですが(笑)。

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