ネットで見つけて、わかっていたのは、集落の名前と、吉田平さんというお名前だけでした。西蓮寺の前まで行くと、運よく西蓮寺幼稚園の前で、孫たちをお迎えのおじいちゃんたちを見かけました。車の外に立っていた方に声を掛けると、
「この車について行ったらいい。平さんのお隣だから」
と、隣に駐車していた車を指さします。
言われた車について行くと、ほどなく連れて行ってくださった方の車が停まりました。
その方が指さす家には、軽トラックが一台停まっているのが見えました。
「この家だ。車がないから留守だな。でもばあさんがいるだろう、行ってごらん」
玄関の戸を開けて声を掛けると、はたして、平さんのお連れ合いがいらっしゃいました。
来訪のわけを話すと、
「籠玉は一つだけ残っていますよ」
と、外に出て、家の脇に案内してくれました。小さい玉をまとめて括って、立てかけてありました。
「わっ、大きい!」
籠玉は、間近で見ると、想像以上に大きいもので、後で計ったら直径70センチありました。
お連れ合いのお話では、吉田平さんは八十一歳、十四歳の年から籠師の修業をはじめ、籠師として一本立ちしました。
しかし、子どもたちの学齢期には、籠一本で食べて行くことができず、三十年間運転手として働いて家族を養ったそうです。そして、子どもが巣立ち、夫婦だけになってから、再び籠師さんとして籠や籠玉をつくりはじめました。
私は見せてもらうだけで十分と思って行ったのですが、夫は買ってもいいと言います。
値段をたずねると、大きい声では言えませんが、人形店で言われた値段の六割でした。例によって、夫と二人で半分づつ出すことにしました(といってもお財布は一つ)。
もう五月五日も目前ですから、今季の籠玉の制作は終わりです。完成した籠玉を一年持ち越して、色褪せたものを商品として来季に売るわけにはいかないのか、お連れ合いは最後の一つが売れてほっとしたようで、とても喜んでくださいました。
最初、車に入るかどうか心配しましたが、お連れ合いが入ると太鼓判を押してくれたので、運転席に竹棒を突き出して乗せてみると、ぴったり入りました。
帰り道で、籠玉を見ました。平さんの籠玉に違いありません。
ずっと前に竿を立てたものか、小さい玉はだいぶ傷んでいました。
遠く離れたところでも見ました。この家の籠玉は、どのくらい経ったものでしょうか。
どちらの家も、その昔赤ちゃんがいて、五月の節句を賑やかに祝ったときがあったのです。
そんな、昔は個々の家庭で泳いだ鯉は、今は一ヶ所に集まって泳いでいました。
霞ケ浦の公園では、鯉のぼりがたくさん寄付されたのでしょう、展望台から四方に泳がせ、泳がせきれない鯉は、公園のフェンスというフェンスに貼りつけてありました。
じつは夫は、数年前から庭に竿を立てたいと言っていました。
でも、面倒そうなので、私はふむふむと聞き流していたのですが、籠玉を買ったことで、その話が再浮上してきました。
竿はお隣のたけさんが細い杉(間伐材)を切ってもよいと言ってくれていました。帰宅してさっそく山を見に行った夫、
「ちょうどいいのがあった」
「まさか、今年切る気ではないでしょう?」
「もちろん切るんだよ。急がなくっちゃ」
「げっ」
竿の木を切る適期は三月から四月、皮がするっと剥けます。でももう五月、
「遅すぎるんじゃない?」
「明日切るんだよ」
「げげげっ」
目星をつけた木は直径15センチくらいだそうです。立て方はネットで研究し(便利になったもんだ)、昨日のうちに設計図はできています。
「コンクリートを手で練るのが大変だから、工事しておいて、次の(家の)コンクリート打ちのときに一緒に打とう」
やれやれ、思いたったら、何が何でもやってしまうのが夫の性格です。
まあ、竿を立てれば、五月には鯉を揚げることができ、ほかのときにも、幟やら吹き流しやら、チベット風にタルチョなどを楽しむことができます。
いわゆる「ぼんてん」でしょうね、
返信削除どの地方にまで伝わっいるのですか。
矢車の音しか知らないので。
昭ちゃん
返信削除この籠玉は茨城県と福島県だけと聞いています。昔はこのあたりではみんな籠玉だったと思いますが、今では矢車も多く見かけます。
神を下ろす依代として籠玉を乗せるようなので、仏教の梵天と関係あるかどうか。ただ、丸いものを「ぼんてん」と言うのですよね。
現代は、鯉のぼり自体、丈の低い、しまえるものになっているのか、赤ちゃんがいないのか、あまり見かけません。また、矢車が竿の先に残っているのを季節外れに見ることはありませんが、籠玉が乗る竿はたいてい太くて高く(15メートル以上)、鯉のぼりが終わったら倒して取り入れたりはできないようになっているので、いつでも目にすることができますが、数年で朽ちます。
素敵です、マンション用こいのぼりに合うくらいの、コンパクトなのがあったら欲しいのに(笑)ポヤポヤした朽ちかけの籠玉も良い味出してますね。
返信削除僕は長男だったので母方の祖父(故人)が奮発して5匹揃いの巨大なこいのぼりと幟旗を贈ってくれましたが、あまりに巨大なので幾度も飾れずに済んでしまいました。平成初頭、僕の頃のお節句飾りは武者人形もやたら大きなものばかりで(ガラスケースのいかにもご立派な雰囲気のやつ)20年余りになることだし、もうぼちぼち御役御免にしようかな…と、母と話しているところです。
topcatさん
返信削除あのくらい大きくないと、見上げても見映えがしないのでしょうね。正直実物を見て尻込みしましたが成り行きで連れて来てしまい、今、仮に招き猫展示室全体を塞いでします(笑)。高さなんと3メートルもあります。
ちょうど家の工事が一段落して、さあ明日から次の型枠をつくろうと言う矢先に持って来てしまい、しかも昨日は苦労して竿にする杉を切り出し、今日は杉の皮むき、すっかり予定が狂ってしまっています(笑)。
確かに、空で朽ちて行くところがまたいいのでしょうね。「あの子もあんなに大きくなった」という感慨もあるのでしょう。籠師さんの話では小さな玉の方がつくるのが難しく、そして、小さな玉から朽ちて行くそうです。
鯉のぼり、りっぱだったんですね。我が家は、もうせっかちな夫がヤフオクで買っちゃいました(笑)。確かに大きなお人形って行き場がないかもしれませんね。ガラスケースもよそよそしいものだし。私も家にあったのか、誰かの家で見たのかわすれましたが、大きな兜の座り姿の人形を怖いと思った記憶があります。お雛さまは雰囲気がいいけれど、五月人形って、なかなか感情移入できにくいですね。土人形の熊金は大好きなのですが。