筑豊生まれの儀母はこのての小皿は「おてしよ・お手塩?」と呼んでおりました。春さんのところでは、、、
昭ちゃんあっ、いい名前ですね。聞いたことがあります。私は、特別に何とも呼びませんが、夫はがらっぱちで言葉もぞんざいなくせに、小皿だけは気をつけていないと「おこざら」と言ってしまいます(あっはっは)。あと醤油がおしたじ。「お」がつきます。それにしても例の秋山郷の暮しの本を読んでいますが、冬でも綿入れがない生活、すごいです。そして塩はどの家でもカマスで一俵買ってカマスの下に木彫りの受け皿を置いて塩水が出るのを受けたらしい。重い塩を売りに来る人にも、カマスで塩を買って使う人にも感心しました。きっと、何もなくても塩があれば何とかなったのでしょうね。日本の村は似たりよったりのところも多かったと思いますが、戦争中の配給で初めてお米を食べた人もいるそうです。飢饉で村が全滅した話など、ほんの150年ほど前の話ですから、これからも世の中、どうなるかわかりませんね。
父母は死ぬまで東京言葉が抜けませんでした。私は「しょうゆ」ですが母は「おしたじ」でしたよ。 来年で70年目、いまだに「郷しろみ」まるで卵です。最近まで「しらかわさん」と呼んでいましたが「ひらかわさん」でした。(大笑い)
昭ちゃん『アンギンの発見』にあるのですが、キとチを反対にする方言があって、「トキ林へトキのチをチリに行った」と言っていたのですって。太宰のお伽草子だったかにも、「スズメ」を「シジミ」と言い、「シジミ」を「スズメ」という話が出てきます。東京ではまっすぐは「まっつぐ」でしたね。今テレビ小説「花子とアン」で言っていますが、私の高校・大学時代には、「ごきげんよう」と言っていた友人が何人もいました。私は半分田舎者ですから、死んでも言えませんでしたが(笑)。
筑豊生まれの儀母はこのての小皿は
返信削除「おてしよ・お手塩?」と呼んでおりました。
春さんのところでは、、、
昭ちゃん
返信削除あっ、いい名前ですね。聞いたことがあります。私は、特別に何とも呼びませんが、夫はがらっぱちで言葉もぞんざいなくせに、小皿だけは気をつけていないと「おこざら」と言ってしまいます(あっはっは)。あと醤油がおしたじ。「お」がつきます。
それにしても例の秋山郷の暮しの本を読んでいますが、冬でも綿入れがない生活、すごいです。そして塩はどの家でもカマスで一俵買ってカマスの下に木彫りの受け皿を置いて塩水が出るのを受けたらしい。重い塩を売りに来る人にも、カマスで塩を買って使う人にも感心しました。きっと、何もなくても塩があれば何とかなったのでしょうね。日本の村は似たりよったりのところも多かったと思いますが、戦争中の配給で初めてお米を食べた人もいるそうです。飢饉で村が全滅した話など、ほんの150年ほど前の話ですから、これからも世の中、どうなるかわかりませんね。
父母は死ぬまで東京言葉が抜けませんでした。
返信削除私は「しょうゆ」ですが母は「おしたじ」でしたよ。
来年で70年目、
いまだに「郷しろみ」まるで卵です。
最近まで「しらかわさん」と呼んでいましたが「ひらかわさん」でした。(大笑い)
昭ちゃん
返信削除『アンギンの発見』にあるのですが、キとチを反対にする方言があって、「トキ林へトキのチをチリに行った」と言っていたのですって。太宰のお伽草子だったかにも、「スズメ」を「シジミ」と言い、「シジミ」を「スズメ」という話が出てきます。
東京ではまっすぐは「まっつぐ」でしたね。今テレビ小説「花子とアン」で言っていますが、私の高校・大学時代には、「ごきげんよう」と言っていた友人が何人もいました。私は半分田舎者ですから、死んでも言えませんでしたが(笑)。