生産地はモスクワ州ポドリスク地域と書いてありました。
そして、同じ産地の同じ形のものは、『マトリョーシカ ノート3』 (道上克著、2013年)にも載っていました。
いつだったか、半端な、小さなマトリョーシカばかりをまとめて買ったことがありました。
より分けてみたら、たった一つだけ、全部そろっているセットがありました。
よく見ると、釣鐘型をしてはいませんが、赤い首飾りといい、袖の模様のついた民族衣装といい、花の持ち方といい、同じ地域、モスクワ州ポドリスクでつくられたものに違いありません。
おかしいのは、頭の上の二つの点。
いったい何でしょう?
後ろにも花が書かれていますが、ほとんど絵具代のかからない、あっさりした絵つけで、髪の毛が黄色(金髪)なのが特徴でした。
絵具代がかからないと言えば、一番大きい娘で高さわずか6センチ、そんな小さいものばかりのようですから、木も細い木からつくれます。
ポドリクスは、あまり木のない、貧しい村だったのでしょうか?
大好きな写真があります。
『マトリョーシカ大図鑑』(沼田元氣著、二見書房、2010年)に載っているこの写真です。
著者の沼田さんが道で会った女性だと思われますが、もう三時間も歩いてきたとのキャプションがついています。
木は細く見えてもずっしりと重いはずです。まっすぐに続く道を延々と歩いて行き、木は買ったのか、切ってもらったのか、また延々とそれを運んで帰ってきているのです。
そうやって、マトリョーシカがつくられているのです。
しかも、これから、木を寝かせ、荒取りしてまた寝かせ、 マトリョーシカになるまでには、数年かかるのです。
おはようございます。
返信削除本当にあっさりした絵付けで、模様がボドリスクのとそっくりですね…。
ばらで売ってるマトリョーシカって…。私も出会ってみたいです。
緑のプラトークの子たちもセットでしょうかね。
karatさん
返信削除ポドリスクでは、こんな形でもつくっていたんですね。きっと。緑の子たちは一度UPしたことのある子たち(http://koharu2009.blogspot.jp/2014/04/blog-post_26.html)です。三つあるのですが、一番小さいのも箱になっているのに、固くて開きません。振っても音はしないので、むくの子は失われてしまったけれど、もともとは四つセットだったものでしょう。
なんか、古いマトリョーシカに出逢うときは、全部が残っているものは少ないです。それもしかたない、残された子(笑)たちをそのまま愛でています。