2014年11月3日月曜日

大注連縄

益子の秋の陶器市に行った帰り、思いついて出雲大社常陸分院に寄ってみました。
日本一の大注連縄があります。


なるほど、大きい!
 

出雲大社は縁結びの神様、ずいぶん賑わっていました。


注連縄をつくっているのは、島根県飯南町の注連縄企業組合の方たちで、 長さ16メートル、重さ6トンのものを飯南町から運んできて、クレーンで吊るすのだそうです。


下がっている部分の直径は150センチくらいでしょうか。あちこちにお賽銭が突き刺さっていました。


お父さんに肩車をしてもらっているこの少女、脚をちゃんと支えているから立って突きさせと言われているのに立てず、何度も投げて失敗して、そのたびにおばあちゃんが五円を拾っていました。


こんな立派な、稲わらの注連縄をつくるのですから、拝殿も木でつくればよかったのに、というのは、余計なお世話です。
ただ、素材を活かしたつくり方をして欲しい、鉄でつくるなら木でつくる形に似せないで、新しい形を考えてつくれば、もっとよかったことでしょう。

震災後、東北のある町で、地震で壊れた鳥居をコンクリートでつくり、地域の人の士気を上げたいから、設計して欲しいという依頼が、震災支援をしている知人から夫にありました。
山の木を切り出してつくる、せめて石でつくるならともかく、鳥居をコンクリートでつくることは勧められないと夫が断ったことが、あちこちに吹聴され、東北支援をしている友人たちからも、「冷たいじゃないか」と、なじられたことがありました。

でも、やっぱりコンクリートの鳥居がいいとは思えません。形は似ていても、コンクリートでは、「似て非なるもの」でしょう。
地震が来ても、津波が来ても壊れない鳥居をつくるのがいいのではなく、壊れた鳥居を一緒につくろうかと、ひたいを集めて出し合う創意工夫や、作業分担などの共同作業の時間が大切だと思ってしまいます。
 
 1998年に一回目の掛け替え、2012年に二度目の掛け替えをしたそうです。稲わらでもずいぶん長持ちするものです。




4 件のコメント:

  1.  さすが国っ神の分院ですね。
    出雲大社の入口付近には「竹内まり〇生誕の地」の立札がありました。
     今年の紅白の目玉だって、見られるかなー

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  2. 昭ちゃん
    えっ、竹内まり○さんは、出雲大社の前で生まれたのですか?私は学生時代に出雲大社に行って、大社に感動せず、その前の道のほんの風呂敷くらいの広さにも野菜を植えてあったのに感動した覚えがあります。あの当時、日本は隅から隅まで耕されていました。
    いま、放棄地の汚さを見ると、隔世の感がありますね。

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  3. 笠間の出雲大社ですね。(^^)

    ここが出来たばかりの頃、なかなか子が授からず心身困憊しておりました。もう神頼みしか無いのかと参拝したのを覚えております。
    「鬼丸」だったか、そういうお名前の刺繍をされたお袴を召された神主さんが、祝詞を上げて下さり、いろいろ穏やかにお話をして下さったのを覚えております。
    当時は、そば屋の屋台も、土産物屋も、二階は観光客用の大型食堂でした。2年ほど前に娘の中学受験のお願いに再びお札を給わりに参りましたら、店のいずれも無くなり淋しかったですね。

    上記のコメント
    >風呂敷くらいの広さにも野菜を植えてあったのに感動した
    っていうのに、妙にツボにはまり受けてしまいました。

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    先日は、大人形の件、多々ありがとうございました。先だって行ってだいだらぼっちに会って参りました。


    おかげさまで、里話創作の拙稿も、原稿用紙33枚を通過中でございます。

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  4. 月琴一代さん
    わぁ、お参りして赤ちゃんが授かったんだ!私が訪れたときにお宮参りしていた人も、そうだったかもしれないですね。出雲大社(笠間)に食堂やお店がなくなったとのこと、もしかしたら現代風というかテーマパーク風に出発したけれど、原点に戻ろうとしているのかもしれません。まあ注連縄だけで圧巻ですから、そうだとしたら、今後もっともっと魅力的になる可能性がありますね。
    いやはや、畦に豆を植えたりする日本の土地利用はすっかり姿を消してしまいました。あのころ、どこを旅しても人の手を掛けられていない景色がないほどでした。岩手の曲がり屋の棟に、どの家も赤いユリの花が咲いていたのなど、美しさに息を飲んだものでした。
    だいだらぼちは、見に行かなくちゃ。

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