2015年3月26日木曜日

コサの籠

以前、南アフリカにはタイ人や日本人の同僚たちと一緒に、一度だけ行ったことがあります。
アジアとアフリカの交流プログラムで、そのときはエチオピアと南アフリカ両国に行きましたが、時間が経つにつれて、一度も外国に出たことがなかったタイ人たちが、食環境や住環境に疲れてきて、後半は、ちょっとぎくしゃくした旅になってしまいましたが、それを除けば、なかなかおもしろい旅でした。

いま、我が家に逗留中のジョンは、ジンバブエのショナ人ですが、南アで働いています。
私が南アに行ったことがあると知ると、矢継ぎ早に質問してきました。
「いつ行ったの?」
1993年か94年頃だったと思いますが、はっきりしません。
「マンデラが大統領になる前かな、後かな?」
マンデラが大統領になったのは1994年でしたが、うぅん、残念ながら前だったか後だったか記憶にありません。とっても大きなことだったのに。
「どこに行ったの?ソエト?」
ソエトはヨハネスブルグ郊外の黒人居住区ですが、ソエトだけでなく農村にも行きました。
「なんていうところだったかなぁ。飛行機でレソトを越えたから、南アの真ん中あたりのホームランドだけど」
「マンデラの故郷かな?」
「ん?、わからない」
「トランスカイ?」
「そうねぇ、トランスカイだったかもしれない」
「じゃあ、マンデラの故郷だ。それともシスカイ?」
「シスカイという名前にも覚えがあるなぁ。どっちかなぁ」
もちろん、報告書を書きましたから、以前はどこの何村までしっかり覚えていたはずですが、20年以上の歳月を経て、すべては忘却の厚い襞の奥に消えようとしています。

さて、我が家にはズールーの籠がたくさんありますが、私は、南アでズールーの籠を買った記憶がありません。
持っているズールーの籠は、南アで数年間暮らしていた妹が買ったものや、以前の職場にあったのをわけてもらったものだけです。
「籠が好きなのに、南アで私は籠を買わなかったのかしら?」
とよく考えてみたら、思い出しました。


この籠を、農家の庭先で買っていました。
ズールーの籠はかっちり編んでありますが、この籠はしなやかにたわみます。
ジョンに見せました。
「これはコサの籠だよ」
「そうだったのか、マンデラさんてコサ人?」
「そう」


あぁぁ、すっかり忘れていました。
あのときは、コサ人の村に行ったのです。
せめて飛行場のあった町の名前を覚えていたら良かったのですが、それがイースト・ロンドンだったか、ポート・エリザベスだったか(どちらもひどい名前)すらも覚えていません。すべて、案内してくれた妹夫婦におまかせの旅だったからです。
 
 
これは、コサ人たちが使う、肉を切るシート、まな板のようなものです。
編んだものの上で切るなんて面白いなと思いましたが、コサ人独特の文化のようです。


きれいな色が編み込んであるのは、妹が買ったもの、母経由で私の手元に来ています。






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