千葉県銚子のヒゲタ醤油は、元和二年(1616年)創業で、会社設立が大正七年(1918年)という、しょうゆ醸造会社の老舗です。
そのヒゲタ醤油は、昭和30年代に、首に「ヒゲタしょうゆ」と書かれた小判をぶら下げた招き猫をつくって、販売促進のためにお得意さまに配っていました。
左は地震より前から持っていたもの、右は地震以後に我が家に来たものです。
『招き猫博覧会』より |
地震で割れてしまった招き猫は、これによく似ていました。
地震以後に我が家に来た、リボンを首に結んだ招き猫は、どんな経緯で我が家に来たものか、よく覚えていません。
ヤフーオークションだったかなとも思いますが、ヤフオクを見ると、福沢さんがお出ましする、信じられない値段につり上がっている、ヒゲタ醤油の招き猫もあります。
福沢さんはもとより、樋口さんにも関係なく、野口さん数枚でお越ししただいたものなので、ヤフオクではなかったのでしょう。
『招き猫博覧会』より |
首にリボンを巻いた招き猫は、座布団なしより、座布団つきの方が多いようです。
座布団も土でできていて、猫をその上に乗せられるようになっているようなので、私の持っているのは、もしかしたら座布団が失われてしまったのでしょうか?
『福の素』より |
赤い座布団だけでなく、黄色い座布団の猫もいたようです。
左の招き猫は打ち出の小槌も持っていますから、私の猫も、もともとは黄色い座布団を敷いていたのかもしれません。
もっとも、リボンを結んでいても座布団なしの猫もいたようです。
2004年の『福の素』(日本招猫倶楽部の会報)では、ヒゲタ醤油の招き猫は常滑でつくられたとされていましたが、最新の61号によると、常滑ではなく、多治見でつくられたとわかったようでした。
ヒゲタ醤油の招き猫だけでなく、豪徳寺の招福猫児(まねぎねこ)も多治見でつくられていたようで(今は常滑)、多治見の窯元はどこも規模が小さくて、家族経営のようなところだったので、外注を受けやすかったのではないかとのことでした。
ヒゲタ醤油の販売促進用の招き猫は、時代によって型を変えたのか、何種類かあります。
左の猫は湿気で表面の艶がなくなり、色も落ちていますが、模様は右同様、黒と橙色ではなく、黒と灰色でした。
黒と灰色の取り合わせは、多治見でつくられた猫の特徴のようです。
「田」にひげが生えて、ひげ田です。
ヒゲタ醤油では、招き猫を配ることをとっくにやめています。
『招き猫博覧会』より |
こんなショーウインドーは、ちょっと前まで街角でありふれたものだったのに、今ではほとんど見られなくなりました。
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