2016年2月24日水曜日

紙のおもちゃ


おもちゃ骨董のさわださんが勧めるものは、たいていは断らないで、喜んでいただいてきます。
というのも、100円や300円、あるいは500円で、今まで知らなかったことを知ったり、忘れていたことを思い出したり、幼いころと出逢ったりできるのですから、考えてみれば安い授業料です。

そんなさわださんに勧められた、紙のおもちゃです。


駄菓子屋のくじ。
私は子どものころはまったく駄菓子屋さんにご縁がなかったのですが、お猿と飛行機のところをはがすと、「あたり」とか、「はずれ」とか書いてあるそうです。
1本とか2本とか書いてあるけれど、いったい、あたりで何をもらったのでしょう?
駄菓子屋さんだから鉛筆ではないだろうし、もしニッケ水を90本ももらったら、胸焼けして気持ち悪くなりそうです。

 
ちょっと前なら、ありふれていた、あか抜けない絵ですが、こんな優しい感じの絵は、すっかり見なくなってしまいました。


安っぽい印刷も、味があります。


裏を見ると、くじがすぐちぎれるのがわかります。
 

「二十の扉」のおもちゃは二種類あります。
「「二十の扉」ってなんだっけ?聞いたことがあるなぁ」
すっかり忘れ去っていました。

「二十の扉」は、1947年から1960年までNHK第一放送で放送されたクイズ番組です。
GHQの管理下で、アメリカで放送されていた「Twenty Questions」をベースに制作され、敗戦後の娯楽の少なかった日本人を、大いに楽しませてくれました。
そういえば、「三つの歌」、「笛吹童子」、「おらぁ三太だ」などという番組もあったなぁ。

そんな「二十の扉」を家族や友だちと楽しんだのが、このおもちゃのようです。


それにしても、「二十の扉」のカテゴリーには、植物、動物と、鉱物しかなかったのですね。
小さな、扇形の「窓」からは字しか見えませんが、外してみると、そのまわりに絵が描いてありました。外さないと見えないところに絵を描いているなんて、奥ゆかしいのか、それともすぐ壊れてしまうのを予測しているのか、理解に苦しみます。

絵には、一升ますを除くと、子どもの喜びそうなものが並んでいます。


ところが、もう一枚の方は、出刃包丁、キセル、たわし、ランプなど、今だったら描かない絵が並んでいました。

さわださんのお店の常連さんは、どちらかと言えば男性が多めです。
そんな常連さんたちが現れるたびに、さわださんは、
「映画のポスターが入っているよ」
とか、
「絵葉書が入っているよ」
と、私に勧めるのとは全く違うものを、箱の中から探し出して見せています。


となると、私はおもちゃ、ガラス好きと分類されているようです。
ふと思いついて、
「さいころになったガラスの独楽持っている?」
と訊いてみました。
「ちょっと待ってて。今ねぇ、ほかの人からも頼まれて、探しているから」
そうなんだ。注文を受けて、探したりもするんだ。
ここに来てからですから、早15年にもなる長いつき合いですが、ちっとも知りませんでした。







4 件のコメント:

  1. 当時の世相が紙質や印刷から分かるので面白いですね、
    つでにラジオ番組まで。
    NHKが唯一の放送で当時の第二放送は進駐軍向けでした。
    (東京・WVTR 福岡・WLKHがコールサインです)
    私は東京裁判の判決
    「〇〇デス バイ ハンギング」が耳に残っています。

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  2. 昭ちゃん
    そうか、日本人向けは第一放送しかなかったのですね。前も話したかもしれませんが、ここにきてから時々ラジオを聞くようになって、NHKの「昼のいこい」の音楽二つが、当時と変わっていないのにびっくりしました。
    だから、タイムスリップしてしまって、「昼のいこい」が終わったら、当然「尋ね人」の時間がはじまるんじゃないかと錯覚したくらいでした(笑)。

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  3.  春さんには通じて嬉しいです
    長く聞きなれたテーマ曲ですね。
    その後米軍放送はFEN・ファーイースト ネットワークになりました。
     戦後のプレーヤーは78.45.33回転のほかに16回転があります。
    16回転こそ米軍向けのレコード用です。

    追伸WLKHは小倉がキーステーションです。
      くどくど、、、、
      

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  4. 昭ちゃん
    あっはっは。ラジオを楽しんでいましたね(^^♪
    私は子どもだったので、スイッチを入れる権利もなくて、脳卒中で命を取り留めた祖父がラジオを聞いていれば耳を傾ける程度でした。それもNHKだけで、民放ができても祖父母とも聴くことはありませんでした。昔はそういう人がいっぱいいましたね(笑)。
    二人とも教育者だったので、新聞は『朝日』でした(爆)。

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