コンピュータトラブルで、コンピュータを動かすために、ごちゃごちゃの机の上を整理していたら、古い東京新聞の折り込み紙、『暮らすめいと』(2015年2月号)が出てきました。
折り込み広告は見もしないで捨ててしまう私ですが、月に一度入ってくる『暮らすめいと』は、ちょっと楽しみにしています。
「昭和の風景」というコラムが好きで、
「えっ、昭和30年代にまだラオ屋が歩いていたの?」
などと、おもしろい発見があります。
この『暮らすめいと』の「昭和の風景」は、ボンネット型のトラックなどが見える街角の風景でしたが、やはり連載の「おもしろパズルの古今東西」というコラムが面白かったので取っておいたようでした。
秋山義久さんが書いたもので、「何人の子どもが見えますか?」というのがお題でした。
まず、江戸時代の「五子十童圖 」(五湖亭貞景、天保の頃)です。
頭は5つしかありませんが、赤い腹掛けを見ると、10人分あって、子どもが10人いることがわかります。
これは、中国の「連生貴子圖」を真似たものだそうです。
「連生貴子圖」は、男子が続いて生まれてくることを願って、さまざまな器などに描かれたとか、いかにも中国らしい意匠です。
ところが、中国のオリジナルではありません。
裸の子どもを描いたイギリスのパズルカードは19世紀のものです。
元をたどると、17世紀のペルシャの絵に至るそうです。
中東で誕生した絵が、ヨーロッパや中国に流れ流れて、その土地土地の好みで、再生されていたのです。
この馬の線画は、今はイランではなく、アメリカのボストン美術館に所蔵されているそうです。
さて、このコラムの問題は、
「イギリスの子どもが何人いるものでしょう?」
というものでした。
答えは、7人でした。
「羅宇屋について」
返信削除子供のころの思い出は蒸気で鳴らす笛の音ですね、
まるで蒸気船です。
5年前に江戸研究のメル友千住姐さんに送った羅宇屋の写真に
写った街並みがたまたま姐さんの住んでいたところでした。
昭和40年ごろまで健在だったようです。
らうの語源は黒潮につながる南ですね。
昭ちゃん
返信削除夜泣きそばのチャルメラなど聞きながら育ちましたが、らう屋(ラオ屋じゃないですね)には出逢ったことがありませんでした。
もちろんキセルは、祖父も使っていましたし、父の妹の嫁ぎ先では、お姑さんもその母のおばあちゃんも、優雅にキセルを使っていて、私にとっては過去のものではありません。でも、らう屋となると、もっと昔のものとしか思わなかったので、写真を見てびっくりした次第でした。
らうはラオス、キセルはクメール語の「パイプ」です。あっちから来たのでしょうけれど、手巻き煙草は見ても、ラオスでもカンボジアでもキセルは全く見かけませんでした。