2016年7月20日水曜日

御岩神社


先日、日立の御岩神社に行ってきました。
ところが残念、うっかりしてカメラが電池切れになってしまって、写真はほとんど写せませんでした。

御岩神社は、日立から山道を10キロほど入ったところにあります。
御岩山のところで、山を迂回するようにして大きく曲がった道は、袋田の滝のある大子町の方へと続いています。この道は、かつては「塩の道」だったのかもしれません。
今では、車で行ってさえ、人里離れた山奥に入った感がしじますが、昔は山に住む人もいて、街道も賑わっていたのでしょう。
御岩神社は、『常陸風土記』(712年)にも記載されている古刹です。
 

もともとは神仏習合の御岩山でしたが、明治以降の廃仏毀釈によって、御岩神社になりました。
この山門は、神仏習合時代の名残でしょうか。


よく手入れされた境内には、杉の木が林立しています。


注連縄が巻かれているのは、根元から三本に分かれて伸びている三本杉。
大木が随所に見られましたが、中には枯れて倒れ、残った株からたくさんのひこばえが生えているだけのものもありました。

建築材料としては格上の檜が、神社仏閣の境内でほとんど見られないのは、興味深いことです。


本殿。


この一枚を撮ったあと、カメラの電池は完全にだまりました。
境内には、至る所に、興味深い石像たちが、溢れんばかり、また行ってみたいと思います。






15 件のコメント:

  1. 大丈夫ですかTVで驚きました
    内陸部で大きいですね。

    返信削除
  2. 昭ちゃん
    ありがとう。結構揺れましたが(震度4)、長くなかったので大丈夫でした。3.11のときは、なにせ5分でしたからね。だんだん揺れが加速しました。

    返信削除
  3.  震源が深いなー余震がないので安心しましたが、
    震度4どんな揺れか未体験なので。
    忙しい中ごめんね。    

    返信削除
  4. 昭ちゃん
    今日はあれから二度、合計三度揺れました。テレビニュースで専門家が、「茨城はマグニチュード7以上の地震の発生も予想されるので気をつけるように」だって!どこの専門家?そんなこと初めて聞きました(笑)。
    ここに来た当時は、地元の人は地震が少ない、あっても地盤が固いから問題ないというのが自慢でしたが、変わったのかしら?

    返信削除
  5. まあ余震がなかったので安心ですが
    震源が内陸性で50キロとは深いですね、
    被害がなくてよかったー

    返信削除
  6. 昭ちゃん
    日本列島、どこが揺れてもおかしくないのでしょうか。
    ここは地震が発生しても、山津波、土砂崩れ、鉄砲水、津波の心配はないので安心です。
    震度4では、棚からなにも落ちないですよ。震度5も、3.11の余震で何度もありましたが大丈夫、6弱になると怖いです。
    心配していただいて、ありがとうございました。

    返信削除
  7.  特に最後の写真が興味深々でぜひ再挑戦してください。
    筑豊の名山「英彦山」そっくりです。

    返信削除
  8. 半跏思惟像らしい仏像が見えますが?
    どうでしょー

    返信削除
  9. 昭ちゃん
    夫がよく、日本の考え方は高みを目指すのではなく「奥」だといいます。導線は、紫禁城やカテドラルのようにまっすぐではなく、軸線をずらしながら、奥へ奥へと導いていく、とても素敵な空間でした。
    英彦山と似ていますか?九州で、行ってみたいところが鹿児島神宮と英彦山です。そうだ、宮崎の海岸も入ります(笑)。あっ、籠師廣島一夫さんの故郷、日之影にも行ってみたい(欲張り!、笑)。
    英彦山にはあんな素敵な土鈴が伝わっているのに、千年以上の歴史を持つ御岩山では、社務所を覗いてみましたが、古くから伝わった授与品はなさそう、それだけが残念でした(涙)。
    半跏思惟像だけでなく、姥の像やらお地蔵さま、猫像、牛像、ごろごろしていました。形をとどめないほど、古い像もありました。それに、いろいろなところにいろいろの人が積み上げた石の塔などもあって、パワースポットと言われているのもうなずけます。カメラがないとじっくり心眼で見られるといいますが、カメラで見たかった、俗人の私でした。

    返信削除
  10. 山岳宗教・日本三大修験道場の英彦山はパソコンで
    検索できるので多言を要しませんが、
    山伏はお札以外に薬草や塗り薬などを持って遠く博多などの檀家周りも
    修行の一部でした。
     今阿佐ヶ谷にいる鳥羽さんも元禄時代から続く由緒ある家系で
    お母さんの葬儀には呼ばれましたが神仏習合の残る飾りでした。

    返信削除
  11. 昭ちゃん
    神仏習合って、いいですよね。ヨーロッパもキリスト教以前は多神教でした。山羊とか杉とかいっぱい神さまがいました。
    我が家の神棚には、南伝上座部仏教の仏さま、インドのガネーシャなど諸神さま、インドネシアの神さま、パプアニューギニアの神さま、ソロモン諸島の神さま、キリスト教のイコン、日本の恵比寿大黒、お稲荷さんなどなど、仲良く並んでいただいています(笑)。あと、中国商人が店に置くかぼちゃ(商売繁盛の民間信仰)も、偶像のないイスラムのコーランもおいています。
    みんな、仲良くしていますよ(^^♪

    返信削除
  12. 一言すごーぃ!!

    返信削除
  13. 昭ちゃん
    誰もが、考え方も思いも違うのだから、いろいろな信仰があってもなくても、排除しないで仲良くするのが基本ですね。未開人と呼んで改宗させようとするなんてとんでもない。心から信仰心が起こったら、特定宗教を受け入れることはあっても、信仰に上下はないと思います。その意味で、イスラム教徒を恐れるのもいかがかと思います。

    返信削除
  14. 全く同感です。
    現役時代半年ほど大分に出張しました
    近いので隔週土日には帰りましたが、、、
     野津には隠れ切支丹の資料館があり面白かったです。
    大分はどうして隠れてまで切支丹が盛んになったか、
    大友宗麟の火薬製法説もありますが
    日本の仏教と異なった布教活動に引かれる面も多々ありますねー
    神父さんが託児所・合唱隊・一緒に畑を耕す、
    すべての面が仏教の教えと異なる行動に目を見張ったようです。
     そんな事を思い出しました。

    返信削除
  15. 昭ちゃん
    昔ガーナに行ったとき、田舎に西洋人のシスターが住んでいたのでびっくりしたことがありました。末端のキリスト教徒には純粋な人もいましたが、植民地主義と布教は密接に結びついており、地域で平和に共存している人たちを分断する役目も果たしました。今なお民族グループ間に亀裂を残しているところもあります。
    異邦人とは、「未だキリスト教を信じていない未開人」ということだったとか、宗教を征服に利用した人たちによって、様々な悲しい過去(そして現在も)がありました。

    返信削除