2016年8月27日土曜日

線香花火


先日、何人かで集まったときに、Yさんが線香花火を持ってきました。
みんなで楽しんだ後、残ったからと置いていったのは、「西の線香花火 スボ手牡丹」と書いてありました。
説明を読むと、
「三百年変わらない花火の原型。線香花火はワラスボの先に火薬をつけ、それを香炉に立てて火をつけて遊んだのがはじまり、コメづくりが盛んな関西地方には藁が豊富にあったため、このスボ手牡丹は関西地方を中心に親しまれている」、と書いてありました。

ワラスボとは、初めて聞く言葉でした。ネットで調べても、「ワラスボ」というのは魚しか出てきません。
普通、ワラシベと言いますが、どこでワラスボと呼ぶのでしょう?


小さいころ倉敷で過ごした私にとっての線香花火は、ワラシベではなく、イグサの先に火薬をつけたものでした。ワラシベなら、稲わらから一本ずつ選り出さなくてはなりませんが、イグサなら切るだけです。それにイグサは、泥で染めたりする過程で短いのがごっそり抜け落ちて、そこいらじゅう道路も何もイグサだらけになるほどですから、それを拾い集めても、ワラシベでつくるよりずっと手間がかからなかったと思います。

西日本には、和紙をいろいろな色に染め分けたものをこよりにして火薬を包んだ線香花火(長手牡丹と呼ぶらしい)がなかったわけではありませんでした。とくに花火セットになっていたものに入っている線香花火は、たいていこよりのものでした。
こよりの花火は、ワラスボ線香花火が関西から江戸に紹介されたのち、江戸ではなかなかワラシベが手に入らないので、つくられるようになったのだそうです。


きれいに包装されたワラスボ線香花火ですが、よく見るとずいぶん大きさにばらつきがあります。
その昔、何でも屋で線香花火を買うときは、10本ほど、紙の帯で束ねたものでした。 もちろん、バラツキもあったし、欠けたのもあったと思います。








2 件のコメント:

  1. 面白いですねー
    イグサは佐賀が盛んですよね、
     子供の頃は和紙の線香花火ばかりで
    赤くなった火球を手の甲に落としましたよ。
    ぐるぐる回るネズミ花火や飛ぶ花火、消えたあと
    ぐにゃぐにゃと出てくる蛇花火と夢がありました。

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  2. 昭ちゃん
    熊本だけでなく、佐賀も盛んでしたか。備後表が最高というくらいで、その昔は備後(広島)、備中(倉敷のあたり)もイグサをつくり、あちこちの家から畳表を織る織機の音が聞こえてきました。でも、イグサ栽培は重労働で、冬も寒い中夜なべして株を割って次の年に備えなくてはならず、景気がよくなったらすっかり消えてしまいました。
    夏休みの初め頃かな、イグサ農家には四国から出稼ぎのおじさんたちが来て、そこいらじゅう大忙しでした。
    そうそう、ねずみ花火や蛇花火ありましたね。夏の夜は室内が暑いのでみんな外に縁台を出して夕涼み、天の川を見ながら、花火はよくやりました。

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