2016年10月8日土曜日

夫の両親の敷物

小さな敷物が、あまりうまく活かせません。
もっとも、テーブルクロスのような大きな敷物も、日常的にはうまく使えません。ついつい、食卓は「敷物なし」か、食事時のピースマットで過ごすことになります。
刺繍や織物の敷物は、まめに埃を払えばいいのですが長続きせず、かといって洗うわけにもいかずと持て余して、そのうち取り払ってしまうことになります。
繊細なレースの敷物とは、なおのことうまくつき合えません。

その点、夫の両親は上手に敷物を使っていました。
何点かは今我が家にありますが、うまく使えているとは言えないものもあります。


この小さな敷物は、夫の兄がキャンサスにいるとき訪ねた両親が買って来たもの、お土産物ですが、アメリカ先住民の綴れ織りです。
色のバランスも良くて大好きなのですが、何か置けば模様が隠れるし、これだけ置くというのもうまくいかず、今では展示室でままごと道具の敷物になってしまっています。


山葡萄の敷物です。
夫の両親は、この上には、私たちがガーナから持ち帰った、ビーズの首飾りをしたアシャンティーの土人形を飾っていました。
土人形は、割れたのを接着していましたが、長年のうちに粉々に崩れてしまって、いまはもうありません。


山葡萄の敷物は、厚みがなくて、何を乗せても安定感のある、使いやすいものです。


竹の皮の敷物、これは、すっきりした家に合いそうですが、我が家のようにごちゃごちゃしていると、なかなかうまく使えません。

ブログ、「竹虎四代目がゆく!」より

西上州竹皮編みは、1933年から日本に滞在したドイツの建築家ブルーノ・タウトが、竹の皮で編んだわらじを見て、他のものもつくれないかと籠などをつくることを推奨したものだそうです。ピークの1960年頃には400人以上いた職人さんですが廃れてしまいました。
25年ほど前に、竹皮編みの魅力に取り憑かれた前島美江さんが、古い職人さんたちを訪ね歩いて教えを請い、昔の資料をひも解き、最初の道具から復活させて、現在もつくっていらっしゃいます。


これは、もちろん職人さんがたくさんいらっしゃった頃のものです。


山葡萄の敷物は、玄関の棚の上で使っています。


そして、竹皮編みは、玄関ホールの片隅で使っています。


どちらかと言えば、あってもなくてもいいような使い方、あるので仕方なく使っているような使い方ですが、これ以上どうやったらうまく活かせるのでしょうね。




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