来ていた息子が訊きました。
「呉のあたりの戦争の漫画読みたい?」
「読みたくない」
「岡山の近くだよ」
「過去の戦争の話はいいわ。シリアの戦況なんか書いた現代のものだったら読むけどね」
しばらくして、息子がスマホを差し出しました。そこに映し出されているのは、とってもかわいらしい絵でした。
「あらっ、かわいい絵ね」
「そうだろう」
「ふうん」
「読む?」
「kindle版は読まないよ」
「おれが本を注文するよ」
届いてみたら、『この世界の片隅に』(こうの史代著、双葉社)でした。
これが、アニメになって、いま大ヒットしているくらいは、私も知っていました。
「アニメは観たの?」
「ああ、見たよ」
「よかった?」
「うん」
上中下三巻、あっという間に読み終わりました。
『この世界の片隅に』を観て、誰もが感想として言っていることですが、戦争中だからと言って、悲壮がったりしないで、淡々と過ごしていた日常が、淡々と描かれています。
私は、直接戦争は知りませんが、戦後の生活なら、少し知っています。家族が欠けてしまった人がたくさんいたし、復員してきて、家族で家と言われないような家に住んでいた人もいた、でもみんな、この漫画のように淡々と過ごしていたように記憶しています。
この漫画は、隅から隅まで、美しいのですが、よくみると面白い発見もたくさんあります。
例えば、主人公すずさんの夫の姉の径子さん。夫を病気で亡くして、当時の常として、家の跡継ぎの息子は婚家に残し、実家に帰っています。
この小さな絵には、説明として、着物や風呂敷に姑とかヤモメとか書いているとして、
大きな絵の径子さんも、「小姑」という字の絣模様の着物を着ていたりします。
径子さんも、紋切り型にすずさんをいじめたりしません。
また、すずさんの兄は乱暴者で「鬼いちゃん」と呼ばれていましたが、戦死しました。
そして、戦死しても絵の得意なすずさんに、はちゃめちゃな漫画にされたりしています。
著者のこうの史代さんは、1968年生まれ、ということは息子と同年代です。
そんなに若くして、戦争の話がよく描けた、しかも、隣組が見張って、憲兵が威張って、悲壮に生きたという、いわば紋切り型の戦争話が定着しきっているなかで、よく描いてくれたと感謝したい気持ちです。
さすが春さんですね、
返信削除国が一定の方向に向くときは、
「好むと好まざるに関わらず」突っ走ります
この比喩も使い古くなりましたね。(笑い)
「所謂国策に沿った、、、、」
最近この言葉を二、三回聞いて実は驚いた次第です。
不自由もあたりまえ、召集されるのも当たり前
開戦から17年前半までは「勝った勝った」ですが、
それ以降は淡々と、、、
そういう意味では向田さんのドラマは好きで
気負ったところがありませんでしたね。
私の独断と偏見です。
昭ちゃん
返信削除世の中には定型ができていきます。所詮、朝ドラなどはその典型でしょうか。いつも、わからずやの組合長とか出てくるし(笑)。
昭ちゃんは漫画なんて読むのがかったるいと思うでしょうが、お助け何号かに買ってきてもらって読んでみて!なるほどと納得されると思います。
だらだらとした日常があり、その中に笑いも喜びも、涙も悲しみもあるのですが、そんなもんだったと思います。