こんこんギャラリーでの、陶芸家の高橋協子さんの「きつねづくし展」の最終日、毎年恒例のことぶきゆめこさんの「きつねの民話語り」がありました。
こんこんギャラリーの名前の由来は、その昔、狐がたくさん住んでいた「狐塚」にちなむものですから、まさにきつね尽くしのひとときでした。
ことぶきゆめこさんとは語り部をするときの名前で、本職は陶芸家さん。陶芸家としてのご活躍に加え、十芸家(とおげいか)として、ときにはボサノバのボーカルとして、ときには民話の語り部としても活躍されています。
お話はいくつもありましたが、おもには茨城のきつねの民話で、広島のきつねのお話もありました。
高橋さんもことぶきさんも、並々ならぬきつねへの思い入れを持っていらっしゃって、面白い面白い。 お稲荷さん巡りをしてみたくなるほどでした。
後ろの壁に貼ってある「欲のない甚二郎」は、甚二郎がどう村の人たちの生活向上に尽くしたかというお話でしたが、その甚二郎とは、高橋さんが民話の世界に興味を持つきっかけとなった、那珂市に伝わる『那珂の四匹のきつね』の中の、次男狐の名前です。
『那珂の四匹のきつね』は以下のようなお話です。
旧瓜連町の静神社の近くの山に、きつねの四兄弟が住んでいました。
四兄弟は、
「世の中には人間に悪さをするきつねがいるそうだ。せめてもの罪滅ぼしに、自分たちは人間を手助けしてやろう」
と話し合い、長男の源太郎狐が瓜連、次男の甚二郎狐が本米崎(現那珂市)、三男の紋三郎狐が笠間、四男の四郎介狐が那珂湊(現ひたちなか市)に住み着き、それぞれ、人間に田畑の耕作などの知恵を授けました。
現在、三男の紋三郎が祀られた笠間稲荷は、全国有数の稲荷神社として参拝客も絶えません。
長男の源太郎と四男の四郎介を祀るお稲荷さんも、そこそこ立派なものですが、二男の甚二郎が祀られている本米崎の稲荷神社は、地元の人以外は訪れる人もなく、ちょっとさびれ気味でした。
那珂市の写真から |
それを寂しく思われた高橋さんは、自作のきつねを甚二郎稲荷に奉納されています。
お話の最後は、筑波山のガマの油売りの話でした。
「一枚が二枚に、二枚が四枚に、四枚が八枚に.....」
の口上の後、紙吹雪が舞いました。
満員のお客さんは大満足でした。
友人が朗読サークルなので
返信削除見学バスツアーのときは原稿を読んでくれました。
基礎から勉強しているので発音が綺麗で
聴きやすいですね。
この写真も様子が想像できます。
昭ちゃん
返信削除とっても引き込まれて、お上手でした。
ただ、広島のきつねの漁師さんの言葉が...。
きつねは広島弁を喋っていたのですが、漁師さんは、なんか時代劇に出てくるような言葉をしゃべっていました(笑)。「漁師さんも広島弁をしゃべらにゃ、おえりゃぁせんが」
茨城のきつねや登場人物たちは茨城弁を喋っていましたが、もう少し、方言のくせが強くてもいいような気もしました。
それにしても、お国言葉は消えてしまいましたね。
外国の話に出てくるキツネは徹底的に悪者なのに、日本のお話では悪い奴なんだけどちょっといいところもある存在ですよね。この違いはなんでしょうね?
返信削除語りの方の着物が1枚目と2枚目の写真で違ってますね。話の内容によって着替えられたのでしょうか?
hiyocoさん
返信削除日本では江戸時代に普通の家で鶏を飼ったりしていなかったのかしら?きつねによる実害が少なくて、時折顔を見せていたりしたら、割と憎み切れないですよね。
稲荷(稲生り=米作りの神様)と深い関係があるというのは、ネズミを捕ったりした?いずれにしても古くから信仰されていたようです。
八郷ではきつねを見たという人がいるので、見たいと思いながら、一度も出逢ったことがありません。タヌキは見るんですけどね。
着物は、私も最初は別物と見ていて、やがてただ裏返しただけと気づきました(笑)。最初、たもとの袖裏がちらっと見えていて、それが華やかな模様布だったので結びつきました。よく見ると、着替えたあとの袖口に、大きく表布を貼っているのがわかります。
話す前も、着物地の半纏を着ていらしたので、着物が何枚もあるのかと思ってしまいました。