窓枠を、やっと取りつけました。
まず、正方形の窓を蝶番でとめて、ストッパーをつけ、そのあと細長い窓をつけます。
はめた時は素通しか、ガラスが入っているのか全く分からないほどだった真ん中の嵌め殺しのガラス、前日の雨で中も外も曇っってしまい、やっと存在感を見せることができました。
さて、気密性のある空間をつくるのは、なかなか難しそうです。
母屋には、気密性の高い、アイランドプロファイルの木サッシを使いましたが、自分でつくるとなると、窓の合わせ目の下の端から、ちらっと外が見えたりしています。
それでも、生まれて初めてつくった窓、なんとかなって、よかったなぁ。
子供の頃物干しに上がるガラス戸には
返信削除木製の雨戸が入っていました。
寝ながら見ると木目の節から射す陽が洗濯物の揺れる様子を
ガラスに写しています。
ピンボールカメラの原理ですね、
遠いセピァ色の思い出です。
昭ちゃん
返信削除知ってますよぉ!逆さに見えるんでしょう?
病気で学校を休んだ時など、開け残した縁側の雨戸の穴からの光が、障子に景色を映し出していました。
天井の板の模様が人の顔に見えたり、怖くて開けられない押入れがあったり、昔の家は面白かったですね(^^♪
春姐さん
返信削除家内の実家は山の中なので電気がきたのが昭和17年頃だったそうで
それまで使用していたランプが我が家にあります。
幅広い芯は残っていますがもう回しても上がりません
見るたびに子規の随筆「ランプの影」を思い出します。
私も百日咳で寝たときは天井の節目を見ていました。
そんな時代をㇷと思いだしますね。
昭ちゃん
返信削除私の育った家も、小さいころはお風呂場はランプでした。ほやがすぐ曇って、火がちろちろしていました。
長じてから、仕事でタイ、ラオス、エチオピアなどの田舎に行くことが多く、どこでもランプや灯明を使いましたが、私が小さい頃のランプより明るかったですね。
タイは長い間隣接するラオス、カンボジア、ビルマと国交がありませんでした。そのため、共産化を恐れて国境の村々には電気が早くに引かれましたが、国境から遠い内陸の村にはありませんでした(笑)。90年代になってから電気が引かれた村もいっぱいありました。
とってもよい経験でした。