2017年7月11日火曜日

いなせだねぇ


しばらく前のことですが、骨董市で、みずやさんが火消装束を持っていました。
すごい!
こんな状態のいい火消装束はめったに見られないので、写真を撮らしてもらいました。


「いつまで使っていたんでしょうね?」
「明治じゃないかな」
これって、火消さんは、江戸時代と同じように、類焼を防ぐために、鳶口を持って、屋根に立ったんでしょうか?
こんな厚手の着物をどっぷり濡らして着れば、たしかに火の粉が降りかかっても、大丈夫そうです。



火消装束には刺し子のものも多くありますが、これは織りものでした。



緯糸(よこいと)が、とっても太い、裂き織りのような織り方です。
あれっ、しまった。後ろがまた素敵だったのに、写真撮るのを忘れました。 





4 件のコメント:

  1. 家内の父がもっていたので昭和一桁戦前まで
    「飯塚幸袋消防団小頭」
    現場では着ていませんが、出初式などの行事写真には
     但し上下のみですがかっこいいですよ。

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  2. 昭ちゃん
    これも実際の火事を経験していない装束でしょう。そうか、出初式なんかに来たのかもしれませんね。かっこいいですよね(^^♪
    この辺りの集落でも、全戸が焼ける大火があったようだし、先日行った飯田でも大火があったようでした。昔は火事は本当に怖いものでした。

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  3. ドラマでは燃え盛る中を逃げまわりますが
    熱風で消火どころではありません。
    火の粉は雨の様に降り庇がらくるっと屋根裏に吸い込まれます。
    熱風に吹かれると顔の出ている部分が焼けペロリと
    皮がむけます。
    (空襲体験記です)

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  4. 昭ちゃん
    はぁ、空襲はやり切れませんでしたね。
    私はわりと頻繁に木の枝を燃やしたりしますが、大きくなった火は遠くからでも顔が熱く、風下なんて行けない時があります。焚火でそうですから、四方八方から火の手が上がったら、手の尽くしようがありません。
    タイの山焼きの火が広がり過ぎて、木の枝で叩き消したことが、何回かありましたね。そんなときは人数頼みでした。

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