ふぢこさんから、ブラジル土産のカエルをいただきました。
「これは、世界一硬いと言われている種で、名前はカスターニャ・ジャラーナというの。先住民の人たちが彫ったものよ」
カスターニャ・ジャラーナは、調べてみたら、ゾウゲヤシ(Phytelephas macrocarpa Ruiz et Pavon)でした。
胚乳(はいにゅう)が硬い角質をなしていて、胚乳の表面を磨くと中は象牙色に光るため、ゾウゲヤシと呼ばれています。
そんなゾウゲヤシの胚乳を利用して、カエルの台は小さめの種を使って表面の色を残し、カエルは大きめの種を使って表面を削り落とし、ほとんど白く(象げ色に)仕上げてあります。
カエルの、ところどころ黒い模様は、胚乳の表皮が残ったものだとわかるのですが、この目はどうでしょう?
矯めつ眇めつしても、貼りつけたようには見えない、削り出したように見えるけど、こんなにきれいに削り出すことができるでしょうか?
台に、一か所、目にしたらちょうどいいような小さな突起がありました。
もし、カエルの目にしやすい、突起が二つ並んである種をわざわざ探して、それを活かしたとしたらすごい!
そんなゾウゲヤシ細工でした。
私はその昔、タイで三年暮らした後、タイについて何も知らずに帰ってきたとの思いから、四十の手習いで大学に入りなおし、勉強したことがありました。
地域研究科という、ヴェトナム戦争時代に敵を知るためにアメリカでできた若い学問ですが、手っ取り早く言えば、文化人類学、あるいは民族学にもう少しあれこれつけ足したようなものでした。
研修生として一年、入学してからは現地調査のための休学も含めて三年、合計で四年在学していましたが、学校ですから、タイ研究だけでなく、たくさんの授業を履修しなくてはなりませんでした。
その中に、「熱帯作物栽培」という授業があり、先生は日系ブラジル人の宮坂四郎先生でした。
毎週、作物の性質や育て方をコピーした資料を配布してくれた中に、マンジョカ、コーヒー、ゴムなどブラジルを代表するような作物はもちろん、インガなどの有用なマメ科の植物や、ゾウゲヤシ、ババスヤシなどのヤシ類もあり、授業日が待たれるような、面白い授業の日々でした。
宮坂先生とは、卒業後も、アマゾンの森林保護の集会などで偶然お会いしたことが、二度ほどありましたが、それもずいぶん前のこと、これを書こうとネットで調べて、先生が偉大な農学家で、「ブラジルの大豆の父」と呼ばれていたこと、今年の7月にブラジルでお亡くなりになったことなど、初めて知りました。
さて、このゾウゲヤシ細工は、素敵な包装籠に入れてありました。
「前は、こんなにおしゃれじゃなかったんだけど」
とは、以前ブラジルで暮らしていらっしゃったふぢこさんの弁。
巻き編みの、巻いている材料は、ヤシの葉柄を裂いたものか、ラタンの一種と思われますが、気になるのは芯材です。
細い縫い針くらいの太さで真っ黒、いったい何でしょう?
アマゾンの森に行ったことがないので、見当もつきません。
この芯材は、底から縁まで継ぎ足してないようにも見えます。うまく継ぎ足しているのかもしれませんが、もし継ぎ足していないとすると、かなり長いものです。
容器と蓋をつないでいるのは、巻いている材料と同じですが、留め具の紐の材料は違うもののようです。それとも、同じ材料を叩いて、繊維にしたのかもしれません。
そして、留め具の玉は、やはりゾウゲヤシのようでした。
カエルを包んでいたのは麻布。
とってもおしゃれな、素敵なお土産でした。
オー、素敵なお土産ですねー。
返信削除ゾウゲヤシというのも初めて聞きましたが、ボタンになったりもしてるのですね。そんな固い種、芽が出るのも大変でしょうね…。細工も大変でしょうけど。
それにしてもカエルというのは全世界で愛される生き物ですね。カエルが沢山のびのびと暮らせる環境がいつまでも続くといいのですが…。
karatさん
返信削除ヤシは世界中で人間と密接にかかわっていて、いろいろ役に立っていますね。
胚乳が硬いと、芽が出るのが大変かな?そのあたりはよくわかりません。ただ、どんな種も芽を出すとき、一番力を使うそうです。
そうですね。カエルは愛されていますね。そして、とても親しまれているわりに、ペットとして飼われたりしないで自然界にいます。だから、カエルが住みやすい世界が続くことは、ほかの生物たちにとっても住みやすいことのつながるのかと、私も思います。
カエルくんもですが、ゾウゲヤシそのものも素敵ですね!Taguaで検索したらいろんなカービングが出てきて、工芸品やお土産、ボタンなどいろいろ象牙の代用品として活用されて興味深かったです。入れ物も素敵。シダとかそんな感じですか?籠に詳しい春さんがわからないなんて~(笑)。でもいつか判明するのが楽しみですね。
返信削除春さん、すごい!40歳過ぎてからまた大学へ行ったんですね!高校の次の大学と、一旦社会に出てからの大学では全然違って、後者の方が断然楽しそう!いい先生に出会われたんですねー。
hiyocoさん
返信削除そうそう、タグアで習いました。ヤシも、そして草(じゃない気がするけど)も面白いですね。
大学院は、ゼミも面白かったけど、ネットのない時代に、資料となる本が芋づる式に出てきて、先生に貸してもらったりして読めて、楽しかったです(^^♪「私らの時代は書き写した」と言われながら、コピーしました。
「熱帯作物」や「比較植物学」といった宮坂先生の授業は学部生も履修できるのですが、農学部の学生たち、先生が甘いので単位を取るのが簡単という理由だけで来ていたようで、たった10人くらいしか受けてないのに、おおっぴらに机に突っ伏して寝ているのが、いつも7人ぐらいいるという感じで(笑)、もったいないなぁと思っていました。自分で知りたいと思って勉強するのは、確かに楽しいです。
ただ、分野が分野で仕方なかったのですが、外国語は二か国語以上、けっこうたくさんのコマを取らなくてはなりませんでした。研修生の時と一年生の時はタイ人の先生がいたのでよかったのですが、二年生になったらタイ人の先生は帰って、取りたい言語がない。消去法でヒンディーを取りましたが、先生一人の生徒一人、インドの中学校の教科書を文法的に解説する宿題が毎週出て、もう何しに学校に行っているかわからないほど、ヒンディーの宿題に時間を取られました。せめて、ベンガル語にすればよかった、そちらも同じ先生で生徒一人だったのです(笑)。ヒンディーは一言も覚えてないし、今では全く読めません(笑)。