2017年9月26日火曜日

ピッタインダウン

ビルマに、「ピッタインダウン」と呼ばれるだるまの張り子があることは、まったく知りませんでした。
ピッタインダウンとは、転んでも起きる、つまり起き上りこぼしのことです。

「パステル☆ミャンマー」より
ピッタインダウンは、ネット検索をしてみると、ビルマの巷にあふれているようです。
張り子のものだけでなく、木彫りのものも多く、セメントでできているのか、街角にも立っています。

もし、私がビルマに行った1981年にピッタインダウンがあったなら、嫌でも目についたことでしょう。こと、おもちゃなどには目ざとい私が、見逃すとは考えられません。
ということは、比較的新しいもので、36年前にはなかったものと思われます。

「トラ猫6兄弟の日常」より
ピッタインダウンの顔は、様々です。


でも、全体は赤くて、赤い口やマツゲが特徴のようです。
そして、日本でさえ、手に入るようです。


さて、私が、ラングーンのお寺で、初めて見た張り子は、フクロウでした。
張り子は、日本だけでなく、中国、タイ、インド、メキシコなどでつくられています。お祭りなどで使う「張りぼて」ということだったら、もっと多くの地域にあるかもしれません。

ビルマのお隣のタイの張り子は、主には芝居(リケー)のかつらやお面です。
お面はラーマヤーナーの物語のハヌマンなどですから、張り子の技法もインドからもたらされたものかもしれません。タイには、中国オリジンの張り子もあります。

ビルマに行ったとき、張り子があることは予期していなかったので、フクロウとの出逢いはとても嬉しいものでした。
しかし、この幸せを呼ぶというフクロウたちは、北のマンダレーのお寺で、もっと素朴でもっと素敵な動物女の子に出逢って有頂天になった私からは、ビルマを去るころにはすでに、二番手待遇を受けるようになっていました。


ピッタインダウンの木の型です。使い込まれて、いい味を出しています。
張り子をつくるには、まず木型に濡らした紙を貼り、その上に、幾重にか、糊をつけた紙を貼っていきます。


紙がすっかり乾いたら、この切込みに沿ってナイフを入れ、型を取り出します。


くびれより下の部分には、粘土などの錘となるものを入れます。
切り口をぴったり合わせ、仕上げの紙を貼って絵つけしたら、ピッタインダウンの完成です。


型は、とても格調高いもので、上の写真のような絵つけがなかなか想像できません。


ピッタインダウンの木型が売られてしまったということは、張り子より木彫りなどのピッタインダウンの方が、最近では主流になってきたからでしょうか?
それとも、たまたまだったのでしょうか?

「パステル☆ミャンマー」より

こんなのまであるようです。

だるまづくりの動画は、高崎だるまのつくり方ですが、張り子のつくり方はどこも似通ったもの、何度見ても面白いです。








2 件のコメント:

  1. ミャンマー(って呼んでいいですか?春さんは敢えてビルマと書いている気がするのですが)の人形の顔ってどれもくっきりはっきりなんですね!リンク先の張り子の人形はメキシコとか南米のものかと思ってしまいました。日本のこけしなどの顔とは全然違ってびっくり。

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  2. hiyocoさん
    ごめん!コメントもらったのに気がつかなかった。
    ずっと昔、ビルマの民主化の集会をやっていたころ、「ミャンマーというのはビルマ族の言葉で、ほかの民族グループにとってはビルマの方がまだまし、ビルマと呼んでくれ」と言われて、あのころかかわった人たちはみんなビルマと呼んでいます。アウンサンスーチーも、来日した時「ビルマ」と呼んでいましたね。新聞がどう書くか興味津々だったけど、いろいろでした(笑)。
    ビルマにはビルマ族のほかにいろいろな民族がいて、しかも少数民族とは言えないくらいに数も拮抗していて、イギリスの植民地政策に踊らされていがみ合った(合わされた)という悲しい歴史があります。今話題のロヒンギャも、かつては金でほかの民族をいじめたとか複雑で、ほかの人たちの恨みは深く、一概に人権侵害とも片づけられない過去があります。
    民主化運動も、何度も盛り上がったのですが、必ず最後のところで腰砕けになり、そのうち、「どうせ今回もダメだろう」と傍観するようになりました(笑)。
    私も、日本に来ているビルマの人に会うことは、たまにありますが、なにせ鎖国時代に行ったきりなので、現状は知りません。
    当時、お寺で出逢った張り子には、びっくりしました。欲張って買って、かばんには入らないので手にぶら下げて、意気揚々とタイに戻ってきましたよ(笑)。

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