最初見たときは、ブロンズの鋳物に見えました。
てかてか光っているし、ずっしりと重いのです。
ところが、お尻には「備前」と銘がありました。 備前となれば、土です。
首の後ろには、あれっ?瀬戸の磁器の猫の約束事の、くぼみがあります。そういえば、なんとなく瀬戸の猫に似ています。
並べてみました。
瀬戸の招き猫から型を取ってつくったものかと思いましたが、土は焼いたら縮みます。この備前の猫は、瀬戸の猫の定番と同じ大きさですから、一回り大きくつくった原型(雄型)を元にして雌型をつくり、型抜きしてつくったものでした。
瀬戸の猫は磁器、備前の猫は陶器という違いがありますが、瀬戸の猫が、250から280グラムなのに対して、備前の猫は、750グラム、約三倍もの重さがあります。
瀬戸の猫も、備前の猫も、つくり方は同じでしょう。身体と頭は前後二つに割れる雌型(めがた)に伸ばした生地を貼りつけて乾燥させ、それを型からはずして貼り合わせたものなので、中は空洞ですが、それに挙げた手を別につくり、くっつけて焼きます。
備前焼きは、ほかの産地の陶器のように、素焼きをしてから釉薬をかけて本焼きをするのではなく、釉薬を使わないでいきなり本焼きする、「焼き締め」という方法でつくります。
長時間、ときには一週間も、薪で窯焚きします。もしかしたらこの挙げた手が、ちょっとお辞儀しているのは、窯の中で傾いてしまったのかもしれません。
普通、陶器や磁器で招き猫をつくるときは、底はまったく閉じてなかったり、大きな穴が開いている状態で焼きますが、備前の猫は底が閉じてあって、底と首後ろのくぼみに二つ、小さな穴が開いているだけです。
尻尾のつくりも、焼いてから彩色する瀬戸の猫と、彩色しない備前の猫では、形が違います。
お顔も、色を塗る予定がないためか、瀬戸の猫より丁寧につくってあります。
瀬戸の猫に比べると、頬はふっくらとしています。
どうして、備前で招き猫をつくったのでしょう?
私が子どものころまで、いんべやき(=備前焼)はただの実用品でしたから、岡山あたりではたいていどの家にも、一つや二つはあったと思います。祖母の家にも、花びんやすり鉢などありました。
招き猫はそんな、時代につくられたものでしょうか?
そんな実用陶器を、芸術品にまで高めたのは、金重陶陽さん(1896-1967年)たちでした。
岡山県備前市あたりでは、古墳時代から窯が焼かれました。
平安時代まで須恵器でしたが、鎌倉時代初期には、還元焔焼成による焼き締めが行われるようになり、鎌倉時代後期には、現在と同じ、酸化焔焼成による陶器が焼かれるようになりました。
堅牢なので評判がよく、水がめやすり鉢などの実用品をつくっていましたが、室町時代になると茶道が発展し、茶陶としての人気が高まりました。
ところが江戸時代に入ると茶道は衰退して、再び、水がめ、すり鉢、酒徳利など、実用品の生産に戻りました。それを、昭和に入ってから、金重陶陽さんらが桃山陶への回帰をはかって、備前焼の人気を復興させたのです。
学生時代に備前に行ったとき、金重陶陽さん、藤原啓さん(1899-1983年)、藤原雄(1932-2001年)さんなどにお会いしました。
陶陽さんが、電気轆轤も蹴轆轤も使わず、お連れ合いが轆轤に空いた穴に棒を突っ込んで回すのに合わせて作陶していらしたのが、印象的でした。
啓さんは、自分でつくった豪華な大皿にご馳走を並べて、豪放磊落にお酒を飲んでいらした印象しか残っていません。
そんな、どちらも後に人間国宝になられた、対照的なお二人でした。
備前の猫さん可愛いですねぇ…。ひげとか描いてないせいか、人間の人形のようにも見え、何か言いたそうな口元ですね。
返信削除そしてまたしても、たくさんある招き猫の奥の棚の、耳の赤が目立つ猫さんに目が行きますが、これって犬箱の犬にも見えて、玩具の犬と猫の境目って微妙だなと思いました。
karatさん
返信削除マトリョーシカも奥が深いけれど、招き猫も奥が深いです。
耳の赤が目立つ猫は、三河系の復刻猫です。確かに三河系は犬っぽい。そして、犬張り子犬は猫っぽいです。昔の人が犬と猫の間に引いた線は、どんな線だったのでしょう?郷土玩具系の土人形にも、猫だか犬だかわからないのが、かなりいます。
まぁ、猫好きの人は猫と思って、犬好きの人は犬と思えば、八方幸せに収まりますが(笑)。