2019年1月31日木曜日

日向ぼっこの古い墓

まさかと思うようなものにも、流行があります。
どのくらい前になるのかバブル期に、お墓の立て替えが全国的にはやったときがあったようでした。
八郷から山を越えたところにある石の町真壁は、日本全国からの注文で、笑いが止まらないほどもうかったと言います。

さて、みんながこぞって「○○家の墓」というものを導入したとき、それまでの特に古いお墓は、たいてい墓地の片隅にまとめて置かれました。


新しいお墓は機械で磨いたからかいつまでもつるっつる、角ばって冷たい印象ですが、


古いお墓はどれも丸っこくて、風雨に削られて、かわいらしく年を取っています。



古いお墓たちは、今も仲良く道行く人たちを眺めています。
と言っても、昔ほど人を見かけないのがちょっと寂しいところです。
子どもの遊びまわる声は聞こえないし、せいぜい犬を散歩させる人と、健康のために歩く人くらいで、田んぼの草を取る人などは、お墓たちは、絶えて久しく見たことがありません。







6 件のコメント:

  1.  檀家として代々繋がっている時代は終わり
    今の納骨堂も身内がいるうちは、、、、
    お寺も一ヶ所に「無縁塚」そして処分ですね。
    江戸時代から(どこでもしょううが、、) 
     子供の頃遊んだ空き地の階段が戦後の開発で
    全部墓石だったことが判明しました。

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  2. 昭ちゃん
    げぇぇ!戦後の開発って、当時は物のない時代、もう手近にあったものは、墓石でも何でも使ったのですね。
    階段の墓石たちは子供たちがにぎやかに遊ぶところを見て、楽しかったかも。

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  3. 江戸時代から寺社の多い麻布・現港区は
    地図を見ても敷地の広さがよくわかります。
    都市高速の基礎工事で人骨や什器が大量に出て
    工事の方が持ち帰ったとか、
     骨類は改修するまで放置されたので怪談話も
    多く聞きました。
    (田園調布に越した幼馴染みの話)
    怖い話好きっ!!

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  4. 昭ちゃん
    そんな話はいっぱいあったでしょうね。
    これまでこの狭い島にたくさんの人が住んだのだから、そして昔は土葬だったのだから、屍が積み重なって、立錐の余地もないくらいになっているはずです(笑)。
    タイ人は古くから火葬でお墓を持ちませんが(骨はお寺に預ける)、中国人は1980年ごろまで土葬でした。タイにいる中国系の人たちもお墓に大きなスペースを使うので、「こんなことをしていると生きている人の居場所がなくなる」とタイ人が文句を言っていたのを思い出します。
    また、ずいぶん前のことですが、ソウルの南斜面の一等地がお墓で占められていて、開発のネックになっていると言われていました。
    余談ですが、韓国の土饅頭が好きです(笑)。車窓から見るのも好きだし、あれなら庭にポコポコあっても、共存できると思います。
    また、カンボジア人なら、中古住宅を買ってその庭に中国系のお墓(けっこう大きい)がついてきたら、前の住民同様、きちんと尊重しながら暮らします。そんな友人がいました。懐が広いですね。

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  5. 春姐さん 「高取焼」アップしました。
    大正時代とか、、、、

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  6. 昭ちゃん
    ブログに訪問します。私が訪ねたときは高取静山さんは、女性でした。

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