2019年4月5日金曜日

織り機を整える

織り機を、新しい部屋に設置して早3か月、長く放置してあったため傷んだ紐を取り換えようと思いながら、なかなかできません。


織りもの用には、今は脱着と長さの調節が簡単なテープがあるようですが、木綿紐でも微調節が可能なので、昔ながらの木綿紐を使うことにしました。
 

幸い、以前使っていたのと同じ太さの紐が手に入りました。
 

古い紐を取り外して、同じ長さの新しい紐を用意します。


紐は、切り端から解けてこないように、蝋引きをします。
蚊取り線香の空き缶を鍋にして、燈明用のろうそくを溶かしました。中に沈んでいるのはろうそくの芯です。


木綿紐の端から10センチ強ほど、溶けた蝋に浸しては乾かします。


これで紐は、端から解けて来ません。


ただ、蝋で太くなった分、小さい穴を通すのに四苦八苦しました。


端を結んで使う紐は、蝋引きの必要がありません。


ヘアピンを使って穴を通し、


結んで出来上がりです。


さて、織り機の上の方はずいぶん前に、新しい紐と交換し終わっています。
それでも下の方、綜絖(そうこう)と足(踏み木)を結ぶあたりは、なかなか手がつきません。

というのも、長く織り機を分解してしまったままだったので、紐の結び方を忘れてしまっているのです。
幸い、近所に羊毛での手織りを生業としているKさんが住んでいるので、綜絖と足とのつなげ方を訊いてみました。
ところが、Kさんの織り機と私の織り機は、構造が違っていました。Kさんにコピーさせていただいた、「織りものの基礎」によれば、私の織り機は「天秤式手織り機」というものでした。
天秤式織り機は北欧で発達してきたもので、日本にはもともとはありませんでした。戦後、織り機など道具の輸入は規制されていましたが、1961年になってやっと試験的にフィンランドの織り機を輸入されることが許可され、数台輸入されたのが、天秤式織り機の日本上陸の第一歩でした。

前も書きましたが、1960年代には、織りものを教えてくれる場所は倉敷の日本民藝館くらいしかなくて、しかも全寮制でした。
そして、着物地を織るなら、織り元に織子として入る以外、道はありませんでした。
1970年代に入ると、スウェーデンやフィンランドに織りもの留学した人たちが帰国して、ぽつぽつと織りものの教室を開くようになっていましたが、ごく限られていました。
そして、手織りを習いたいと思っていた私が、友だちに紹介してもらった先生がノルウェーに織り物留学されていたF先生だったのです。
1973年に、私はノルウェーの織り機を輸入していただくことができました。


私の織り機に足は8本ついていましたが、ずっと4本しか使っていなかった形跡があります。
Kさんは、足を6本にして、両側で平織りを織り、真ん中で模様を織ったらいいと勧めてくれました。


そして、Kさんにコピーさせていただいた冊子には、全部は使わなくても綜絖を8枚垂らしておいて、踏み木も8本使うようにとの図説がついています。
私は4枚しか綜絖を垂らしていません。


一体どうすればいいのか、私の頭は超混乱しています。
昔のメモも残っているのですが、メモには、

手前(の綜絖)から、
綜絖→上横木→足
上 →下横木→足
の繰り返し、と書いてあるだけでした。

どうすれば、よかっぺか?







4 件のコメント:

  1. 綿の紐は蝋で固めるのですね。ポリエステルやアクリルのテープはよく火で炙って解けないようにしていますが。
    機織機再生の道はなかなか大変そうですね。みんな北欧に織りもの留学に行っていたということは、織りもの技術は北欧が進んでいたということでしょうか?

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  2. hiyocoさん
    そうそう、火であぶって玉にしましたね。
    「蝋引き」という言葉はありますから、日本でもやっていたかもしれない、端がほどけないだけでなく、強くなるような気もします。あと、木綿糸は伸縮幅が大きいのですが、それも軽減されます。
    織り機を織れるようにするのは大変です(笑)。F先生がいればあっという間ですが、どうしたかなぁ、私と同年代ですが、長年音信不通です。
    当時、北欧に習いに行った人たちがわりといたということは、手織りが残っているところの中で北欧が行きやすかったということでしょう。また手織りを教える学校があったのが、北欧だけだったのかもしれません。
    手織りと言えば、東南アジア諸国にも残っていましたが、1980年代初頭までは東南アジアは危ないところというイメージがあって、あまり誰も行きませんでした。今と大違いです。まぁ、学校はないしね。

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  3. 子供の頃から機織り機や機織りの話を聞くと
    真っ先に思い出すことがあります。
    まだ星博士の野尻さんがプラネタリウムの解説員時代に
    北極星も僅かに動く話をしてくれて驚いたことがあります。
     毎日夜中まで機織りをしていた女性が「蓮子窓」の桟
    一本分だけ移動した話です。
    動かない代名詞の「北極星」が、、、
    今でも忘れない話です。

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  4. 昭ちゃん
    連子窓なら動いたかどうかわかりやすいですね。
    機織りは、家族の喜ぶ顔が見たいと織るのは苦ではないでしょうけれど、いついつまでにこれだけ織らなくてはならないなどと言われると苦以外の何ものでもないでしょうね。それでも、できたときの達成感はきっとあると思います。
    というか、機織りって、いざ織れるという段階に到達するまでが大変で、織り機に糸を張ったら、気分はもう80%織り上がった感じですよ(笑)。

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