先日は、布団を敷いていたときにゴキブリが間を計ったように現れて、その人はとうとうその部屋に寝るのを拒否、居間に布団を移しました。
階段は踏み板は、ずっと前に必要枚数だけ加工済みですが、わき板は重くて長いので夫が加工すると言います。
しかし夫は、今年は作業するより講演会を開いたりすることにうつつを抜かしていて、ちっとも作業に取り掛からないので、私は階段室を後回しにして、ドアを設置するための下準備に入りました。
作業するときは、ついでに片づけもします。
ガラスをはめるところを片づけていると、40年ほど前にタイで買った紙の傘がありました。
これは、取っておいても使えないでしょう。
開いてみたら、完全なる破れ傘でした。
でも、美しい骨のかがり方。夫が捨てられないのも納得です。
傘の骨は、端でこんな風に曲げてあります。
紙の傘は残念ながら捨てるとして、布の傘もあります。
こちらは、やはり同じ時にチェンマイで買ったもの、布でできているのでまだまだ使えます。
でも、骨の綴り方は、紙の傘ほど素敵ではありません。
タイの傘も日本の傘も、赤いのはなぜでしょうか?
今はどうか知りませんが、ビルマのお坊さまは紙の傘をさして歩いていて、その傘の色も赤です。
おはようございます。
返信削除そういえば花札の小野道風がさしている傘も赤……と思ったら違いました。
赤い傘は観光地ではよく見かけますね。
家にも古い和傘がありましたが柿渋そのままの色でした。開くときのバリバリという音を思い出します。
タイのガイドブックを開くと必ず傘の写真が載っていた気がします。実際に使っていたんでしょうか?
返信削除かねぽんさん
返信削除私が小学校のときは「置き傘」というのがあって、教室の壁の高いところに釘が打ってあって、そこに名前を書いた番傘が人数分(51本)ぶら下がっていました(笑)。高学年になったらなかったような、そのかわり家の人の「お迎え」と言うのがありました。
紙の傘は確かにバリバリと音がして、防水のために塗ってある柿渋が匂いました。差して歩いているときも、傘に雨の当たる音がパリパリとうるさい音を立てました。あれでもっと軽かったら使いやすいのですが重かったです。踊りに使う傘などは軽かったけれど。
hiyocoさん
返信削除1981年にビルマに行ったときは、お坊さまが赤い紙の傘を差しているのをあちこちで見ましたが、タイのお坊さまは、街を歩くときなど、原則傘はさしません。黒い蝙蝠傘を差している方をお見受けすることもありましたが、もちろん托鉢のときは使いません。カンボジアのお坊さまの方が蝙蝠傘を差しているかもしれません。カンボジアにはかつて紙の傘があったかどうか、今はありません。
カンボジアのTシャツには傘を差したお坊さま模様のものがあります(http://koharu2009.blogspot.com/2011/02/blog-post_18.html)。
あの辺りの国は近いのに、戒律もいろいろで、タイが一番厳しいと感じました。カンボジアに行ってお坊さまが畑仕事をしているのを見てびっくりしたことがあります。タイでは土を耕してはいけないし(土の中の虫など殺す可能性があるから)、自分で食べものを育ててもいけないし、口にできるのは人がくれるものだけでした。洪水で橋が流れた山奥のお寺では、橋が架け替えられて村人が食べものを運んでくれるまで、数日、水以外何も口にできないそうです。
カンボジアのお坊さまたちは、ポルポト時代、そんな悠長なことはやっていられなかったのでしょうね。