2019年8月3日土曜日

夫のお土産

天津泥人形は、実はその昔我が家にもありました。夫が仕事で中国に行ったとき、お土産に買ってきてくれたものです。
当時、友人小池頌子さんのお母上、小池千枝さんが故郷の長野県須崎に「世界の民俗人形博物館」を開くという予定があり(あるいはもう開館していたか)、この人形は寄贈しました。
それを、最近頌子さんから収蔵品カタログをいただいて、久しぶりに目にしました。


高さは10センチ余りで、同心居の20センチを超える人形とは迫力が違いますが、それでもリアルな感じはよく似ています。
寄贈した当時はどこでつくられたものか知りませんでしたが、天津泥人形に違いありません。


カタログは、アジア、アフリカなどと大陸別にわかれていて、泥人形の上下、同じページはやはり中国の人形ですが、天津泥人形は、飾らない素敵さを一番漂わせていると感じるのは、私の身びいきでしょうか。


小池千枝さんは、戦争でお連れ合いをなくしています。
そして、生活のために飛び込んだ服飾の世界ですが、ファッションの都だったパリに行きたいと願い、1954年にやっと貨物船の切符を手に入れ(当時は貨物船にも数席あった)パリに行くことになりました。1ドルが360円、千枝さんの月給が数千円だったころのこと、幼い娘二人は、自分の母上に託しました。
船は東南アジア諸国、インド、イランなどを通ってエジプトのカイロに寄港、そのときこの水売りの人形を買ったのが、その後の2700点にも及ぶ人形の最初だったそうです。


千枝さんは、ファッション界の人でしたから、おもにファッション人形を集めていらっしゃいましたが、その後、娘の頌子さんが同行するようになって、民俗的な人形(フォークロア)の収集にも力を入れました。


これがそのカタログです。

さて、夫は仕事でおもにアジア諸国を訪ねまわっていた時代がありましたが、それにしてもよく中国で泥人形を見つけたものでした。
私は、夫の仕事に同行して1981年に一度だけ上海と北京に行ったことがありましたが、見つけたのはせいぜいお土産っぽい京劇の人形くらいでした。


別のときに、夫はこれと同じ土人形も買ってきてくれましたが、残念ながら失われてしまっています。
夫は私と違ってまったくものに集中しない性格で、好みも私とは必ずしも一致しませんが、当時はよく私の好みを理解していたと感心します。
もっとも、夫が買ってきたものを見せたところで、どれもこれも全く覚えてはいません。そんな夫ですから、買ってきてくれた中国の土人形が、我が家に一つも残っていないことなど、気にもしていないのですが。








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