2019年10月の台風19号の水による被害は、日を追って深刻だったことが明らかになっています。
豪雨で川の堤防が壊れる「決壊」が発生したのは、今わかっている範囲で、7つの県の合わせて71河川、128か所に上りました。
豪雨で川の堤防が壊れる「決壊」が発生したのは、今わかっている範囲で、7つの県の合わせて71河川、128か所に上りました。
このほか、川の水が堤防を越える「越水」などで氾濫が発生した河川も、16都県の、延べ265河川にのぼっています。
埼玉県の友人の田畑も、荒川水系の槻川があふれ、何もかも泥に埋もれて、いつ復旧できるかめども立っていません。
19日にラジオの、「久米宏ラジオなんですけど」を聴きました。埼玉県の友人の田畑も、荒川水系の槻川があふれ、何もかも泥に埋もれて、いつ復旧できるかめども立っていません。
その日のゲストは岸由二さん、かつては氾濫河川の常習河川であった鶴見川の流域の治水に、40年にわたってかかわってこられた方でした。
鶴見川は全長約42キロですが、その流域には、40年かかって遊水地と調整池が4900か所も準備され、3000トンもの水が溜められるようになっています。もしそれらがなかったら、今回の台風で降った雨の量だと、鶴見川流域では10万戸が水没したという試算になります。でも、鶴見川は氾濫しませんでした。
ちなみに、調整池とは雨が川に流れ込む前にためて、川に水を入らせないための池で、普段は池の形をとっているほか、テニスコートや公園の形もとっているそうです。
岸さんは、防災を流域で捕らえることを提唱されています。
これは、中国に源を持ち、ビルマ、ラオス、タイ、カンボジア、ヴェトナムの6か国を流れる、全長4800キロメートルの大河メコン川の、下流域の流域図です。
分水嶺が示してあり、これを見ると、メコン川の下流域の水は、東はビルマの山、そしてラオスに降る雨のほぼすべてを集め、タイ東北部の雨、西はヴェトナムの山に降った雨、そしてカンボジアのほぼ全域に降った雨を集めて、ヴェトナムから東シナ海にそそいでいます。
カンボジアを見ると、北はラオスとの国境から、南はヴェトナムとの国境まで、メコン川が国土のほぼ真ん中を貫いているのがわかります。
さて、カンボジアの地図は、世界にはこのような形で知られていますが、もし雨季の盛りにカンボジアの地図を描いたとすると、大きく変わってしまいます。
メコン川の水位は、乾季と雨季では約8メートル違うのですが、カンボジアは言ってみれば河口国、ほぼ平らで、広域に冠水します。
乾季に「線(黒色)」だった川は、雨季には国土の三分の一も覆うような「面(スクリーントーンを貼った灰色のところ)」となってしまいます。
プノンペンは、メコン川と、トンレサップ湖から南東に流れるメコンの支流サップ川が交わるところに位置しています。
プノンペンには3年住んでいたので、毎年楽しみに見ていましたが、川岸に立つと、乾季にはサップ川はトンレサップ湖からメコン川へと流れていますが、雨季になってメコン川の水位が上がってくると、一日ほど水の流れが静止した後、流れは方向を変えて、トンレサップ湖へ、トンレサップ湖へと向かいます。
トンレサップ湖は、メコン川にあふれた水を飲み込む、メコン流域の最大の遊水地なのです。
雨季に飛行機でプノンペンのあたりを上空から見ると、窓の外に見えるのは水ばかり、これで着陸できるかと危ぶむくらいです。
しかし、人は水を上手に避けながら、この緑の帯に見えるあたりに暮らしているのです。
乾季には、ずっと下の方にある川面は、
雨季には、堤防すれすれまで上がってきます。
道が水に浸かり、地方への交通手段はほぼ川しかなくなりますが、さして不自由しません。
プレイヴェンのあたりでは、田んぼへの冠水が2、3週間と短いので、あらかじめ田植えを済ませた稲は、水の下で生き延び、水が引いたら稲はまた成長を続けます。
また、長く冠水する地域では、稲の先が水位に連れて伸びる「浮稲」を植えたり、または水が引いてから田植えしたりすればいいのです。というわけで、カンボジア人が稲を育てる時期は、地域によって様々です。
床下まで水が来る家では、床を割った竹で張っていたりします。
下にひたひたと水が感じられて涼しいし、水が引いた後、建物に湿気もたまりません。
トンレサップ湖は、メコン川最大の遊水地ですが、他にもあちこちに遊水地があり、そんな、乾季には森の、落ち葉が混じって水に栄養があり、流れも緩やかな遊水地で、たくさんの魚が産卵して、次世代に命をつなぎます。
メコン川には、およそ4000種類の魚が生息し、うち1000種類ほどを人々は食べています。大きい魚はメコンオオナマズのように3メートルを超すものもいれば、魚醤(プラホック)にする小さい魚もいます。
先日、スリランカに行っていた人のお話を聞く機会がありましたが、スリランカの市場ではカンボジア産の干し魚を売っていたと聞き、メコンの魚は海外にまで輸出されているのかと、びっくりしたものでした。
カンボジアの市場には、もちろん様々な干し魚を売る店があって、人々は日常的に利用します。
日本では、川はそう長くありませんが、局地的に降る雨が、降った川の流域に氾濫をもたらします。そして誰もが川の流域に住んでいます。
もし、岸さんのおっしゃるように、日本人誰もが川を流域でとらえて、その性質を知り、川とと共に生きる暮らしをするならば、今回のような災害は軽減できるのではないかと思った次第でした。
乾季に「線(黒色)」だった川は、雨季には国土の三分の一も覆うような「面(スクリーントーンを貼った灰色のところ)」となってしまいます。
プノンペンは、メコン川と、トンレサップ湖から南東に流れるメコンの支流サップ川が交わるところに位置しています。
プノンペンには3年住んでいたので、毎年楽しみに見ていましたが、川岸に立つと、乾季にはサップ川はトンレサップ湖からメコン川へと流れていますが、雨季になってメコン川の水位が上がってくると、一日ほど水の流れが静止した後、流れは方向を変えて、トンレサップ湖へ、トンレサップ湖へと向かいます。
トンレサップ湖は、メコン川にあふれた水を飲み込む、メコン流域の最大の遊水地なのです。
雨季に飛行機でプノンペンのあたりを上空から見ると、窓の外に見えるのは水ばかり、これで着陸できるかと危ぶむくらいです。
しかし、人は水を上手に避けながら、この緑の帯に見えるあたりに暮らしているのです。
ボートレースの日 |
乾季には、ずっと下の方にある川面は、
雨季には、堤防すれすれまで上がってきます。
道が水に浸かり、地方への交通手段はほぼ川しかなくなりますが、さして不自由しません。
プレイヴェンのあたりでは、田んぼへの冠水が2、3週間と短いので、あらかじめ田植えを済ませた稲は、水の下で生き延び、水が引いたら稲はまた成長を続けます。
また、長く冠水する地域では、稲の先が水位に連れて伸びる「浮稲」を植えたり、または水が引いてから田植えしたりすればいいのです。というわけで、カンボジア人が稲を育てる時期は、地域によって様々です。
床下まで水が来る家では、床を割った竹で張っていたりします。
下にひたひたと水が感じられて涼しいし、水が引いた後、建物に湿気もたまりません。
トンレサップ湖は、メコン川最大の遊水地ですが、他にもあちこちに遊水地があり、そんな、乾季には森の、落ち葉が混じって水に栄養があり、流れも緩やかな遊水地で、たくさんの魚が産卵して、次世代に命をつなぎます。
プラホックづくりは季節の風物詩 |
メコン川には、およそ4000種類の魚が生息し、うち1000種類ほどを人々は食べています。大きい魚はメコンオオナマズのように3メートルを超すものもいれば、魚醤(プラホック)にする小さい魚もいます。
先日、スリランカに行っていた人のお話を聞く機会がありましたが、スリランカの市場ではカンボジア産の干し魚を売っていたと聞き、メコンの魚は海外にまで輸出されているのかと、びっくりしたものでした。
カンボジアの田舎の小さな市場にも干し魚屋さん |
村の中の何でも屋の燻製の魚 |
もっと小さな店もある |
カンボジアの市場には、もちろん様々な干し魚を売る店があって、人々は日常的に利用します。
日本では、川はそう長くありませんが、局地的に降る雨が、降った川の流域に氾濫をもたらします。そして誰もが川の流域に住んでいます。
もし、岸さんのおっしゃるように、日本人誰もが川を流域でとらえて、その性質を知り、川とと共に生きる暮らしをするならば、今回のような災害は軽減できるのではないかと思った次第でした。
10年近く前に観光で訪れたトンレサップ湖で、遠くまで見渡す限りにぎっしりと並んだ水上の家と、そこで100万人余りの無国籍の人々が生活しているのを目の当たりにして、カルチャーショック(無知ゆえの)を受けました。
返信削除蛇を首に巻き付けながら観光船に近づいてモノを売ろうとする逞しい子供達や泥水の中にもぐって魚を取っている人々の姿にも。
メコン川の遊水池でもあったのですね。
reiさん
返信削除カンボジアの人と漁労は切っても切れない関係にあります。農民なのに季節が来れば漁民にもなる、日本やアフリカのように農業と漁業がはっきり分かれた世界では考えられないくらい、変幻自在です。もちろん、大きな筌なんかも自分でつくりますから、籠屋さんも兼ねていたりします。
無国籍って、戸籍がないということ?いえいえちゃんとみんなカンボジア国籍を持っていると思いますよ。仏教徒はともかく、イスラム教徒はメッカまで巡礼に行くんじゃないかしら(笑)。
プノンペンの上空からの写真をよく見ると、緑の部分にちゃんと家があるのですね!冠水するのはいつものことなので、やり過ごす知恵があるんですね。おおらかに共存しているのがいいですね。
返信削除鶴見川の遊水地の存在はラグビーワールドカップで初めて知りました。岸さんと自治体が長い時間をかけてこの事業を推し進めてきたのですね。今後この仕組みが全国に広がっていくといいなと思います。岸さんが教鞭をとっていた時在籍していたので、存在を知っていれば授業取れたかも(学部が違うから無理かな?)。
今回の台風でみんなの意識が変わったり、過去同じ場所で同じことが起きたこと再認識したのではないでしょうか。台風が多い太平洋に面した火山の国に住んでいることを忘れないようにしないと。バベルの塔のように高い堤防作ったり、自然に対抗する形だけには進まないことを願います。
燻製の一番小さなお店、笑っちゃいました。かわいい!
こんばんは。
返信削除僕は子供の頃、鶴見川の近くに住んでいました。
あの頃はまだ自然が沢山残っていて、周りには田んぼと柿の木の畑がありました。春になると田植え前の田んぼにはレンゲソウが咲き乱れていました。
今ではもう住宅団地や駐車場になっています。
hiyocoさん
返信削除3.11のあと、誰もが原発について真剣に考えるだろうと言われたものでしたが、今では話せない雰囲気になっています。でも川の氾濫は違うよね、と思いたいです。
ただ、公園、農地、河川、道路では管轄が違ったり、流域が何県にもまたがっていたり、目の前の川は狭いのに上流域が大きかったりと、簡単にはいかない状況があるようですが、これを契機に流域地図をしっかり作って、少なくても自分が何という川の流域で済んでいるのかを、誰もが知ることが大切だと思います。
そうそう、横浜国際総合競技場(覚えにくい名前!)の地下も巨大な遊水地だそうですね。
東南アジアでは、100円で買ってきたものを11に小分けして10円で売って1円儲けるのは、よくあるビジネスです(笑)。貧乏人も助かります。
かねぽんさん
返信削除あれぇ、そうでしたか。氾濫は大丈夫だったのですね?(笑)。
しばらく前までは、首都圏でも自然が残っていたし、住宅地でも空き地がたくさんあって、子どもたちは毎日泥んこになっていましたね。我が家の息子たちも東京郊外(浅川の近く)で、毎日ザリガニを獲ったりフナを釣ったり、いろいろしていました。
今では、いったいどのくらいの子どもがそうやって遊んでいられるのでしょう?