しばらく前になりますが、展示室に置いてある石けりの玉を見て、
「これはなんですか?」
と訊いた女性がいました。
えぇぇ、石けりを知らないの?と思いましたが、考えてみれば、息子たちが小さいころでさえ、女の子たちが石けりをして遊んでいたのを見た記憶がありません。ずっと昔のおもちゃになってしまったのでしょう。
『母さんの小さかったとき』(越智登代子文、ながたはるみ絵、福音館書店、1997年)には載っているかしらと見てみました。
ありましたが、地面に描いているますの形がちょっと違います。
私の場合石けりは、
「けんぱあ、けんぱあ、けんけんぱあ」
と足を運びました。
「けん」は片足、「ぱあ」は両足ついていいのですが、この絵だと、
「けんぱあ、けんぱあ、けんぱあ」
になってしまいます。
甲賀市の石けり |
しかも、ネットでこのます割りでの遊び方を見ると、横割りしてあるます(2と3と、6と7)に入るのも「けんけん」だけで、遊んでいる間は両足はまったくつかないようでした。
山口県 |
私の記憶にあるのと同じます割りも見つけましたが、説明書きを読むと、遊び方はまったく違っていました。
まず(1)に石けりを投げ入れ、それを(2)、(3)というように順番に蹴り進み、(10)まで蹴ったらまた(1)まで蹴りながら戻り、最初にスタートラインに蹴り戻した子どもが、上がりとなります。
途中で蹴った石けりがますの外に出たり、別のところに入ったりしたら他の子どもと交代し、その子が失敗したらまた別の子に交代します。失敗した子どもに再び順番が回ってくると、失敗した場所から続きをします。
ということは、私が遊んだのと同じます割りなのに、「けんぱあ、けんぱあ、けんけんぱあ」ではなくて、「けんけん」だけで遊ぶのです。
そして、『母さんの小さかったとき』の「天一」と描かれたますはたぶん、両足をついてもいいますだと思われますが、山口県のます割りでは終始「けんけん」だけで、休憩できるますはまったくありません。
それにしても、両方に共通しているのは、けんけんしながら石けりを蹴り進むということですが、私はそうやって遊びませんでした。
手前のますから順番に、石けりを投げ入れるまでは同じですが、あとは石を投げ入れたますには足を踏み入れないように進み、最後のますでくるっと180度方向転換して、石けりのあるますの手前まできところで自分の石けりを拾って帰りました。
石けりが入っているますには足をつくことができないということは、「石けり」と名がついているのも関わらず、投げるだけでまったく蹴らなかったのです。
私の遊び方で何人まで遊べたかは覚えていませんが、二人だけだったかもしれません。
というのは、その遊び方で大変なのは、例えば5枚目の写真の(7)と(8)の枠の中に石けりが入っている場合、それに足を踏み入れてはいけないので、(5)と(6)から一気に、(9)と(10)まで飛び越えなくてはならないということでした。
しかも、わざと縦長なますを描いていたので、誰も飛び越えられなくなり、そんなこんなで勝ち負けも決まらないうちに、飽きてしまったり、休憩時間が終わってしまったりしたのです。
以下の二つは、ネットで見つけた遊び方です。
どの地方かはわかりませんが、ふりだしのますから(1)に石けりを投げ入れ、それを蹴って順番に進み、(8)からふりだしのますに蹴り入れたらあがりです。
温泉のマークのますの中では両足ついてよくて、バツ印(便所)に蹴り入れたら一回休みだそうです。
これは、スタートラインに立ち、(1)から順番に石けりを投げ入れて、けんけんで(10)まで行き、帰りに石けりを拾って帰ります。自分やほかの子どもの石けりの入っているますは、飛び越えなくてはなりません。
石けりを蹴らない、石けりの入っているますには足を踏み入れられない点で、私が遊んでいたルールと似ていますが、けんけんだけで進み、ますの外に出るまで両足をつくことはできません。
石けりと名がついているのに、なぜ「蹴らない石けり」があったのかと考えてみましたが、履物と関係していたかもしれません。
私は、小学校に行くようになってからは「ズック」と呼ばれる運動靴を履いていましたが、学校に上がるまでは日常的には下駄をはいていました。祖母の実家に遊びに行くと、祖母の弟のお連れ合い、つまり私の叔母さんが必ず下駄屋さんに連れて行って、新しい下駄を買ってくれたものでした。私より前の世代は、学校にも下駄で通っていたかもしれません。
そんな、私より前の世代が「石けり」を使っての遊び方を考えたとしたら、下駄でけんけんだけを続けるのは難しいし、下駄で薄い石けりを蹴るのも難しいので、下駄でも遊べるように工夫したということが考えられます。
石けりにも歴史ありと言ったところです。
石けりはたくさん持っているので、もう買わないと思っていましたが、福助さんには負けてしまいました。縁起物には弱いのです。
大きい方は、石けりとしてはちょっと大きめの直径6センチ、豆けりの方は直径4センチです。
石けりの方はよく蹴られたとみえて、裏はすり傷だらけです。
私が小さいころ、近くには駄菓子屋はありませんでしたが、学校の近くに何でも屋さんがありました。
おもには文房具も売っていたので、なにかと行く機会が多かったのですが、おもちゃも売っていて、紙の箱に入ったままのろうせきや石けりは、眺めるだけで楽しいものでしたが、たいていは見飽きた、同じ模様の石けりしかありませんでした。
追記:
hiyocoさんが遊んだのと同じかどうか、案山子のようなます割りの絵も、載せておきます。
いろいろな石けりのます割り。
案山子形の遊び方。
私の小学校時代(1975年前後の横浜の団地)も蹴らない石けり派でした(笑)。福助さんみたいな専用のガラス玉はなくて、そこら辺の転がっている石を使っていました。形的には案山子みたいな形のマスで腕の部分はパーに、頭の上が三角の帽子みたいに狭くなっていた気がします。で、石を投げ入れて、跳び越して、戻る時に拾って帰ったんでしょうね(戻る時の記憶がありません)。
返信削除春さんや他の方のブログでガラスの石けりを見た時、何か全くわかりませんでした。
石けり!やってましたやってました。
返信削除私の覚えてるのは円を描いて、石を投げ入れ、そこまで、けんぱぁして行って、石の手前で拾って、さらに、その先に投げ入れて・・・というものです。hiyocoさん同様に、石はそこらへんで拾ったものを使いました。なので、投げ入れる石が円からはみ出るというのも頻繁で、そうなると、相手のターンとなります。・・・といった感じだったように思います。
その円を描くためのチョークは駄菓子屋で買いました。でもチョークといっても、黒板のチョークではなく、もう少し硬質のもので、舗装された道にしか描けませんので、車道でやってました。
4歳までいた戸越の下町時代、10歳までいた名古屋の団地時代でも、近所の子たちとやった記憶があります。でも、筑波にきてからはやった思い出がありません。なんせ、泥だらけの未舗装の道しかなかったので!
hiyocoさん
返信削除ネットで検索したとき、かかしのようなますも見ましたよ(^^♪
けんけんだけでなく、「けんぱあ」だったのですね。
それにしても、私のころにガラスの石けりがあって、hiyocoさんやakemifujimaさんの時代になかったのは、面白いことです。経済発展した日本では、あほらしくて町のガラス工場なんてやっていられなかったということなのかもしれません。
いろいろなものがプラスティックに取って代わられた時代ですが、石けりはある程度重さがなくてはならないし、プラスティックでできないものはつくられなかったのでしょう。
もっとも石けりという名前からして、元は石で遊んだのだと思いますが、また石に返っているところが面白いです。
知り合いの中国系タイ人は、お手玉を石でやっていたそうです。ビー玉も石でできるし、石は万能ですね(笑)。
akemifujimaさん
返信削除舗装されたところで、石で遊ぶなら、ますの中にちゃんと投げ入れるのは、平らな石を選んでいたとはいえ、結構難しかったことでしょうね。
また、行きに石を拾って先に投げるという遊び方、初めて知りました。いろいろあったのですね。
私が小さいころは、道も校庭も舗装されていませんでしたが、できるだけ平らな場所を選んで、ますはろう石で描いていました。ろう石ではっきりと線が描けたかどうか、でもろう石は携帯必需品で、いつもポケットに入っていました(笑)。
あまり泥だらけになった覚えがありませんが。
この『お母さんの小さかったとき』が『おばあちゃんの小さかったとき』に!同じく『お父さんの小さかったとき』が『おじいちゃんの小さかったとき』になって今年の9月に発行されています!
返信削除図書館で見たときにはビックリしましたが、妙に納得。だってこの絵本でお母さんお父さんと呼ばれた世代は間違いなくお婆さんお爺さんですもの。
のらさん
返信削除えぇぇぇ!
内容が変わらないで題名だけが変わるなんて、前代未聞ですね。知りませんでした。
納得できるけれど、納得できないような(笑)。ではあと四半世紀後には、『ひいおばあちゃんの小さかったとき』、『ひいおじいちゃんの小さかったとき』になるのかな?もうなり始めているような....
でも、いい本ですよね。
この本を見ると、NHKの朝ドラの時代考証に改めて腹が立ちます。服装も髪も全部違うよ!
石蹴りは私たちの代表的な遊びですが一番最後の丸しか知りません
返信削除いろいろ地域差があるのですね。
ガラス製の模様のない青を駄菓子屋で、10の上の隅に休みが有り落とし穴です。
江戸時代からある露地なのでコンクリートのような硬い道で
何でも書けます。(今の所文久2年の地図で)
丸の中にいろいろ行先を書き石の入ったヶ所へ一斉に飛び出す
「どこ行き」も(笑い)
昭ちゃん
返信削除男の子も、石けりをやったのですね。『母さんが小さかったとき』の中に、男の子たちが指で丸を描いて陣取りしている写真が載っていました(おはじき遊びの一部)。「へぇ、男の子もおはじきで遊んだんだ」と思いましたが、石けりもやっていたのですね。
そうそう、私が通った小学校の校庭も明治時代からある学校で、校庭は踏み固められていて、表面の薄くてさらさらした土を手で避けると、固い土が出てきました。だからろう石でいろいろ描けたし、そのサラサラの表土を利用して指で丸を描いて遊んだりしていました。
「どこ行き」はやったことがないけれど面白そうです。hiyocoさんがやっていたという、案山子みたいなます(枠)も追記で載せておきますね。
男の子だからお手玉やあやとり以外は一緒に遊びました
返信削除紙芝居などは絵ではなく立て盤古の時代を覚えていますよ。
「小沢昭一・わた史発掘 文春文庫」を推薦します ぜひ読んでください
彼は昭和4年なので遊びは共通しています。
昭ちゃん
返信削除『小澤昭一・わた史発掘』ポチっとしました。読んでみます。
昭ちゃんが子どものころは、路地路地には子どもたちの声があふれていて、さぞかし楽しかったことでしょうね(^^♪
悪い事といたずらの区別は小さい頃から自然に覚えるし他所の小父さんでも叱りますからね、
返信削除空き家で遊んだり屋敷の呼び鈴を押したりはいたずらです。もう誰も居ないなー
昭ちゃん
返信削除もう、よその子なんて叱れませんよね。
外へ一歩出れば危険が待ち受けているという、今どきの子どもたち。自然の中で遊ぶことを満喫できる時代が再びいつか訪れるでしょうか?
もう無理ですね遊びの中で覚えた危険度は
返信削除我々世代と違うしスマホが有れば、、、、。
そうそう、最後の案山子タイプです!基本的な進み方が図2で、石があった場合の足の置き方が図3ですね。
返信削除新しく切り開いて作られた団地なのに、こういった遊びが他の地域と共通しているのが興味深いです。
昭ちゃん
返信削除孫のはなちゃんは2歳からスマホをいじり、4年生の今では自分のを買ってもらって、両親に使い方を教えています(笑)。どこまで行くのでしょうね。
hiyocoさん
返信削除子どもの遊びの伝播は、本当に不思議ですね。かこさとしの『あそびの大宇宙』に詳しいようですが、読んだことはありません。
いつかラジオで「グリコ、チョコレート、パイナップル(ぐーちょきぱー)」の全国での違いとか、「どちらにしようかな、神さまの言う通り.......」に続く部分の違いとかを集めていましたが、地方性あり、共通性あり、時代性ありで、それだけでもとても面白かったです。