パンデミックとは、病気、特に感染症が、ある国のあちらこちらや、国境を越えて世界中で大流行することです。
感染症は、生物の出現とその進化の歴史とともにあり、有史以前から近代まで、「ヒト」の疾患の大きな部分を占めてきました。
感染症や疫病に関する記録としては、古代メソポタミア文明の、バビロニアの『ギルガメシュ叙事詩』(紀元前1300~1200年)に、四災厄のなかの一つに数えられ、同時期のエジプトでも、ファラオの威光は悪疫の年(パンデミック)における厄病神に比較されていました。
中国にあっても、紀元前13世紀における甲冑文字の刻された考古資料から、疫病を占う文言が確認されています。
医学の歴史は、感染症の歴史にはじまったといっても過言ではないほど、感染症は、民族や文化の接触と交流、ヨーロッパ世界の拡大、世界の一体化などによって、何度もパンデミックを起こしてきました。
紀元前5世紀の、アテイナとスパルタの27年におよぶ戦い、ペロポネソス戦争は、アテイナで起こったパンデミックも影響して、スパルタの勝利に終わりました。このときの疫病は天然痘だったと考えられています。
ペロポネソス戦争といって思い出すのは、高校の世界史の先生です。年号から事象からよどみなく話すその声まで思い出すほど、高校の授業で初めて知ったペロポネソス戦争をでしたが、その陰に天然痘の流行があったことは、最近まで知りませんでした。
世界規模で、何度もペスト(黒死病)が大流行しましたが、14世紀に起こったペストのパンデミックはもっとも深刻なものでした。
ミヒャエル・ヴォルゲムート、「死の舞踏」、1493年 |
世界で1億人ほどの人が死に、当時の世界人口を4億5000万人から、3億5000万人に減少させました。
とくにヨーロッパでは深刻で、1348-1420年にかけてのペストのパンデミックで、当時のヨーロッパ人口の約3分の1から半分にあたる人々が死亡しました。イタリアの町や村では、人口の約80%が死に絶えたところもあって社会が崩壊し、その時の影響は、ヨーロッパ社会に今でも残っているほどです。
そして、ペストは今でも発症例があり、恐れられています。
天然痘の被害を伝えるアステカの絵 |
コロンブスのアメリカ上陸(1492年)後、アメリカ大陸にはさまざまな感染症がもたらされ、免疫のなかった先住民の人々が犠牲になりました。
中でももっとも猛威を振るったのが天然痘で、ほとんど死に絶えた民族もあり、いくつもの文明が滅びました。
パンデミックは、白人によるアメリカ大陸の征服を助ける結果となりました。
19世紀から20世紀にかけて、地域を変えつつ、コレラが7回、全世界でパンデミックとなりました。
1919年、カリフォルニア州オークランドのスペインカゼの患者 |
1918年から19年にかけては、スペインカゼ(インフルエンザ)がパンデミックとなり、死者は5000万人から1億人と言われています。
この時期は、第一次世界大戦の末期で、総力戦体制のもと、全世界的に軍隊や労働者の移動が活発になったことが、被害を大きなものとしました。パンデミックは、鉄道や河川といった輸送ルートを通って海岸部の港湾都市から奥地へと広がっていきました。
1980年以降では、後天性免疫不全症候群の患者が全世界で増大しました。もっとも感染の激しかったアフリカでは、全人口の30%以上が感染した国家まで存在しました。
そして、2002年から03年にかけて、SARSが世界各地で流行、香港を中心に8000人以上が感染、37か国で774人の死者が出ました。
医学を含む科学が発展し、いろいろなことが分かってきてはいますが、パンデミックはなかなかなくなりません。
というのも、今では1年間に国境を越えて移動する人口が11億人にも上り、地球全体が袖振り合う仲、封じ込めはとても難しい状態になっています。